伊藤 晃
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私がここに書き記すことは、すでに誰かによって語られたことかもしれないし、その焼き直しかもしれません。ありそうなこととして、古くて狭く浅い思考なのかもしれません。私は、ネットとか携帯電話とはほぼ切り離されている為、古いメディアに頼り、野良で考えたことばかりだからです。考慮するに値しないないようであれば、素通りしてください。一読してもらえたなら、誤りや不足を痛烈に批判されたいと思います。
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◆始めに
大震災が引き金をひいた原発事故によって、海と大地と大気が汚染され、それらを共有する地球上のすべての人、生物が、程度は違っても同じ被災者となりました。
しかし、私はこの国の大人として、「起災者」としての責任を負っています。
地震の只中に、津波の前面に、原発を置いたのも、
そこで得られた電力を使い、原発推進を「国策」とする政府を選んだのも、私達でした。「国策」を支持し、あるいは放置し、撤回させなかったのは、私達だったということです。
政府はもちろん、私達も世界に向かって詫びなければなりません。
これは、原発の是非を問う前の前提です。
◆「国策」とは何か
福島に原発が建設されたのは、40年前、私が小学生の時です。
そのころ「公害」が全国各地で深刻な事態を引き起こし、発覚し始めていました。
営利活動は目先にとらわれ、モラルはついてこなかったのです。
人間の都合が最優先され、「改造」は、身の回り至る所で、色々なものを押し潰し、埋め立て、展開していきました。
福島原発の稼動から10年程して、私は初めて原発と出会いました。
同時に「国策」とも。
公害の街で、その渦中育った私は、「成長」、「発展」に懐疑的でしたし、巨大技術、「原子力の平和利用」など信じられませんでした。
都市の無責任な住人であった私は、小さいけれど懸命の反原発運動のさ中、「原発はいりません。」の一点張りだったけれども、仙台で、女川で、柏崎で、機動隊に取り囲まれました。
原発は、「国策」でした。
しかし、今日に至るまで、郵政選挙というのはあったけれど、原発選挙などありませんでしたし、是非を問う国民投票など一度も行なわれてはいません。
為政者の話として、現都知事の「原発をもって核武装しろ」とか、元首相の「原発がなければ、日本は四等国」、という発言が目についただけです。
経緯が判然とせぬまま、既成事実が積み上げられ「国策」は成りました。
スリーマイル島、チェルノブイリで破滅的な事故が起こりました。日本国内においても、中小(?)の事故は日常茶飯でした。
しかし、政府、電力会社は、原発のイメージアップをエスカレートさせ、今日に至ったのです。
◆理不尽極まる
稼ぎ手、担い手を、中央へ送り出し、人をつなぎとめる金もない、老い先が知れた田舎町が、とっておきの財産を差し出す見返りに、原発も、お金もやってきます。
心細さにつけ込み、足元を見られ、原発立地の話はやって来るのです。
誘致とは、為政者側の言い分です。誘致は、誘導されて、最後は力づくでなされてきたのです。
電力は、地域の魂が、姿を変えたもののように流れ出し、都市の人々を助けてくれました。
枯渇へ向かう村があって、蕩尽へ向かう街とがあったのです。
理不尽は、50年前からありました。それは城を成し、共存共栄を装い、大洋の前に象徴的に建っていました。
3月11日以降、理不尽の象徴は、瓦解し、爆発し、人々の上に、間に、内部にまで襲いかかりました。
初めは、目に見えぬ形で、広く東日本一帯にほんの数日で到達しました。
そして、理不尽は、目の前にくっきりと現れました。それは、人畜が消え、廃墟となった村々です。
◆理不尽はまだ続く
震災で傷ついた人々は、放射能からの逃げ足も失っていました。車を失い、情報も失い、一切を失い、徒歩で避難した人も多いようです。
根ざしていた風土、共に生きていた生き物達を置き去りにして、不明のままの家族、親しい人達を残し、遠く去ることができない人もいたでしょう。
そのさ中、中央では、被災地から遠く離れた人達が、新幹線で、車で、はるか遠方へ、避難していきました。
畳みかける、理不尽のただ中に、とり残され、留まる人々は、避難所で暮らす人達は、虚脱感、無力感と向き合わされたでしょう。
彼の地には、かつての、そして未来のこの国の景観が多く残されています。
しかし、「美しい国を守る」と言うような人達が、世界をいじくり、風景を作り変え、景観を黙々と守る人々に理不尽をしい、追いつめてきたのです。
生まれ育ったその土地で暮すことが全てである人達、
そのような人達を、引きはがし、「退避」させることで、何かを守れるという考えは、見当違いです。
「原発事故で直接的には一人の死者も出ていない」というのも、まやかしです。
すでに多くの人が命を絶たれました。去る者も、残る者も解体されたのです。
はびこる夏草を押し返し、厳しさを増す気象や、すきあらば作物を台無しにしてしまう外敵に対応できたとして、この上感知できぬ「悪」、放射能を、新しい器官で見張るなどということが、この先できるでしょうか?
