前記事より、2か月以上更新なしでした。それでも、一日3、40回のアクセスがあるのは、農業関連記事の検索で引っかかるからと思われます(たとえば、白菜ハダニ、とか、ジャガイモごろごろ植え、玉ねぎとう立ちなどなど)。
実は、更新の意欲が減退していたのは、このブログの提供会社のシックスアパートが、ブログサービスをやめるという通知を昨年末にしてきたからなのです。またまた、ホームサイトも含めて引っ越さなければ、と思うと気が重く。新アドレスへの移行のお知らせをしたとしても、以前のように検索に引っかかることは少なくなるだろうし、それでなくても、農業関連の記事は、もう「古い」から、この個人ブログはやめちゃって、ホームサイトだけは、ほぞぼそと、名刺代わりに、片隅で生きさせ続ければいいか、と。
で、1月のイベント関連や、正月ノロウィルスのようなものでダウンして大幅に遅れた確定申告の作業などしていて、糀と味噌を2回戦仕込んで(今年は、塩糀とともに、久々にどぶろくを仕込みました、もう飲んでます、うまいです)また、原発放射能TPP関連の情報の海でおぼれて、ここまで来ました。
やっと、先日、ホームサイトに、3つの「菜園たより」の記事と、晃の文章を一つ、アップして、一息つきました。たぶん、このブログでは、サイトの移行のお知らせ(3月中にやらねば)以外では最後の更新となると思います。
3月3日を中心に、夫と(宿泊はずらして、息子に頼む留守番は1日として)、仙台に行きました。
東北新幹線に乗って、「中通り」というのを実感しました。右手の阿武隈、左の奥羽山脈に連なる山々にはさまれた低地をずうっと進みながら。あの阿武隈の向こうの海辺に、福島原発があるなんてこと、中通りの人は、私たち関東の人間と同様に、普段感じたことなかったんじゃないかなあ、と。寄居町のうちを出たのが朝6時、9時過ぎには仙台に着いてしまいました。
仙台には、20年以上前に一度来てます。娘が4年生で卒業するので、私にとっては最初で最後の娘のアパート(20歳前後を仙台で過ごした夫が、独断と偏見で選んで、引っ越しにも同行。リーマンショックの直後で、一応両親共働きのうちだからか、当然入るつもりだった寮に入れなかった)見学、いえ、別に築40年(?)のぼろアパートを見るのが目的ではなく、これも最初で最後となる、娘が出る演劇↓を観るのが主な目的でした。
「もしも縁があって、私たちが出会えたのなら それは」のサイト
5日間のすべて異なる内容の第2日目、25人くらい入る、小さな手作りスタジオで、自分たちと仙台の友人たち総勢7名で観劇。その後の展開のレジュメももらいましたが、ちょっと胸が苦しくなるような。
午後の開演まで時間があったので、まず、娘もよく利用しているという、↑仙台メディアテーク、という図書館も含めたビルに、待ち合わせていた夫と友人のK夫婦と。娘も関わった企画の「見過ごされてきたもの展」を観たかったけど、開場が11時。次の予定にかぶってしまって、観れず。私は準備している会場を階段下からのぞき見た。娘も制作に加わったという、赤いモバイルハウスが見えた。
次の予定とは、これ↓。
チラシを娘が作ったとかで、以前から知っていたので、仙台の知人たちも一緒に参加。
リレートークの一番手の方が、原発国民投票で、お名前を知っていた方だったので、名刺交換。
娘の親しい友人で、
というイベントを一緒にやっている方とは、記念?撮影。
仙台では、毎週のように、金曜デモがあるようですが、今回のウォークは、「上品に」女性中心でやるということで、トークも女性がほとんど。その中で、福島から来た方の話が、声も内容もスバ抜けて迫力がありました。
歩き出してから、Kさんと、夫が、「やるべぇ」というので、私が声を張り上げて、「ステテコォ踊り」(寄居町里山編の動画はここ。踊りは少し進化したと思う。ぜひ、解説の起請文を読んでみてください)を始めると、その女性も一緒に踊ってくれて、腰つきや身ぶりが即、決まっているのです。もう一人、いつも金曜デモで踊りまくっているピエロの方も、「これ、気に入った」と一緒に踊ってくれて、列の後ろの方で、少しばかり、「上品」でないことをして、主催者の方、ごめんなさい。
その女性、途中で、街角でスピーチをしている別のグループのところへ。最後に、お名前を聞いたら、知っている方でした。あちこちで、「かんしょ踊り」踊ったりスピーチしている方。3・11の福島での集会の宣伝に仙台に来ていたようです。
あとで、ネットで探したら、
「原発いらない福島の女たち」 国会正門かんしょ踊り~官邸前 2012-6-29という動画を見つけました。でかい警官の制止をものともせず、先頭で確信的に踊り続ける姿がありました。
昨日の秩父のイベント&デモや東松山ウォークには、行けなかったが、3月16日の深谷のデモに参加できるかなあ・・・
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