東京新聞の11月27日の社説の題名が、「農業よ目覚めよう」でした。(クリックで読めると思います。すでに東京新聞のWEB上にはありません。)これを読んでの、晃の文章です。
危篤状態にいる人に、「目覚めの時です」と声をかけるのは、遺言を聞くためなのでしょう。いくらかは文化遺産として受け継がれていくのかもしれませんが、根を絶たれた遺産が、将来再生の手掛かりとなるかどうか疑問です。
何もかもが商業化し、経済換算されることに、異を唱えたいのです。
私も含め、新規参入した農家の多くは、生産・加工・販売を手がけています。しかし、社説や都会の一部の人が言うように、農業再生の切り札になるとは思っていません。これは、自分達の苦しまぎれの生き方なのです。
本物は手間暇がかかります。作り手が望むような、大切なことを守って納得がいく仕事によって生み出されるものは、「人々に普通に愛されるもの」から遠く離れていくばかりです。
かつてあり得たものが、どうしてすたれていくのか、考えてみてください。
風土に根ざすとは、風土に縛られること。こだわるとは、限りを作ることです。
それなのに、都市住民と同様、田舎の生活者も、お金で生活しなければならないからです。理解する尺度・余裕を持っている人は、あまり見当たりません。
いつでもどこでも買えるものは、まがいものとになっていきます。
今、農家は職人、芸術家であるよりも起業家となるよう求められています。
何故、多くの職種のように農家が作ることに専念しては、いけないのか? 私には、食べ物を侮り、お金を過信している人たちの横暴が見えます。
TPP参加で、米麦大豆など基幹作物の居場所が奪われることになるといわれています。
農業のすそ野は、一変します。それは、精神風土、心象風景といったものへの、根底的打撃となり、ついには、この国の物作りへの熱心さや勤勉さを育んだ土壌そのものを破壊することになります。共有するイメージを実現するための無言の無償労働によって守られてきた、この国の故郷、全ての産業の故郷を失うことになるかもしれません。
目の前の利益をみすみす取り逃すリスクよりも、はるかに大きな代償が存在するとわかってほしいのです。
私が20年間に垣間見たのは、広大な農の世界のごく一部でしかありません。豊穣な世界が語らぬまま荒野へ帰っていくかも知れません。
私は、朴訥だったり意固地に見えたりする先輩の仕事の中に、大きな領域に通じる扉の鍵が隠されていると信じて疑いません。
故郷とは、たぶん景色のことだけ言うのではなく、その向こう側でこれを支える人々の営み、安心して任せられる仕事ぶりのことを言っているだと思います。
社説は、百年の尺度を持って語ってほしいものです。やれ「幸福の国ブータン」、「TPPに遅れるな、国益を守れ」と、節度、分別というものが感じられません。
グローバリズムクラブからは、脱退すればよいのです。グローバルな世界は、否定しようもありませんが、あくまで来る者拒まずの姿勢に留め、下らぬ横車を押して、大切なものを圧殺してはなりません。
当然ここにも、リスクは存在し、受け入れねばなりません。
この国はしだいに貧しくなり、先進金持ちグループからも退場していくことになります。
しかし没落とは一方的な見方で、新しい地平を切り開こうと苦闘する姿が、かならずやそこにあります。その姿が見つけられた時、この国は、世界にとっての朗報となります。
投稿情報: 2011/12/14 | 個別ページ | トラックバック (0)
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もはや、隔週のお客様には、「年末便のお知らせ」を同封させていただくことになりました。以下は、残り少なくなった今年を振り返っての夫の文章です。
▼百姓というと、草むしりとか種まきとか、地味な仕事にあきもせず明け暮れる営みだと思われます。でもこれらはみな、劇的な仕事に立ち向かうための、小さな下準備のようなもの。本領は、尺度で測れぬ巨大な生き物相手に居場所を守る闘いとも言えるし、天体の運行とか宇宙の膨張とかの真っ只中に、人が生きる足がかり手掛かりを得ようと、爪を立てしがみつこうとしている営為だと、イメージしてほしいです。食べ物が出来て、作物が実際に実って、ほっとすることに支えられてきたけれど、明日はどうでしょうか?地道さだけではどうにもならない、かといって、手立てを尽くしたとして、地道さに何かが付け加えられたのか、確信を持てないまま、収穫を待つことになってしまいます。
