この公演を振り返ると、思い出す幼い頃の記憶がある。
それは母に連れられて行った日曜日のある教会でのことだ。(諸事情であまり語りたくないことだけど…)
その日は宣教師のお姉さんが祈る番だった。
お姉さんの顔も声も覚えていない。だけど、何かエネルギーだけは確かに記憶している。
その日、お姉さんは目を閉じて静かにゆっくりと語りはじめた。
それは父が先日亡くなったこと。思いもよらないことだった。
父への「ごめんなさい」「ありがとう」そして「愛してる」(…奇しくも飯田さんが舞台はこの三つで足りると言っていた)
お姉さんはボロボロ泣きながら長い間祈り語っていた。
そんなお姉さんの姿なんて見たことなかった。息が詰まった。
幼い僕にはショックなことで、多分、あまりにもショックで最近まですっかり忘れていた。
(ある時から教会にももう行かなくなったせいもあるのかもしれない。
不信仰ですねぇ、なんて(笑))
ただ、彼女が全身全霊で父へと語りかけるエネルギーだけは胸に残っている感じがする。
「ごめんなさい。」
「ありがとう。」
「いつまでも愛してる。」
僕らが、少なくとも僕が今回の舞台でやりたかったのはこれだと思う。
セリフがどうだとか、宗教がどうだとか、思想がどうだとか、性別が、国が、人種が…全部何もかも関係ない。
僕らが生きていく上で、本当に大事なことは「ごめんなさい」「ありがとう」「愛してる」だけだ。
これを言いたいために舞台で必死に苦労して、ときにはユーモアを持ってきたり、スタイリッシュに繕ってみたりする。
お姉さんが、もうすでに、神を通り越して父へと語っていたように、役者だってお客様という神様を通り越して、大切な誰か、あるいはこの世界の深部みたいなものに祈るために舞台に立ってる。
祈りはいつだって「ごめんなさい」「ありがとう」「愛してる」
中々、そこまで言えなくて、言い尽くせなくて舞台に立ち続けて行くのだろうか…。
この一生だけでは辿り着けないかもしれない、たった三つの言葉を伝えるために僕は役者として舞台に立って行こうと思う。
そうすることで、世界がほんの少し愛に満ちるように願いながら。
今回の舞台は僕の転換点かもしれない。
一生の目標を1つ得たのだから。
たとえ舞台を降りるときが来ても、三つの言葉に向かって歩いていこうと思う。
両親から与えられた、遥か遥かな身近な言葉。
遥か遥か、どこまでも遥かで…遥かだ…。
この公演の支えとなった全ての人たちへの感謝とご来場頂いたお客様への愛と祈りを込めて。
何より両親からの愛に感謝して。
本田椋
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