◆ ひょう害その後
「あう」とは、よい表現だと思う。
霜にあう、ひょうにあう、日照りにあう、などなど、さびしげに思われる田舎暮らしも、訪れるものが結構あって、にぎやかなものだ。
ギラギラキャラクターの来客のほかにも、気配すら感じさせないため、うかつにも、たけなわとなってようやく名前を思い出すような、その現実味が増すようなタイプ、長期滞在型訪問者もある。極端な例では、居座って10年、気付くまで20年という大人もいる。温暖化とか、小氷河期などがそんなひとである。
仕打ちを受ける、とか、くらうとか、被害者意識ばかりでは、田園生活は重苦しすぎる。「会う」とか「あう」とか言われれば、物言わぬ相手とのコミュニケーションだったのだと思うほかないではないか?
雨とか雷とか雲とか、あらゆる気象現象も言語のようなもの。誰のかといえば、もちろん地球や宇宙とかいったものです。
「百姓は生き延びるために、太陽とか宇宙とかとコミュニケートする職業です」
と言ったら、カッコイイかもしれない。
「ただ、やられているだけジャン!」ではやはり足りません。作付した作物の何割かが失われるのは、日常茶飯ですが、見えない何気ない対話の中で、現に百姓は生き延びてきたわけです。(晃)
◆こちらが詳細
5月28日(実は私の誕生日)のひょう害について、うちの畑の状況を列挙します。菜っ葉やキャベツ・レタス類、そしてまだ小さな夏野菜は、被覆資材の中で無事でした。
一番の被害は、パン用小麦です。うどん用の小麦よりやや生育が早いことも災いして、叩かれた穂からはその後も実が落ち続けて、白っぽくなっています。一年に一作の作物が被害を受けるのは、ことさら厳しいものがあります。
あとは、夏野菜です。もう小児の頭ほどに太っていた早生のかぼちゃは、月面のようになり、1回目のナス、ズッキーニ、露地のキュウリは死なないまでもボロボロで、収穫は半月くらい遅れるでしょうか。露地トマトとインゲンは、頂芽をやられているので、わき芽が頑張れるか・・・ トウモロコシは、しおたれて、満足に受粉できるのか、玉ねぎは打たれたところから病気が入り始めています。 ニラは、今シーズンはもう復活できないでしょう。これからを期待していた3回目の人参も、葉っぱをボキボキ折られました。
ということで、みんなケガや大水で、よろよろしています。
でも、先週会った日高市の方は、近所では車がへこんだ、と言ってましたから、上には上が(?)。
★左上は、角川書店から刊行された、梨木香歩さんの「雪と珊瑚と」の単行本の表紙。今後、作中のレシピをいくつか紹介させていただきます。素敵なレシピがいっぱいなので、お待ちになれない方は、ぜひ読んでみてください。(6月6日 泰子)