農業記者・アジア農民交流センター世話人の大野和興さん(当サイトの同意人です)が、関わっている「福島原発事故緊急会議」の若い仲間に、運動と地域に住む人との関係の取り方について聞かれた際に書いたメールを、ご本人の了解を得て、以下に、紹介します。大野さん、ありがとうございます。(ウェブ担当)
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以下は老いぼれポンコツ記者の繰り事ですから、読んでも読まなくてもいいです。
ぼくにも、よく都会の活動家が、「補償をきちんと取って危ないものを作らなくてもいいじゃないか」というようなことを言います。しかし、百姓にとって耕す、種をまく、田植えをする、というのは補償とは全く別のことなのです。
福島では、全域で4月下旬まで、田畑は一切手を触れるなということでした。 放射能が拡散し、土中にも入ってしまうからですが、3月、4月というのは百姓にとって心がうきうきし、体が自然に動き出す季節なのです。旧知の百姓が、電話で「ジャガイモを植えなければならないのに」と、情けない声で言ってきたりしていました。家にこもっていると、死にたくなるというのです。
4月初め、郡山で有機農業を10数年やっている、60代前半のご夫妻のところに顔を出しました。妻は、いつもはとても明るくおしゃべりな人なのですが、その時は口数が少なく、とても不安そうでした。まだ、土壌検査が終わらず、田畑に出ることができない時でしたが、「今年の作付は」と聞くと、彼女は一瞬だまって、急に大きな声で歌うように、「百姓は種まいて百姓、もの作って百姓」と言って、そのま ま台所に行ってしまいました。泣いているようでした。
村歩き記者として、この50年、いろんな百姓と出会ってきました。この福島でもそうです。表現は違いますが、どの人も彼女と同じようなことを言っていました。
「1年でも休んだら百姓でなくなる気がする、百姓というのはそんなものなんだ」といったのは、やはり郡山で集落の生産組合を作り、仲間と大規模な稲作をやっている60代の人でした。彼は地域のリーダーで、タフな手だれの百姓です。行政はじめ、いろんな所とわたり合いながら地域の農地と農業を守ってきた人で、3月11日以降も何度もあっています。
5月に訪ねたら、、トラクターで返ってきたところで、汚染された牧草を始末してきたところだということでした。その晩 一緒に飲んだのですが、手間と経費をかけて作付けた稲が食べてもらえるものになるのか、それより、こんな土のところに作物を植えていいのか、と考え出すと眠れなくなり、それは仲間の同じ気持ちで、みんな以前は仕事を終えたら自然に「いっぱい」となっていたのが、誰もそれを言い出さず、そそくさと帰ってしまう。3月11日以降、飲んだのはこれが初めてだ、と話していました。
自殺した須賀川の農家は、彼の農業高校の同級生でした。彼は指を折って5本まで来てやめ、新聞では原発で自殺した農家は1人(その後酪農家が自殺)だが、俺の知っているだけでもそんなもんじゃない、といっていました。
東京の活動家の中には、全国に耕作放棄地があるのだから、避難してそこで農業をやればいい、カ ネは補償金でとればいいという人がいます。それをしないのは放射能の怖さを知らない、つまり無知だからで、という人もいました。
こういう人にぼくは語りかける言葉を持たないのですが、そんなとき、ある人物の言ったことを思い出します。成田空港建設に抵抗し40数年国家と戦い続け、いまも土地を売らないで有機農業で百姓をしいているある三里塚百姓です。
「有機農業をやっていると、長年作ってきた土を捨ててよそに移るということにはならないよね」というと、彼はちょっと考え、「土だけじゃないな。おれの畑の向こうに森があってそこで水がつくられて畑を潤す。畑を風が通る。この森がある風景も、水も風も、みんな俺の農業なんだよな」と、まるで世間話のように、いいました。「森も風も持っていけないからな」。
福島では都会の活動家が早く避難すべきだ、放射能は怖いぞ、と言っているにもかかわらず、こんな百姓や商人や、そのほかさまざまな人がくらし、食べ、汗を流し、生殖し、排せつして住み続けています。
そんな人に、「このうち百万人が死ぬぞ」といったのが例の報道です。
広島で、原爆で命を絶って何十万のひとり一人に人生があった、その人生の掘り起こしが進んでいます。百万人といういっぱひとからげではなく、そこに百万の人生があると思ったら、こんなことはぼくには言えない。
ぼくは闘いは数字ではなく、想像力と感性だと思っています。ぼくは農業記者ですから、百姓と一緒にどっかり座りこみ、そこで人びとの言葉の断片を聞き取り、つなぎ合わせて、 ひっそりと伝えていく、それを最後に仕事にしようと思っています。
長くなってしまいました。○○さんの問いかけへの答えにはなっていないかもしれません。言いたいことはつきません。よかったら機会を作り、一杯やりましょう。
大野和興
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