もはや、隔週のお客様には、「年末便のお知らせ」を同封させていただくことになりました。以下は、残り少なくなった今年を振り返っての夫の文章です。
▼百姓というと、草むしりとか種まきとか、地味な仕事にあきもせず明け暮れる営みだと思われます。でもこれらはみな、劇的な仕事に立ち向かうための、小さな下準備のようなもの。本領は、尺度で測れぬ巨大な生き物相手に居場所を守る闘いとも言えるし、天体の運行とか宇宙の膨張とかの真っ只中に、人が生きる足がかり手掛かりを得ようと、爪を立てしがみつこうとしている営為だと、イメージしてほしいです。食べ物が出来て、作物が実際に実って、ほっとすることに支えられてきたけれど、明日はどうでしょうか?地道さだけではどうにもならない、かといって、手立てを尽くしたとして、地道さに何かが付け加えられたのか、確信を持てないまま、収穫を待つことになってしまいます。
▼あれ以来、頭から離れません。野にいてもそうです。脳ミソの何%かは、常に放射能の影響下にあるので、ミミズを見ても草を見てもイノシシのことを思っても、かえってそのことに思い至り、離れられません。人が変わるとは、こんな風なのでしょうか。この国の多くの人が、私のように、あるいはもっと差し迫った理由から、大きく変わらざるを得なかったのだと思います。お客さんに、優しい言葉や励ましの言葉をいただきながら、その表情のどこかに一瞬、悲しみの影が差したように感じられるのだから、残念でなりません。
▼怒り、悲しみが毎日の生活を押し潰すことがないように、皆で新しい喜びを生み出すことを目指しましょう。朗らかな笑いに始まり、大笑いがうっせきしたものを洗い流す日を、招来したいです。(12月5日 晃)
料理メモ~きりたんぽ
出荷作業を手伝ってくれている、ちゆさんからヒントをもらって、やってみました。
ご飯(炊き立てがいいけど、冷やご飯でも)を、すり鉢すりこぎで、半殺しにして、片栗粉を少々混ぜて(加熱した餅をまぜてもいい)、塩水をつけた手で、割り箸(割らずに使う)にクニュクニュくっつける。まな板の上で転がして形を整える。全体を濃い塩水をくぐらせると崩れにくくなる。魚焼きのグリル(くっつかないように、オーブンペーパーなど敷いて)やフライパンで、周囲に焦げ目をつける。暖かいうちに、箸をぬいて、さまして半日くらい休ませる。鍋の用意ができたら、一口大に斜めに切ったきりたんぽを投入、3分くらい加熱して、いただきます。
(さし絵のモデルは、ショウガです。照手がつけた題は、「奪われたもの」、です。)