3・11以後、ずっと頭のすみにくっついて離れないこと、「食べること」と「測ること」についての乱れる思い。
8ヶ月以上経過した今、少し整理できるでしょうか。
★きっかけは、白崎裕子さん(注1)の連続ツイートです。11月15日。自分の心の中をのぞき込み、深いところまで降りて行って、3・11以降を生きてこられたのだということがわかります。
「未来を変えるということは、自分自身が変わるということです。自分自身が変わって力強い生き方をするということ、そして結果として周りの人々を巻き込んで行くこと。ここに他者は関係ないのです。私が言いたいことはひとつだけです。 料理をしましょう。」
主宰する料理教室のスタッフの方がまとめてくださっている(http://togetter.com/li/215337)のをこの記事の最後に全文引用しています。
うちが、「菜園・野の扉」という「生産者」として、いつもいつも、放射能のことが頭から離れなかったように、「消費者」の方も、不安と混乱の中で、さまざまな選択をしていらしたと思います。とてつもなく深い苦悩の中にあった福島の高度に汚染された地域と比べることはできませんが、低線量被曝についての言説の初期の混乱によって、起こらなくてもよかったはずの対立もありました。(いわゆる年間100ミリシーベルト以下の被曝は、大丈夫説=超訳・放射能汚染1?疫学が示す「100mSv未満は大丈夫」 | FOOCOM.NET http://bit.ly/v99MVF とか。この松永さんという方については、原発業界御用学者リスト @ ウィキ - 松永和紀 http://bit.ly/uS7dlf に詳しいです。私には判断できないので、こちらを読んでください。)
★たとえば、私が「生産者」だからか、どうしても、「(自分の)子供を守る」ことに集中していらっしゃる「消費者」の主張(「生産者を守るために子供を犠牲にするのか」「ゼロベクレルを」という声とか)には、距離を感じていました。「生産者」ではなく「産地」を守らなければ、子供達の未来も守れないのにと、思うのです。そして、プラグの向こうを想像せずに、放射能を降らせてしまった大人たちの責任は、今の子供を守るだけではなく、未来の子供をも守ること、つまり原発をなくすことで、果たされるのではないのかとも思うのです。でも、11月に入って、こんな方の言葉を見つけました。
「(福島の)高線量地区に子どもたちが放置されているままでは、首都圏や埼玉で子どもたちを守るための対策を求めても、説得力をもちません。」(「埼玉の子どもたちを放射線被曝から守る会」のブログの記事「やっと国が…『放射性物質から子どもと妊婦を守る法案』より)
http://saitama311.seesaa.net/article/234901855.html
そうなんですね、福島を思いながら、活動されていたんですね、と、同じ埼玉にこういう方々の運動が広がっていることを誇りに思います。
この混乱の8ヶ月を経て、食品(特に給食)の放射能検査や空間線量の測定の体制は各地方自治体レベルで相当整ってきました。こういう方々の運動の成果だと思います。
★そして今、田中優さんのメルマガを引用したブログの記事に、不毛な対立の向こう側の、共に担う課題が見えてきます。すでに、6月くらいから、関東圏ではほとんどの野菜で放射能は1Bq/KG以下になっています。なのに、西日本セットに走る方々もいる… 読んでいただきたい。「測ること」が「食べること」につながって、その先を考えられるように、やっとなってきたのですから。
「ポスト3・11、何を食べたらいいのか」
http://bit.ly/utmRvb
「私たちは当面、にわかベジタリアンになろう。
とにかく安心して暮らせることが大切だ。
そして落ち着いた気持ちになれたら、本当の元凶である原発を止めよう。
大丈夫、脱原発を求める私たちの方が確実に多数派なのだ。
テレビ・新聞が何を言おうが放っておけばいい。
私たちは圧倒的多数派なのだから、今の仕組みの方を変えてしまえばいいのだ!」
★それから、たまたまツイッターで知った、埼玉県越谷市の市議会議員辻こうじさんの言葉にも、共感しました。
「昨日の肥田舜太郎医師の言葉「自分が自分の命の主人公になって下さい」。3.11以降、数値に一喜一憂し、対策を求めてきたが、生きるということは被曝の数値だけじゃ割りきれない。科学的見地とはまた違った次元で「生きる力」ということは存在する。60年以上被爆者と生きてきた結論だと思う。」11月27日
★「自分が自分の命の主人公になるために」
それぞれがそれぞれの場で、今までと違う生き方を選ばざるを得なくなったのが、3・11以降なのだと思います。
自分達は野菜の生産者ですが、ほかのものについては消費者。プラグの先を想像するように、たとえば、店先でキノコを見たときに、その生産者を想像できるのか、魚を見たとき彼らが泳ぐ海を想像できるのか、日々試されていると思います。
★そして、「主権者」としても、「主人公」になるために、うちは、「みんなで決めよう『原発』国民投票」http://kokumintohyo.com/の運動に関わってきました。
