やはり、あくなき力への渇望が、彼らのテーマであった。
政策の実現に向けて力を結集する、最終的には多数決が原則の民主主義において、「数は力なり」はある程度やむを得ないことであろう。しかし彼らにあっては、最終目標が「力」の行使とその実感であり、政策などは、ささいな問題でしかない。政策は「力」に役立つものなら何でもよいのだ。
彼らは、反省したり、相手をおもんばかったり、冷静に自分を相対化する思考は、結果として自分を鎮め弱める行為と感じ、忌避する。怒鳴り、高ぶり、ひたすら自己陶酔へと向かう姿は、国民の幸せとは遠く無縁だ。
人々が、大震災に世界の圧倒的力と、生命のはかなさを学ぶとき、彼らは驚くべきことに自分の力の行使と重ね合わせ、手前勝手にねじ曲げて解釈する。「天罰だ」と。
人々がはかない生命をいとおしいと感じ、その大切さに、あらためて気付くとき、増長する彼らは、世界への宣戦布告を準備する。
どうか、彼らのまき散らす麻薬にまどわされることなく、倒錯を見抜いてほしい。浅薄な痛快さに心奪われてはいけません。
私たちは、命の声に耳傾け、穏やかな笑い声が回復し途絶えることがないように心して、「力」を役立てよう。
維新の会は、歴史上繰り返されてきた、今度こそ乗り越えるべき課題です。(2012年11月22日)