ウェブ担当が、「みんなで決めよう『原発』国民投票」の賛同人のOさんからいただいている「原発報道あれこれ」という通信に、転載されていた文章を、紹介します。
ご本人の渡辺一枝さんにも、了解を得ています。渡辺さんが、不定期で知人に送っていらっしゃる「一枝通信」からの転載となります。
お2人に、この場を借りてお礼申し上げます。
また、最後に、東京新聞でのこのシンポジウムについての報道記事を、スキャンしたものを載せました。クリックしていただけると、読めると思います。(11月15日)
一枝通信 永平寺シンポジウム
Sat, 5 Nov 2011
みなさま
11月2日、永平寺で催されたシンポジウム『いのちを慈しむ ~原発を選ばないという生き方~』に参加してきました。
この催しに参加しようと思ったのには、いくつか理由がありました。
原発問題に関してなぜ宗教者は黙っているのだろうかと思っていたこと、また、永平寺のお膝元である福井県の原発になぜ、「もんじゅ」「ふげん」という菩薩の名が付けられたのかという疑問をもっていたからです。
シンポジウムは前半が飯舘村の酪農家、長谷川健一さんと小浜市妙通寺住職の中島哲演さんの講演。後半が作家でエッセイストの朴 慶南さんのコーディネートで講演者のお二人がパネラーとなってのパネルディスカッションです。
会が始まって進行役のお坊様や、開会の挨拶をされたのを話すのを聞いても、何かすっきりしない心地の悪さを覚えました。
進行役は開口一番に、「この会は脱原発や反原発の運動でありません。講師の方のお話やパネルディスカッションを聞いて、原発に対してそれぞれの方がご自分でしっかりと考えて頂きたいということでこのような会を持ちました」と言ったのです。
次に実行委員長の永平寺副監院の松原徹心さんの開会の挨拶は「私たちは今、大事な事態に直面しています。落ち着いて静かに事態を見つめ、正しい判断を頂く為にこの集会を持ちました。釈尊の悟られた”万物は共生”しているということを、よく考えて頂きたい。私は、原発には賛成でも反対でもありません。福井にはたくさんの原発があり、”もんじゅ””ふげん”もあります。動燃の代表が文殊菩薩の智慧と普賢菩薩の慈悲をもって理想的な原発をと言ってきた時に、禅師が『それはいいことだ。人間の智慧が大勢の人の為になるよう発展して欲しい』と応えられた。……憎しみを越えて行かねばならない。ただし生き方を学んで欲しい」といった内容だったのです。
ここまで聞いて私は????となり、改めて案内の葉書を見ました。
「問い合わせ先」として「大本山永平寺 禅を学ぶ会事務局」の名が書かれていますが、「主催」とは記されていないし、禅を学ぶ会事務局は永平寺本体ではなくその中の有志たちなのだと気付いたのでした。
大きな組織の中で声をあげることの難しさが、何とも歯切れの悪い挨拶になったのでしょう。
長谷川さんのお話は以前にも聞いていましたが、何度聞いても当事者の叫びは胸に響きます。
スクリーンに動画や写真を映して原発事故発生後の様子を語りました。
行政は村民に情報を伝えず、“専門家”を福島に招いて「安全です。ただちに健康に影響はありません」とばかり言って、避難をさせなかったと憤りをもって話されました。
友人の酪農家は壁に「原発さえなければ」の文字を書き残して首を吊り、102歳のあばあさんは「私がいては足手まといで、避難の邪魔になるでしょう」と言い残して自殺。また「私は墓場に避難します」と書いて自殺した老人のことなど、原発により死に追い込まれた人たちの無念を話しました。
そして「除染するって言ったって、山なんか除染できっこないっぺ」と強い口調で語り、「自分は帰れても、子供や孫たちには危険で帰せない。自分は帰ったとしても、もう農業も酪農もやれなければどうやって暮らす?」と、行政の帰村計画に疑問を提示しました。
女子高校生が「私はもう結婚なんか出来ないんだろうね。もしも、もしも好きな人と結婚できたとしても、子供は生めないんだろうね。どんな子が生まれるか判らないから、子供は生まない方が良いんだろうね。だから生めないよね」と言った。子どもたちには飯舘村出身というブランドがついて回るんですと、被曝への怯え、差別への怯えを持ちながら生きる現状が話されました。
中島哲演さんは小浜市の真言宗妙通寺のご住職で、1963年に友人に誘われて参加したヒロシマ平和集会で一人の被爆者に出会ったことから被爆者の救援活動を始められ、その頃から原発問題にも目を向けて、もう40年以上も反原発の運動を続けているそうです。