▼あれ以来、頭から離れません。野にいてもそうです。脳ミソの何%かは、常に放射能の影響下にあるので、ミミズを見ても草を見てもイノシシのことを思っても、かえってそのことに思い至り、離れられません。人が変わるとは、こんな風なのでしょうか。この国の多くの人が、私のように、あるいはもっと差し迫った理由から、大きく変わらざるを得なかったのだと思います。お客さんに、優しい言葉や励ましの言葉をいただきながら、その表情のどこかに一瞬、悲しみの影が差したように感じられるのだから、残念でなりません。
▼怒り、悲しみが毎日の生活を押し潰すことがないように、皆で新しい喜びを生み出すことを目指しましょう。朗らかな笑いに始まり、大笑いがうっせきしたものを洗い流す日を、招来したいです。(12月5日 晃)
料理メモ~きりたんぽ
出荷作業を手伝ってくれている、ちゆさんからヒントをもらって、やってみました。
ご飯(炊き立てがいいけど、冷やご飯でも)を、すり鉢すりこぎで、半殺しにして、片栗粉を少々混ぜて(加熱した餅をまぜてもいい)、塩水をつけた手で、割り箸(割らずに使う)にクニュクニュくっつける。まな板の上で転がして形を整える。全体を濃い塩水をくぐらせると崩れにくくなる。魚焼きのグリル(くっつかないように、オーブンペーパーなど敷いて)やフライパンで、周囲に焦げ目をつける。暖かいうちに、箸をぬいて、さまして半日くらい休ませる。鍋の用意ができたら、一口大に斜めに切ったきりたんぽを投入、3分くらい加熱して、いただきます。
(さし絵のモデルは、ショウガです。照手がつけた題は、「奪われたもの」、です。)
投稿情報: 2011/12/11 カテゴリー: 菜園たより(隔週発行) | 個別ページ | トラックバック (0)
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◆師走を前に
恒例の、年末年始のお知らせです。
年末は金曜コースの方、年始は月曜コースの方に、変更がありますので、ご確認下さい。
炒り落花生のご紹介も。今年は豊作なので、少し値下げしました。
また、前号で少し触れた、卵不足について、裏面に夫の文章を載せてあります。卵のお客様でない方にも、読んでいただければと思います。
TPPが成立すると、地産地消を支える農業とともに、自分達が利用している、地域に密着した小さな加工業者(JAの個人向けの製粉所とか、落花生の焙煎業者、地粉の製麺所)も、消えていくかもしれません。先日、私は、食の「ブラックボックス」化が何をもたらしたか、について描いたアメリカのドキュメンタリー映画「フード・インク」を見て、TPP反対への思いを強くしました。皆様も、機会があれば、是非ご鑑賞下さい。
◆炒り落花生はいかがですか
品種は、「豆自体が昔懐かしいコクと甘みに富んでいる」といわれる「千葉半立」。毎年、自家採種して作り続けています。殻がしっかりした完熟落花生を、洗ってカラカラに乾かしてから、業者に焙煎してもらって、うちで袋詰めしています。毎年大好評です。今年は、180g入り ○○○円で、ご希望の方に販売します。数に限りがありますので、お早めにお声をおかけください。
◆年末年始のお知らせです
◎12月28日(水)までは通常どおりです。 ◎ 1月 4日(水)より通常通りとなります。 ★印の項が、通常と異なります。ご注意ください。
・月曜 配達、発送の方
配達~最終便は、26日(月)です。★年始は、2日はお休みで、9日(月)より始まります。
発送~宅急便の最終は、27日(月)発送、28日(火)到着です。★年始は、3日到着便はお休みで、9日(月)発送、10日(火)到着です。
・水曜 配達、発送の方
配達~最終便は、28日(水)です。年始は、4日(水)より始まります
発送~宅急便の最終は、28日(水)発送、29日(木)到着です。年始は、4日(水)発送、5日(木)到着です。
・金曜 配達、発送の方
配達~★ 最終便は、29日(木)です。年始は、6日(金)より始まります。
発送~★ 宅急便の最終は、29日(木)発送、30日(金)到着です。年始は、6日発送、7日(土)着でのお届けです。