◆「国策」を前にして
これまで「国策」を支えてきた、二通りの人々のことを考えてみます。(極端かもしれませんが、代表的な人々です)
市民と呼ばれる人々の中の保守層と、もう一方は農業者達です。
前者は主に経済的理由から、自民党長期政権をささえ、「国策」を支持してきました。経済的格差は、常態化し、広がっていくばかりでしたが、彼らは比較的、自由や快適さを得ていた人々です。関心事は、安く、安心で、安全であることでしょうか。国内では、多数派だと思います。
「国策」の誤りのツケを払うのは御免だ、というスタンスで、政治家にリーダーシップを求めるが、結果に満足できねば、たたく、という風でしょう。
農業者は今では国内少数派ですし、有史以来「国策」におびやかされ縛られる生活が続いてきました。(食管制度であり、減反制度です)
それは、農業が国家の根幹、生命線だったからです。
しかし、収入も少なく、管理され、不自由な仕事として、すたれていきました。
今では、国家に保護される立場にあります。
「お上」に逆らわない、長いものには巻かれろ、といった具合に、最も積極的に、自民党政権に加担し、見返りを要求してきた、「国策」には従うのが当たり前の人々です。
市民の中には、「農業は税金の無駄使い」と言ってのける者もいたし、「起業家精神が足りない、農業も輸出産業になれる」とそそのかす者もいました。
しかし高齢化ばかりが原因ではなく、食べ物が、命を命へとつなげるものだと思うほどに、農業者のブレーキはかかります。
理解されぬ弱者=農業者は、ますます政権にすり寄っていったかもしれません。
◆何度でも投票を
生活者の原発に対する態度には、二通りあります。(中間的な態度も可能ですが)
増設を求める人と、停止を求める人がいて、両者のへだたりは、大変大きいです。容易に越えられぬ溝があります。
大局は、二分された状況にあっても、各地の原発一基一基については、議論の余地があります。
今回の事故によって、問題が素早く広く、国民全体に提起され、議論される必要は、確認されたでしょう。
原発一基に事故が起これば、国土の大半が被災するのですから。
また、原発が、国の在り方と深く関わっていると人々に認知された今、多くの人がその是非を問う国民投票を望んでいます。
そして、その結果が人々の間に分断を招くに終わるのを防ぐためにも、1回限りではない、定期的な投票が望まれます。
国の在り方を決める投票なのだから、人々は何度でも問い直し、敗れた者も、次回に向け、希望をつなぐことができます。
私たちは、成熟した、自分達の国家を持ったことがありません。
自分達の「国策」を持ったこともありません。
私達にとり、重大なこと、政治家達の間で意見の分かれることは、国民が、直接決める方法を持たなければいけません。
誰かに任せてしまえば、巻き込まれてしまうのですから。
◆「飢える」ことを想像する
「この国の人は、己の傷の深さ、大きさに、気づいていないのではないか?」
そう思えてなりません。
被災者の救済に全力を挙げながらも、「世界の中に、深手を負って在る」そんな事実をもっと自覚しなければならないのではないでしょうか?
国が破れかかっている時に、山河は、人々をこれから先も蝕もうとしているのかもしれません。綱渡りで生き抜かなければならないのではないでしょうか?
この国は、そう遠からず、様々なライフライン(情報を含め)を維持できなくなるかもしれません。
それでも、食いつなぎ、生き延びることを考えておかなければならないのではないでしょうか?
近年、世界の食糧の需給のバランスは逼迫し、それは、もう肌で感じとれるものとなりましたが、いまだに、この国では、食料自給率のことを言ってもむなしい状況でありました。
この国が、経済的に豊かで、世界に飢える国があっても、食料は「お金で買える。」という思い込みが支配的であったからです。
しかし、自給の為の人的基盤は過去数十年で大きく失われ、今また、震災と原発事故で、実質的基盤も手ひどく痛めつけられました。
本当に、この国にはまだ、食糧を買い集めるお金があるのでしょうか。
まだあるとすれば、それは、今すぐ支払われるべき、震災復興の準備金、原発被災者への賠償金のことなのではないでしょうか。
この国が破産せぬことを、願っています。
世界から破産国の烙印を押されぬことを願っています。
世界各地でひん発する、凶作、を思えば、この国の人々が難民となって海を渡らねばならない苦難も想像しなくてはなりません。
◆作り続け、食べ続ける
この国の、現在の目に見えぬ姿を明らかにしなければならないでしょう。
本来なら、いち早く国が取り掛かるべきだった放射能汚染の実態調査、一部の志ある学者達の仕事を、国は、県は、積極的にサポートし、早く、その地図を作り上げてほしいです。
地図を元に、線は引かれることになります。
東日本の汚染された広大な土地を、風評のままに放置すると、それらの土地は死んでしまいます。
この国は、早晩立ちゆかなくなります。
線引きされた地域外にも危険が潜在していることを承知の上で、生産者を支え、生産地帯を維持する為に、その生産物を、年齢に応じ、食べ続ける必要があるのではないでしょうか?
それは、人ゆえに放射能に汚染された、すべての生き物と、痛みを分かちあうことになります。
他に方法があるでしょうか?
人もどんな生き物も、この毒を取り込んで浄化する能力を持たないのです。
この仕事ができるのは、時間だけです。
ただただ浄化の日を願います。
取り返しのつかぬ惨禍を人の手で引き起こすことが、もう二度とない様に、私達のすべきことがあると思います。
以上
2011年5月28日
伊藤 晃
菜園「野の扉」 http://nonotobira.typepad.jp/new/