という題名で、「寄居町耕す人の会」ニュース10号(2013年3月23日発行)に、晃が寄せた一文を掲載します。
新年早々、1月10~12日の3日間の催し「踊りと整体で元気になるべぇ~飯田茂実さんを迎えて」から1か月がたちました。
時間帯に制約がある中、耕す会内外より25名のべ54名の参加がありました。日々過ごすうちに元気になる、ヒント、手掛かりのようなものが得られたのなら幸いです。私も毎日欠かさずいくつか実践し、体の具合を以前よりずっと感じ取れていると思います。
ところで、踊りにせよ、今回の催しにせよ、何で耕す会で?という声が届いています。ふに落ちない、唐突だと思われているかもしれないので、今回そこんとこを、私なりに書かせていただきます。(写真は左のが飯田さん。右のが最終日の集合写真。前列左から3人目が飯田さん。下のは、3人の活元ダンスのひとこま)
昨年末の選挙の結果、政権は交代、新政権は原発政策の変更を撤回しました。「電気はどうする、経済はどうなる」と、根拠はよくわからなくても、不安をあおり続け、経済がすべてだと言わんばかりです。
「ならぬものはならぬ」という、気概のようなものは、自信が支えるのだと思います。そこそこの自然が残る農村地帯に生活する私たちも、中身は都会の生活者とあまり変わらず、グローバル経済の恩恵に浴し、一つ一つお金で買うことが生活そのものです。しかし、50数年前までは、ほぼ何もかも地域内で調達でき、食糧とエネルギー源の供給地であったとも聞いています。かつて、自立以上のことができた農村の変貌ぶりは、得てきたものと失ったものが積もった姿です。
私は、自立を取り戻すための長い道のりに、とりあえず一歩踏み出したいと願っています。「取り戻す」などと言うと、盗人にもなりかねません。私たちが取り戻したい相手は自分自身です。思い出したり、気づいたり、息使いや一挙手一投足の中に、元気を回復します。天地からの流れを頂戴し、なめらかに通過させられればいいわけです。
数十年前に人々が持っていた、原始力ともいうべき力を、自分の中に見つけることから始めます。 "踊り"と言っても、体と出会う回路だと考えましょう。その先に、表現が生まれてくれば本望です。
「踊り部会」は、毎月第3土曜日の夜7時より、鷹巣集会所で行っています。ああでもない、こうでもない、と楽しくやっていきます。初めての人も大丈夫、お待ちしています。(伊藤 晃)