年末最終便の1回前のセットに、それぞれの方の、「年末年始の配達予定日及び最終セット内容予定品目を書いたチラシ」を入れます。ご覧いただいた上で、配達日の変更、お休みなどについてのご連絡をお願いします。
◆卵不足について~ご迷惑をおかけしています。申し訳ありません。
朝とか夕方に照明点灯をして、鶏に日照時間が短くなったことを悟られないようにするのが、普通の採卵養鶏です。日が短くなったり、過大なストレスがかかると、鶏が休産期に入るからです。点灯できない「野の扉」では、昨年まで、春生まれのヒナを導入して、秋に卵を生み出す若い鶏で、産卵減少分を補う、というやり方で、やりくりしてきました。
しかし、今年の春は、春ヒナを導入しませんでした。できなかったというのが正直なところです。自分の中に迷いがあるからです。体力的な問題と、鶏の前途への不安とがあります。迷いは、春以降募るばかりです。原発事故に続き、TPP問題です。
津波によって、魚粉(飼料の中では、主な蛋白源となる)の供給量が減少したことに始まり、放射能汚染は人間の食糧のみならず、国産飼料に大打撃を与えました。「野の扉」の養鶏についていえば、クズ麦であり、米ヌカ、クズ米の問題です。これらの供給停止や、遅滞に対して、私達は、早くから行政(寄居町、埼玉県、JAふかや、家畜保健所など)に対策を進言、要求してきたのに、ほとんど間に合わず、実行に移されず、道筋も描けていません。たとえば、うちが使っていた、地元の無人精米所から出る米ヌカは、どこの米のヌカが混ざるかわからないからと、いまだに、JAが販売を停止しています。
TPPに関して言えば、クズ麦、米ヌカ、大豆粕(オカラ)が、将来的に、供給減少や潰滅に向かう可能性もあります。また、この国の畜産がほぼ依存している輸入飼料は、遺伝子組換え作物の拡大に、圧迫され続けています。私達は、輸入飼料へ回帰することは考えていません。
私の体力ばかりでなく、この国の体力も不安を抱えているということです。私が今考えているのは、小さな「野の扉」の養鶏をもっと小さくしていくことです。色々な「もしも」に備えるためです。私達は、定期購入してくださる皆様と鶏達の双方との約束を(鶏達との約束は一方的ですが、責務は負っています)果たせるよう、足りないながらも努めてきました。この、できる約束が小さくなるということで、これまで以上の減数をお願いしていくことになります。
飼育する鶏の群れが小さくなる分、季節による産卵数の変動も大きくなりますが、皆様への影響はできる限り小さくなるように、努力していきます。なにとぞよろしくお願いいたします。
知恵と力の不足を感じています。皆様のご意見をお聞かせ下さい。(2011年11月21日 晃)
投稿情報: 2011/12/11 カテゴリー: 菜園たより(隔週発行) | 個別ページ | トラックバック (0)
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以下は、夫が書いて、昨日、東京新聞の読者欄に投稿したものです。3・11以降、何度も、投稿していましたが、久々です。1回掲載されて、図書カードをもらいましたが、すでに掲載された新聞は、野菜を包むのに使ってしまっていたので、何を書いたのが「当選」したのかわかりませんでした。
多分採用されないと思うので、ここに掲載します。本人は、「もう遅い」とか言ってますが、タイプする私だって、なかなか忙しいのです。(泰子)
少なくても分け合うことができたのに、分けたくてもカラッポの状態になります。
震災と、原発事故、そしてTPPの話です。
野田さん、岡田さん、山田さんなどは、風前の灯。
豊田さん、本田さんも大丈夫とは言い切れません。
私は埼玉県民なので、上田さんの心配もしています。
みんな田んぼから生まれました。
効率の上がらない、けれど立派な田んぼの恵みに育てられ、お米を糧に生きてきたのです。
けれど、TPPに参加するなら、米倉(こめぐら)などは、いつの間にか「べいぐら」になっているかもしれません。
グローバルな世界、自由貿易などと言っても、世界の国々が多様性を失い、均一な生活を送ることが素敵なこととは、とても思えません。
この国が、その姿形をすっかり失い、なおかつ、世界のどこかで何か「事」が起こったら、人々が途方に暮れる日が来るかもしれません。