今、この「みんなで決めよう『原発』国民投票」の埼玉賛同人会(200名を越えています)では、県内でさまざまな活動を行なっている団体に、国民投票への賛同のお願いを配信するべく、準備を進めています。埼玉県独自のサイトの構築も射程に入っています。もっとわかりやすくこの運動を伝えていけるようになると思います。
また、8月に発足した、私が所属する「寄居町耕す人の会」では、3月の寄居町議会に、「原発に関する国民投票の実施を求める意見書を、国に提出していただきたい」という請願を提出する運動を始めることが決まりました。正式にスタートしたら、このブログでも紹介したいと思います。
★そんなこんなで、11月は、短かった…
息子の独立(事業的には9月に、「ノラのパン」として独立採算に。今回は住居)のことでもドタバタしましたし。もう、12月も5日過ぎてしまって。無事、年の暮れを迎えられるのか…
国民投票については、「原発国民投票 「通販生活」と「朝日新聞」と「東京新聞」」という記事を - 「くぬぎの森 起請文」の情報交差点に載せました。よろしければご一読を。 http://bit.ly/viwn6S
近々、「菜園たより」を2つまとめてホームサイトにアップしますので、そちらもよろしくお願いします。晃の長文、短文があります。
注1)白崎裕子さんは、神奈川県葉山で、海辺のオーガニック料理教室「白崎茶会」をやっています。HPは、http://www.shirasakifukurou.jp 著書は 「にっぽんのパンと畑のスープ」(http://amzn.to/rF6673)「にっぽんの麺と太陽のごはん」(http://amzn.to/uNHS4l)「魔女のレシピDVD」
★「料理は最大のメッセージ」http://togetter.com/li/215337 より白崎裕子さんの連続ツィートの全文転載
もしみなさんが日本の未来を変えたいと願うのであれば、毎日食べているものを見直すことです。毎日食べているものが、「実は何を応援しているのか」を考える必要があります。
スターバックスでコーヒーを飲みながら語る原発反対や、マックで打ち合わせをしながら考えるTPP反対は、あまり効果的ではないと思います。それは、やらないよりはマシな、でも、つじつまの合わない特別なイベントだからです。何を選び、何を食べるのか。それはとても重要なことです。
未来を変えるということは、自分自身が変わるということです。自分自身が変わって力強い生き方をするということ、そして結果として周りの人々を巻き込んで行くこと。ここに他者は関係ないのです。
まわりくどくなりました。私が言いたいことはひとつだけです。 料理をしましょう。
コンビニ食にスーパーのお惣菜、手作りのお弁当でさえフタを開ければ 解凍するだけで食べられる冷凍食品が詰まっています。 汚染を気にしてこれらの食品のひとつひとつの原材料の産地や工場の所在地を調べるのは容易なことではありません。
パソコンに向かい何十種類もの原材料を努力して調べ、外国産だとわかるとホッと胸をなで下ろして購入。これをくり返すことが本当に効率のよい選択なのでしょうか? 以前と同じ暮らし方をしながら、自分自身は何も変わらずに安全な暮らしを求めるには、今はあまりにも困難な時代だと思うのです。
私達の先祖は困難な時代に、毒キノコを嗅ぎ分け、山菜の強すぎるアクを抜き、ぬか床の酵素を使って生野菜を無害化し、煮沸して寄生虫を殺し、少ない食物の中から安全な食物を選び、また、なければ作りだして食卓にのせました。この「なければ作りだして食卓にのせる」・・ここがポイントです。
安全な食べ物を手に入れるという人が生きていくための最低限の技術、食べられない物を食べられるようにするワザ。それこそが「料理」なんだと思います。そして私達日本人は本来、その能力に長けているのです。その能力を眠らせたまま使っていない人があまりにも多く、なんともったいないことでしょう。
私達にはもっと違うやり方があるはずです。 まず、せっかく苦労して安全な食品を手に入れるなら、加工食品ではなく原材料を手に入れるべきです。そしてその原材料を使って自分で食べ物を作ってみると、驚くほど簡単で楽しい作業だということに気づくでしょう。
自分で料理すれば、まだまだ食べられるものはたくさんあります。制限のある数少ない原材料から、あらゆるものを作り出すことが出来るからです。それは今一刻の喜びではなく、訓練によってどんどん増えていく喜びであり、未来につながる作業でもあるのです。
料理は自分や家族に毎日送り続ける最大のメッセージです。 それは、やり方によっては「愛情」にもなり「暴力」にもなり、365日つねに発信し続けることの出来る何億人単位の「デモ」であるとも思っています。 ・・長々失礼しました。
これが今、私達に出来ることの中で、誰にでも、すぐに出来て、 もっとも世の中を変える可能性のあることだと思います。
以上。裕子さん、ありがとうございました。
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