年末に手をつけた納戸の片づけで、エプロンと書いた段ボールの中から、出てきました。8年前の隣の地区からの転居の際も段ボールのまま移動しただけで、寄居町に引っ越してきて以来、20数年見ていなかった気がします。
1989年に、夫と東京都大田区で小さなパン屋を始めた時に、貝原浩さんからいただいたものです。
唯一残っている、国産小麦と天然酵母のパン屋「エルマーのパン」の写真です。
乳母車に載っている息子が、「ノラのパン」になり、エプロンの男の子の顔が、息子の2歳半になる長男の顔にそっくりで、時間の来し方に思いが。
貝原浩さんについては、
というサイトに、詳しく載っています。10年前に、今の私と同じ57歳で亡くなっています。たくさんの仕事が、このサイトで紹介されていますが、福島原発事故以来、全国30カ所くらいで開催され続けているチェルノブイリの作品集の展覧会が、更新されつつある貝原さんの仕事、でしょうか。
私が、自然食通信社という小さな出版社で働いていた時(社長の横山さんの書いた、貝原さんのこと)に、「画伯」(と出版業界では呼ばれていました)の事務所に原稿をいただきに行ったりこちらの事務所に飲みにいらしたりして、少し交流がありました。大変な才能と魅力的な人柄で、貝原さんがいるだけで、場がにぎわった感じをよく覚えています。ちょっと袖振りあっただけの私にも、こんなプレゼントをくださるくらいですから、とても気を遣う方でもありました。
このエプロンを見つけた時は、写真に撮って、FBにちょこっと載せて、息子とつれあいに由来を話してあげればいいや、と思っていたのですが、上記のサイトを見つけるために検索したら、次のページを見つけてしまって、ほとんど更新してないこの個人ブログに書いておこうと思ったのでした。
貝原浩 「ファシズムは繰り返す」
http://wp.me/p1BGsC-2ER
書き手がどういう方なのか不明ですが、後半の「不掲載になった貝原浩作のデッサン(1997年)」の絵に関しての項を読んで、チェルノブイリの絵のかげで忘れていた、貝原さんの、昭和天皇にまつわるいろいろな風刺画が思い出されたのです。
この不掲載事件、ざっくりいうと、週刊金曜日の天野恵一さんのコラムに寄せて貝原さんが書いたイラストが、編集側の配慮で差し替えられて、天野さんが抗議したけど、そのまま放置された、ということでした。記事中のリンク先の文章(金曜日の編集者だった山中さんに関しての記事)に、天野さんの抗議文の一部が引用されてます。
「<‥‥私たちは今回のボツが『天皇制』タブーの拡大に加担する結果となっていると判断し、イラストをボツにしたことに強く抗議します。そして、問題のイラストと本多社長名で出された文章と、この文章を、まとめて『金曜日』に掲載するよう、要請します。多くの読者に判断してもらいたいからです。‥‥>まったくその通りだと思いましたが、そうはなりませんでした。
ここまで読んで、辺見庸の「赤旗・インタビュー・ドタキャン事件」との類似にびっくりしました。以下、彼のブログから引用します。
「ドタキャン事件と週刊金曜日、そして拙著『1★9★3★7』(イクミナ)をめぐり、大きな動きがあった。わたしは、事件の経緯と週刊金曜日の基本的立場を同誌の記事として読者に公表し、赤旗紙および日本共産党に抗議すべきであると主張してきた。これにたいし、金曜日の北村社長は本日、辺見庸の主張は「100パーセントわかるが……」(笑止!)と述べるいっぽうで、しかしながら、同誌での事件経過説明も共産党への抗議もできない、と言明した。その背景として、北村氏はまことにわが耳をうたがわざるをえない、まったく承服しがたい珍妙無類の〝理由〟をあげた。金曜日の読者の多数が日本共産党員であるため、公表も抗議もできない――というのだ!これはなんというバカげたロジックだろう!?以上のことがらについて、わたしは『1★9★3★7』のすべての読者、当ブログの愛読者たち、および全国各書店にたいし、近日中に詳しく説明する責任と義務があると感じている。『1★9★3★7』の運命は、わたしの予感のとおり、これから大きく変わるだろう。そもそも『1★9★3★7』は遠い血煙のなかからついに生まれた本である。読者は知っている。1頁1頁に血糊がついている一冊なのだ。これを、「市民運動」に名をかりた、そのじつ、ファシスト以下、スターリニスト以下のインチキどもにまかせておくわけにはいかない。(2015/12/04)」
「日本共産党とその機関紙は砂漠である。蟻地獄である。阿部謹也ふうに言うなら、共産党は、「世間」以上に無責任な俗世間であり、「世間」以下的に酷薄で恥知らずで鈍感な世間である。共産党はじつは似ているのだ、われわれに。われわれの会社と。われわれの家に。われわれの、みみっちく、いじましい内面に。われわれの先祖に。われわれの警察に。われわれの仕組みに。われわれの妄想と錯覚と人情に。ときにそれは合唱団となり「部隊」となり、たからかに愛国をうたい、踊り、行進し、道路掃除をし、ときにそれは町内会、自治会、自警団となり、スクラムを組み「個」をどこまでもおさえつける。かれらははげしく怒る。党への反抗と党への背信に。かれらは無感情で鉄面皮である。人間への背信に。わたしは「ないもの」だけをたんとみた。どうしようもない「鬆」のみを、これでもかこれでもかとみせつけられた。「ないもの」と「鬆」は、ひとり党だけのものではなく、党を批判する(ふりをする)わたしとわたしの隣人、そして友人たちの骨身にもはしる無数の空洞であることも、このたびはおもいしった。少しずつみんなで卑劣になろう。そうすれば卑劣にはみえないのだから。どこにも主体はない。だれにも責任はない。だから恥もない。このかん、わたしの視界から音もなく何人かが消えていった。ずいぶんと若いくせに、だれに習ったか、年寄りじみたすり足で消えていった。ひとことの挨拶もなく。「指示」がないと挨拶ひとつできないのか。(2015/12/12)」
先に逝ってしまったしまった貝原さんなら、今を、どう、描くだろう。
辺見庸の怒りは、彼のもの。
人はみんな、自分の場所で、孤立無援の穴を掘る。
きっと豊かな水脈にたどり着き、他者と喜びを分かち合える、という幻想のみを抱えて。
さてさて、あすはうちにもお正月様に来ていただけるだろうか。
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