「自由化」を推し進める人が、強欲を悔いて、「皆で分け合いましょう」などと、今できぬことを言い出す筈もありません。
そこで提案です。この国の姿形を残し、食糧の安定供給を目指し、TPP参加を見送ります。そして、TPPなしでは生き残れない産業に補助金を出すのです。
生命の安全を第一に考え、国の進むべき道を決めましょう。永久に栄える産業はありません。ことに自由競争の元、覇者は入れ替わるのが、定めです。
しかし食糧は、人が欠くことのできぬ不変の基盤です。
投稿情報: 2011/11/18 | 個別ページ | トラックバック (0)
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◆ぼっち、ぼっち
稲ワラの「ぼっち」を見たことがある方は、いらっしゃると思いますが、左の写真(クリックで拡大)は、落花生の「ぼっち」です。
いつもですと、掘り上げてすぐ、その場で、株から実をはずして、洗って選別して干すのですが、今年はずるずると仕事が遅れ、このままでは土の中で傷んでしまうからと、とにかく掘り出すことに集中。掘ったあと、畑に積み上げて、乾いてから脱穀(というのだろうか)することにしました。 近所の老農家が、こんな風に積んでいたので、まねしました。
本場の千葉での本格的な「ぼっち」(右→)には及びもつきませんが。 上の写真の左端で、黒いズボンで頑張っている人は、近所の若き農業後継者のMくん。このところ、畑作業を時々一緒にやっています。落花生掘りは初体験。炒り落花生できたら、いっぱい差し上げよう。
◆「ノラのパン」バザーデビュー
10月29日、隣町の「おにっこハウス」さんでの、「おにっこハロウィン祭り」に、息子の「ノラのパン」が出店させていただきました。当日焼きにこだわって、早朝2時から作業開始。意気込んでたくさん持ち込んだのに、1時間ほどで完売。いろいろ勉強になったようです。看板は、永久保存。
ちゆさんの<料理メモ>~キムチ風味の浅漬け
◎材料は、キュウリ=2~3本、大根=3分の1本、人参=1本。豆板醤(大さじ2以上)、てんさい糖(あるいはハチミツ、大さじ1)、しょう油(大さじ1)、酒(大さじ1)、昆布(2切れ)、粉末ニンニクとショウガ(少々)
◎短冊切りにした野菜をタッパに入れて、調味料であえる。冷蔵庫で一晩置いて、食べる前に、お好みでごま油や、刻んだルッコラなど加えてあえてもよいです。
(材料はあるもので、調味料もお好みで。私は粉末ニンニクの代わりに、刻んだニラを使いました。最初にちょっと野菜に塩をふって、水気を切ってからあえてもいいかと思います。)
★日が短くなる季節に入ったうえ、9月に鷹が何度も鶏小屋を狙ってストレスがかかったこともあり、鶏の産卵がとても落ちています。減数やお休みをしていただくことが多くなります。ご容赦下さい。(10月31日 泰子記)
投稿情報: 2011/11/08 カテゴリー: 菜園たより(隔週発行) | 個別ページ | トラックバック (0)
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注)以下の文章を書いた伊藤晃が、10月31日に、JAふかや執行部に渡した「要望書」については、末尾に掲載しました。執行部の方の反応は、一言で言えば、「個人的には理解できるが、JAとしては動くつもりはない」というものでした。そのような場を設定していただいた、地区の理事の方のお骨折りには、大変感謝しています。(WEB担当)
◆農協の不思議
TPPが農家を直撃する経済的問題とするなら、放射能汚染は農地を破壊する物理的問題です。どちらも、農家が安心して生産に励む基盤を崩すものです。国民の生活に及ぶ影響は想像も及びません。生産者のみならず、消費者も同様に大切なものを失うことになると思います。
TPPに反対することが出来るのに、なぜ原発に反対することが出来ないのでしょうか? 私にはわかりません。
命と緑を守ると言いながら、TPP反対だけを言うならば、推進派が言う様に、「農家は小さな既得権益を守ろうとする」「反対の声を盛大に上げるのも、政府から出来るだけ金を引き出そうという魂胆なのだ」と、いつものように農家の思いは矮小化され、看過されます。
農家は小さな既得権益を守るために、農業を、非効率な細かく区切られた農地を、守ろうとしているのでしょうか?