被爆者の苦しみは自分一代の苦しみではない。一般の人には祝い事である子供の出生などでも、被爆当事者には大きな苦しみとなると、具体的な例をもって話されました。
また原発を推進する側の資料においてさえ477,000人の被爆した原発労働者を生み出したことや、若狭湾だけでヒロシマ原爆40万発分の死の灰が作り出されているなど、具体的に数字をあげられながらのお話は、鋭く胸に刺さりました。
こうしたことの素には、日本が近代化を目指したことに端があるのではないか。明治以前の日本には確かに封建的な面もあって、必ずしも全て昔が良かったのではないが、黒船が来て欧米の技術などに目を奪われて”脱亜入欧”の道を突き進んだことに根があるのではないかと話されました。
原発問題を考える時に話題になるのが「安全神話」だが、もうひとつ忘れてならないのは「成長神話」だ。大量生産、消費、廃棄で、原発はこの電力版だ。それを一文字に集約すれば『貪』で、確かに便利で豊かな生活をもたらしたが他方では格差を生み出し、環境、生物多様性に深刻な破壊をもたらした。
こうした社会からの新たな転換を目指す理念として、これもまた一文字で表すなら『貧』を挙げたい。
どちらの文字にも『貝』があるが、貝はかつては貨幣の原型となったものであり豊かな自然そのものだ。
『貪』は目先のそれを貪り、独り占めすること。『貧』は否定的なイメージで見られることが多いが素直に文字を見れば、分かちあうことに意義があろう。
仏教者らしいお話もまた、胸に響きました。
中島さんの話で知ったのですが、1993年に敦賀で「原子力行政を考える宗教者の会」が、宗教、宗派を越えて発足していたのだそうです。
この会に参加しようと思った動機のひとつ「原発問題に関して宗教者はなぜ黙っているのか」という疑問は、これで解けました。私が知らずにいただけでした。
後半のパネルディスカッションは文字通りのそれではなく、コーディネーターの朴慶南さんが、講演者のお二人から話足りないことを引き出すかたちで進められました。
中島さんの妙通寺のある小浜市には原発がありません。それについての中島さんの話に、改めて「脱原発」の声を大きくしなければと思ったのでした。
中島さんの話
小浜市も70年代に、原発建設の話が持ち上がったことがある。当時の市議会では21名が原発推進派、残り5名(社会、共産、公明の各党議員)が反対だった。
市民が建設反対の署名活動をして、有権者の過半数の署名が集まった。
市長は革新ではなくバリバリの保守だったが、有権者過半数の意思を汲んで原発を受け入れなかった。
70年代、80年代には20数地点の市町村が原発を拒否している。もし市民が黙っていたら70年代に4基の原発が作られていた。
朴慶南さんからの「最後に一言ずつ」に応えて。
長谷川さん
「差別の起きない社会を」「原発事故を風化させずに教訓としていかねばならない」
中島さん
「安全神話、原発必要神話のカラクリを解明すべき。原発は国内植民地だ。原発廃炉の後始末をどうするか。原発を止めてどうかを自分でよく調べて欲しい」
会の初めから進行役は「シンポジウムというと、通常ですと最後に質問やご意見を頂くのでしょうが、今日は申し訳ありませんが質問は一切お受けできません」と断っていました。
会が終了した時に会場から「一言良いですか?」と手が上がりましたが、やはり「申し訳ありませんが、今日はこれで閉会させていただきます」と断りました。
それで私は、会の始めに????と思ったことが解けたように思いました。
永平寺の名を冠してこの集会を持つには、本当に大変な軋轢もあったのだろうと推測できたのです。
たぶん、これが現時点でできるギリギリだったのかも知れません。
でも、永平寺は一歩を踏み出したのですからもう後には引かないで欲しいと思います。
宗教者として、身を以て「いのちを慈しむ」範を示していって欲しいです。
組織の思惑に縛られずに、ワタクシとしての意思を示し行動することの大切さを思います。
長々との永平寺シンポジウムの報告でしたが、3日の東京新聞には、地元の福井新聞よりも大きく記事が出ていました。
いちえ
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投稿情報: shahGuamstuch | 2013/11/01 16:24