今朝の最低気温、熊谷は8度、寄居が5度、そして鳩山は1度という観測結果が出ています。うちのある寄居町の端っこの鷹巣西古里地区は、この3地点のほぼ中間なので、いつも3ヶ所の気温の動向をみます。うちの軒下が4度ちょっと、ぴったり平均値でした。
昨日の強い木枯らしのあと、少々風が残っていたので、霜は降りませんでしたが、冬の到来を感じる冷え込みでした。豊作貧乏の野菜相場(白菜の卸値なんてキロ20円らしい)が、鍋向きの天候で、少し持ち直すでしょうか。
さて、気が付くと、大豆も収穫期を迎えています。
毎年、2畝(2a)前後しか作付けないし、収量も「家庭菜園」程度(40キロ~50キロかな)ですが、最後の選別に至るまで、うちとしては「大仕事」に入ります。
以下、大豆に関してのこれまでの記事を集めてみました。
ちなみに題名は、今年の味噌用に取っておいた去年のキズ大豆の余りを、近所の方に差し上げたら、お礼にお菓子をもらった、ところから来ています。大豆を使ってお菓子を作ったわけではありません。
この方は、小学校の先生で、総合学習の「大豆の秘密」という授業で、大豆を炒って黄な粉を作るんだけど、子供たちと作った豆じゃ足りないし、ちょうど新豆との切り替え時期だからかJA直売所でも売っていないので、外国の豆を使うより、と頼まれたのでした。炒りたての黄な粉(すり鉢ですった)、おいしかったそうです。
大豆の成長 [2005年06月15日(水)]
http://blog.drecom.jp/nonotobira/daily/200506/15
大豆の乾燥 [2005年11月30日(水)]
http://blog.drecom.jp/nonotobira/daily/200511/30
大豆脱穀 [2005年12月03日(土)]
http://blog.drecom.jp/nonotobira/daily/200511/30
2004年12月の写真
http://nonotobira.hp.infoseek.co.jp/hatake2004-12.html
の12月8日に、「大豆の機械選別~機械の共同使用」という項があります。
ついでに、全国の大豆生産の集計について、
http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/daizu-syukaku2005-k/daizu-syukaku2005-k.pdf
から抜粋すると、ここ数年の反当り(10a)当たり収量は、180~200キロ、販売価格は、60キロ15000円(キロ250円)、とすると、反当り5万円の収入、と考えるのだろうか。いや、補助金とかあるだろうから、いやいやそれは田んぼだから、いや、よくわからない。これは、産業として、成立する数字なのか、、、
小麦と同様、例の「担い手育成」という農水の施策の影響について、初期は考えてみようと思っていましたが、あまりにも、うちらの営農とはかけ離れた話なので、ついていけなくなっています。
大豆のお話なのでしょうけれど。
産業として語る視点を皆さん提示されますが、産業としてでないとだめなのかな?と感じることが多いです。
僕のところでうまくいっている事例ですが、ナス、ピーマン、ししとうで約2畝7ヶ月の作付けで売り上げ30万、玉葱が6ヶ月作付けで反あたりで言うと50万円くらいでしょうか。
それだけがんばって売っても、まだまだ営農としては、面積を広げて売り上げを伸ばさなきゃだめでしょうね。
そういう欲も労力も持ち合わせていないです。
大豆を大事に育てることが大仕事、そのこと自体が素晴らしいことだと思います。
大豆を差し上げて、お菓子が戻ってくる、同じく素晴らしいですね。
投稿情報: te-te | 2006/11/08 22:16
te-teさんのように、何百万もする機械類を使っている方でも、「産業しての農業」という視点があんまりないんでしょうか。
うちでは、ほとんど「ナス、ピーマン、ししとうで約2畝7ヶ月の作付けで売り上げ30万、玉葱が6ヶ月作付けで反あたりで言うと50万円くらい」のように、単品の反当り収入を、計算できません。
全部あわせて、帳尻が合えば(どのレベルなんだ?)いい、というアバウトさです。セット販売が主体なので。
「ソリマチ」の農業簿記ソフトとかで、労働時間も記入してその品目にかかった経費と売り上げを比較すれば、どこに力点を置けばいいのかわかって、無駄のない経営とか出来るのでしょうが、そうすると、こんなスタイルの農業自体やめたくなっちゃうとか・・・・
次の文章がいいなあ、と思いました。現在第二の就農地を探している方のものです。
http://blogs.dion.ne.jp/omaegayaraneba/archives/2006-09.html
の9月1日の「小さなものに救われてみる」です。
こんな自然との交流と同時に、お金にならない人間界での行き来、ができるのが、百姓の「素敵」なところでしょう。
もちろん、経営努力は怠らないようにしなければ。
栽培技術と経営能力は別物、なんでしょうが、両面で、自分なりの納得できる線を出していかねばなりませんね。私は「欲深(とよく夫に言われる)」なので、すぐ「隣の芝生は青い」ように見えてしまって、ふらふらしてしまうのですが。
投稿情報: とびら | 2006/11/09 04:50
あさひやさんは、がんばられていますね。
「自分なりの納得できる線」がひとそれぞれなのでしょう。
あさひやさんの畑には行ったことがありませんが、僕のところもこんなところで野菜を?と言うほどにとんでもない土壌のようで、結果借金をして機械の力を借りています。
僕なりの納得できる線のために、この地では機械が必要でした。
決して、産業のためではありません。
せめて、あとから農の世界に入る人の中で機械を使ってみたいと考える人、の参考例になればいいナとは思っていますが。
なんか、ぜんぜん違う話になってしまって申し訳ありません。
投稿情報: te-te | 2006/11/11 00:40
こんにちは。
ちっともがんばっていない、とりのさとです(苦笑)。子どもがまだ小さいとか、小中であるとかだと、まだまだでしょうけれども(そういう時も、あんまり力まなかったですが)、もう娘二人は家を出て職についていますので、あとは、消費者などの希望に応じられるように仕事するだけです。
「産業」の意味はよくわかりませんが、最終的には「納得、得心」の心境でいいんじゃないでしょうか。「我慢の有機農業」でなければいいのだと思います。
取引先に「くらしを耕す会」というのがあります。「人間関係・ネットワークを耕す」って大事だと思うんですよ。私の場合、農場を支えてくれたのは、ネットワークのような気がしています。
もちろん、農場の中では、経営努力はしましたけれど。
投稿情報: とりのさとZ | 2006/11/11 18:46
te-teさん、とりのさとさん、コメントありがとうございます。
当方、技術は未熟、経営の方は「無能の人」の感があります。今後ともいろいろ教えてください。
それぞれ、抱える条件が異なり、選択の指針のあり方も違いはしますが、「交流」は可能だと思い、こんなこと(ブログ)をやっているわけです。
次は、玉ねぎのこと書こうと思っています。またよろしくお願いします。
投稿情報: とびら | 2006/11/13 04:24