この国の農家のほとんどは、儲ける為だけに農業をしているのではありません。誰もがお金は必要ですが、命をつなぐ糧を作ることを誇りとし、たとえ収入は少なくとも大切なものを守り伝えることを責務と感じているのです。
都市は、農村にとって、子であり、孫であります。
都市は、一人で育ったわけではなく、農村に育まれ成長してきたのです。農業はいつも天災と向き合い、粘り強く乗り越えてきました。
しかし人災は、大きな痛手、予想外の裏切りです。原発震災に続き、TPPという途方もない返礼を、子や孫からつきつけられることになるとは、思いもよらぬことと思います。
多くの農家は、アメリカ式、オーストラリア式の農業をしたい訳ではありません。自分の耕作地の地形や風土の中で、長い時間かけて先達が切り拓き、育んできた技を守り伝えて行きたいのです。高付加価値を持った、輸出に耐えられる食べ物を作ることよりも、当たり前の食物を作り、提供し、喜びをもって食べられることが、望みでもあります。
今多くの農家は「あなた方は、もういらない」と言われたように思っています。「開国によって、この国の食べ物はよその国の人が安く作ってくれる」という、傲慢な世界認識と国策によって、この国が農村漁村から徐々に息絶えていくのがわかります。
しかし、徐々に、とは、希望的な観測かもしれません。
◆この国の不思議
ところで、この国での大局的視点といえば、経済が拡大するか否か、目先の儲けを得るか否か、といった有り様で、せいぜい半年後の「長期的」視野しか持ち得ません。
激変する気象の中で農業を営むには、気候風土に調和しようとすることが、肝心です。欲張っても、土や風に寄り添わねば何ものも生まれず、育つこともありません。
お金の力で、世界を調和させ、この国の調和を保つことなど、できる筈もありません。テクノロジーも同様です。
過去消え去った文明はみな、発展の果てに自分の足元を崩し滅亡していったようです。
今日の繁栄を礼賛しても、嫌悪しても、私たちは己の足元を汚し傷つけています。崩れ落ちるのが何時かは誰にも解りませんが、「私達だけは違う」とおごり、危機を侮る人ほど、足元を気遣うことなく破壊します。
文明はいつもその外側からの収奪によって肥え太ります。「テクノロジー」は、外側から収奪する為の道具のことを、体よく言い換えたものです。
外側に何もなくなったとき、果てまで文明が行き渡った時、文明は、再び、中心部が外縁部から収奪するようになります。足元を切り崩すとは、このことに外なりません。
原子力発電所、TPP、1%と99%、の問題は、みんな同じような構図と見えます。
滅んでも、滅んでも、再生し、繰り返される過ちは、どこにあるのでしょう。再生を助け、支える知恵と、恵みは、どこから生まれるのでしょう。
滅びながら考えます。再生を信じながら考えましょう。
冒頭の(注)にあります、JAふかやへの要請書は以下の通りです。
JAふかや執行部殿
福島原発事故による災禍の全容が、未だ明らかにされず、放射性物質の放出も、収束の見通しが立っていないにもかかわらず、北海道の泊原発の営業運転が再開し、他の原発の再稼動も取りざたされています。
私達は、福島県、群馬県のJA組合員の、原発に対する確固たる想いを受け止め、同志として連なるように、東日本各県のJA、全国のJAが、脱原発の道を続かれんことを願います。
また、組合員一人一人の声が、国政に反映されるよう、原発に関する国民投票の実施を請求する運動の中核となり、これを推進されることを切に願います。
JAは、この国の食を支える要として、影響力とそれに見合う責任とを有しています。今は、とりわけ、放射能を被災した農家の立場に立った行動が望まれています。
東日本の多くの農家は、数千から数万ベクレル/㎡の放射能汚染を受けた耕地に、朝から晩まで、貼りつくようにして毎日を送っています。農家の平均的年齢が高齢化し、若い後継者が育っていかなければいけない時に、何という過ちが犯されたことでしょう。
また、内部被曝の問題も、固唾をのんで、見守られています。農家は、否応なく土ぼこりを吸い込む職業です。食べることに加え、吸入によって、より危険にさらされる人々が、何の防護装備も持たぬまま、仕事と日々向き合っています。
JAは、この国の全ての人々の生活基盤、生命維持の根本を支えています。この誇りにかけ、進んで発言し、脱原発を訴えていかなければならないと思います。
TPPの阻止運動と同様に、JAがその立場を広く訴え、農業存立の成否をかけて、幅広く多くの人々と絆を結ぶことが不可欠です。農業の孤立、弱体化を、共にはねのけていければと願っています。
2011年10月31日
JA組合員有志一同
JAにつながる消費者有志一同
(文責 伊藤 晃)
投稿情報: 2011/11/06 | 個別ページ | トラックバック (0)
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9月18日に発表された「品川宣言」http://bit.ly/oksrmBに、異論があります。
この宣言の趣旨は、
「放射能に汚染された生産物=低レベル放射性廃棄物は、その線量の大小に関わらず、流通販売するべきではない、それらは、市民に対する加害物質であり、その供給は、人身に危害を加える傷害行為、ないしは殺人予備行為に他ならない」
というものです。
つまりは、東日本での農業・水産業を放棄するべきだ、という風に理解しました。
これをもってすれば、真っ先に被曝し、もっとも深く殺人的原発事故の影響下にある人(電力大消費地に原発立地を押し付けられた人)ほど、生産者としては、重罪人として、指弾されることになります。とうぜん私自身も、罪人とされましたが、反論したいと思います。
人間の歴史を振り返り、今の社会を見渡すならば、品川宣言のような考え方も、想定できないことはありません。届かないかもしれませんが、以下述べます。
私は、生産者と消費者が、いがみ合ったり、分断されるために、書いているのではありません。しかしながら、東京の地で、このような宣言をすることには、同意できません。福島及び周辺の生産者と共にできる宣言を、改めて、構想していただきたいと思います。
「ヒト」は、いつも、自分の都合だけで、目先のことだけ考えて生きています。私自身、九分九厘そうです。
福島の事故に至る経緯も同じでした。
「ヒト」以外のあらゆる生き物も同様なので、「ヒト」だけを責めることはできません。しかしながら、「ヒト」は並外れた破壊力を持ちながら、虫ケラと同じで本当にいいのでしょうか。
ほとんどの人と同じように、私も「嫌だ」と思います。もう少し、控え目な虫ケラになりたいと願います。
福島の事故は、「ヒト」が引き起こしました。それなのに、「ヒト」以外の生き物たちも被災しました。「ヒト」が「人の命は何よりも尊い」という時、カマキリも、他の生物も、「カマキリの命は何よりも尊い」とか、その様に生きています。「ヒト」が汚しておいて、「ヒト」だけが汚れを拒むのは、腑に落ちないのです。
私達百姓は、「ヒト」の反映の手先となり、食糧を生産しています。そして最前線で、他の生物を殺す役割を担っています。しかし同時に、「ヒト」以外の生き物達が、もつれ合うように生死を展開し、結果として土を肥やし、食べ物の源へと流れ込み、恵みをもたらすことも、承知しているのです。
「ヒト」は、”法”にのっとり生きるようにしています。”法”には、「ヒト」の権利とか義務とかがこと細かく記されています。しかしながら、世界には、「ヒト」の”法”など及びもつかぬ、言葉に尽くせない、さまざまな「掟」があり、何者もそれを超えて生きることはできないのです。「ヒト」の賢さ、公正さも、ほかの生き物が見たなら、いつでも、悪賢さやズルッコさでしかないと思います。
このたびも、最初に犠牲になったのは、地べたに張りついたまま老いた方々です。
いずれにしろ、ベクレル、シーベルト、NDとかは、誰も実体験できない、「ヒト」だけの決め事です。原発同様未熟な知恵で、「ヒト」が統御している知恵ではありません。利用するべきは、最も危険にさらされる人々(子供や、激甚な被災地の人々)を救出するためにであって、それを刃のように振りかざす前に、打ち降ろす先がどこなのか、自分達は何者なのかを考えなければなりません。
40年ほど前の、寄ってたかっての百姓蔑視の風潮を思い出します。
ついに「百姓」は、放送禁止用語となり、ふたをされたかっこうで、忘れ去られました。
今60歳位の農業者は、そんなさ中に、割に合わぬ職業を、代々の家業として継がれた訳です。七十代、八十代の先達も、そんな無慈悲な世界を耐え忍び、今日まで、田畑を守ってきたのです。
黙々と耕す人達は、お金の為にだけに、作物を育てているのでしょうか。農家は皆、大切なことと、生活の為のお金、の間で苦しんできたことと思います。
そうして、腰をかがめて田畑に向かう人々の背中に、放射能は降りました。
田舎に広がる田園風景を思い浮かべて下さい。
都市で生活する人も、都市から移り住んで20年そこそこの私も一緒に、この風景が築かれるまでの長い歴史を想像しましょう。そして未来の風景も思い浮かべてみましょう。
食糧自給率30%でも、何不自由のない生活。一部の人々が言うような「この国には、非効率な農業はいらない。農業は、お荷物でしかない」
グローバルな市場原理に基づく世界は、まだ始まったばかりのものです。しかも、世界の人口増、気候変動、世界の人々の食生活の変化を前に、きしみを立て、食糧問題には、暗雲が立ちこめています。
もう一度、この国の田園風景を思ってください。この風景を作り上げた気も遠くなるような営為を、この景色が生み出す恵みの深遠さを、考えてください。
目に見えぬ「ベクレル」とか「シーベルト」で汚した、途方もない罪悪を、大人たちは皆深く悔いなければならないと思います。
切り捨てる患部などでは、まったくありません。私達が手を差しのべ、共に歩まねばならない、現在も未来も共に、ここにあるのです。
伊藤 晃
投稿情報: 2011/10/23 | 個別ページ | トラックバック (0)
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9月21日
刻々と奇跡は起こっていた
誰もが驚く風でもないのは、どうしたことだろうか
見過ごしていた?
まさか
世界が朽ちていく時に、ありふれた奇跡に心開くより
わが身の上のことに熱中していた?
世界を放置しておくのは、「あなたはゼロだ」と言った者達に、背を向けているのか?
世界もろとも、あなたの未来も細っていく
私のゼロは希望する
多くの「0」に続きようやく現れる「1」を
希望するゼロとなりたい
繰り返される非道の歴史
ならば、無かったこと、無き者へと連なればよい
無数のゼロたちの道は、やぶに隠されている
ゼロ達が、ムシロ旗を掲げ
やぶを抜け出し前進を始める
この道こそ「王道」
おごれる者、欺く者も、畏れ
道を譲れ!
10月9日
糸口を捜すような生やさしい時は過ぎた
そこここにある ほつれもつれに
一度に向き合い、手当し、少しずつでもつくろわねばならない
手を尽くしても
一歩も進めない日々は長く続くだろう
しかしどの傷口も忘れてはならない
忘れられ、置き去りにされたヶ所はゆっくりと死んでいくかもしれない
それは全体の死の始まりなのだろう
もっと目を凝らし、耳を澄まし
気付くことができたらいいのに
私達が一つまた一つカラを破ることができ
新しい泉、忘れられていた水脈が見つけられますように
10月17日
我らは、取り込んだ放射能を体外に排泄せぬ太っ腹を持とう
お金ではなくセシウムを
蓄えるだけ蓄え、放射性廃棄物として、焼かれるのです
高レベル放射性廃棄物として骨ツボに入り
土中深く埋められるのが上策です
元気で長生きすることが大切です
放射線に破壊されぬ二枚腰の核酸、細胞を持ち、セシウムが体内で崩壊することがないよう安心させるのです
田畑とて同じです。セシウムを流出させない土壌を作り上げなければなりません
百年二百年放射能を吸着し放さないような腐植・有機質に富んだ土壌を作り上げるのです
そうして油を作り、売るよりも、セシウムの取り込みの少ない多種多様の、見た目も味もよろしい野菜を作り続けるのです
水に流したり、横に流したりするのではなくて
しっかりと保守することを考えます
場当たり的、思想のない政治は、迷惑にも居座り続けています
放射能に汚染された農地を放棄し、TPPによって安くなった農産物を輸入、食糧危機になったら、荒廃した農地を回復すればいい
放射能汚染とTPPで潰滅する農山漁村、人気のなくなった沿岸部では、原発を増設再稼動させる
失業者はそんなところに送り込まれ、雇用は保たれる
エコノミックアニマルといわれて久しいけれど、本当に何もかも切り捨てて人は幸せに生きられるのかな?
お金を摂り込み、按配を見て横に流していけばよいと本気で信じているのかな?
投稿情報: 2011/10/19 | 個別ページ | トラックバック (0)
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