やはりいのちは不思議だ。
どんな知識よりも不思議だ。
いのちに関わる術も不思議だ。
言葉だけではうまく伝えられない。
シャマン術というのは、いのちを感じて愉しむ術だ。
お互いに、いのちを元気に活かし合う術。
古代から続く総合人間術。
イケイケ状態になるテクニックとしても知られている。
日本には、地域や宗派を超えて、みっつの心身術が伝わっている。
この術を広めたくてたまらなくなった。
切実に必要とされてはいるのだけれど、かつてなかったような新しい活動。
そういうことを始めると、時にはいぶかしがられたり、勘違いをされたりもする。
〈シャマン術国際協会〉とかいうまえに、〈シャマン〉って何?
このブログを読んでくださっている方の、そうした疑問もまた、予想されうる。
そもそも〈シャマン術〉って何?
〈術〉って言い方、あやしくない?
どこかうさんくさく、あるいはあやしく、あるいはあほらしく思う人もおられることと思う。
そうした方は、シャマン術というのは何なのか、ぜひ直に聴きに来てほしい。
1 術
術というのは何だろう。
いのちを大切にする術だ。
Life(生活・生命・人生)と結びついた世界では、術を用いる。
芸術、療術、そして各種の「道」など、いずれも、術を用いる。
テクニック・アンド・マジックのうち、テクニックが技、マジックが術。
技はマニュアル本で伝えられる。小手先の技もたくさんある。人格とも、生命とも、生活とも、人生とも切りはなして、技は身につけられる。いろんな身過ぎの職業、パートタイム・ジョブとかアルバイトなどでも、技は用いられる。技は、分割できる。
一方、「術」は分割できない。かならず、用いる人の身口意とひとつに結びついている。用いる人の、天職と関わっている。用いる人の、日頃の暮らしと、人柄と、ひと繋がりになっている。
密教などで〈身口意三密〉と呼ばれるみっつを、術は通常、同時に用いる。
身体と、呼吸と、意念とを、同時に用いる。
たとえば、身ずからの背骨を感じ、息を感じ、想いを感じていると、術は発動しやすくなる。
発声というかたちで呼吸を用い、発語というかたちで意念を用いることもある。発声法と発語を組み合わせて用いることが多い。
舞台歌手に、シャマン系のアーティストが多いことは、素直に腑におちる。
術は、人から人へと、エネルギーに乗せて伝えるほかない。人から人へ、体から体へ、こころからこころへ、直に伝えられる。
いのち、暮し、人生。このみっつを、イギリス語で言うとLIFEになる。術は、それを心得、身につける人の、LIFEと結びついて発動する。
「どうしてそういうことをするのか」
というモティベーション(動機)や、目的と、術はひと繋がりになっている。
術は、どんな人にとっても、とても身近で、日常的なことを扱う。術は同時に、応用範囲が無限に広い。身につけた当人の潜在能力をひきだして、生き心地そのものを広げてくれる。
術は総合的なものだ。言葉からはみだしたところで効く。決して言葉にはおさまりきらない。用いるときは、意識よりもむしろ、潜在意識を活用する。随意筋よりは不随意筋を、筋肉よりはまず、想い浮かべる力を用いる。
錐体外路系の、ノンストップ創造活動。
これを、たやすく、身につけるやり方がある。
だれでも多かれ少なかれ、術を使って生きている。術を実際に体感するのは、たやすい。術を持っている人のそばで、気をつけて過ごすだけで、術を体感し、意識することができる。あとは、その体感を体得し、術に転換して使いこなせるよう、末広がりに毎日の愉楽習慣を続けていくだけだ。
もちろん生き心地のよい心身術は、自然とほかの人にも伝えたくなる。
いのちはみんなのものだ。
どんないのちにとっても効く術であれば、おのずと広がっていく。
LIFEから切りはなして術を用いるのはムリだし、もし切りはなすことができても、あまり効目がない。
LIFEと結びついているので、術は変幻自在で、自動的に無限のヴァリエーションを生みだす。術さえ心得て身につけておけば、そのとき、その場で、必要な「技」が、そこから無限に生まれてくる。
美術というのは、美の術だ。今後の美術大学などでは、そのへんをもっとわかっていくことになる。術がおろそかになると、技は形骸化する。
このような術を、イギリス語では、ArtあるいはMagicと呼ぶのだろうか。Techniqueではない。
2 シャマン
シャマンというのは、何だろう。
シャマンとは、なぜか「シャーマン」とカタカナ表記されている、あの、学術用語でいうところの「Shaman」のことじゃ。
いのちを感じ、
自然の力とつながって、
踊って、
歌って、
物語り、
唱えて、
癒して、
共同体のバランスをとる、
そういう、まるごと人間のことをさして、シャマンと呼ぶのじゃ。
誰かが受け継いでいかんと、この生きた伝統はもう息も絶えだえじゃ。
近頃はシャマンみたいなアーティストも、たくさん出てきた。
とくにパフォーミング・アーティストは、近頃どんどんシャマン化してきておる。
世界中どこへ行ってみても、若いアーティストたちは、マルチなまるごとアーティストとしての在り方、シャマンな在り方に惹かれている。
世界的に活動しているアーティストになるともう、会う者、会う者、ことごとくといっていいほどシャマン化してきておる。
もともとシャマンみたいな者になりたくて、どこにも入口を見いだせず、とりあえずアートから始めた者が、近頃のアート界には膨大にひしめいておる。
そういう時代なのじゃ。
さしせまっておるのじゃ。
沖縄のユタ、トルコのオユンなど、地域ごとに呼名は違うが、いのちの力を取り戻す心身術は、お互いによく似通っておる。
便宜上、よく知られたシャマンという呼び名を用いておるだけで、呼名はどうあってもよい。
シャマニズムというのは何だかよくわからん。イズムとは何じゃ?
学者の衆は、なにかというとイズムにまとめたがるので困る。生きてはたらく術は、決してイズムにはならん。
大学者のエリアーデさんは、シャマニズムのことを、古代のイケイケ技術と呼んでおる。
こういうことを言葉だけで研究していても、勘違いが広がるばかりで、役に立たん。
身ずからやってみるのがいちばんいい。
エリアーデさん自身も、若いうちはインドでヨガを試してみたり、体で盛んに試しておった。ぜひ、みっつの心身術を身につけてもらいたかったものじゃが、エリアーデさんはもう手遅れじゃ。亡くなってしまった。
アーノルド・ミンデルさんなんかは、量子物理学など学んだ衆のくせして、体張ってシャマン術を実践しておるから素晴らしい。ミンデルさんは後継者を育てておるようじゃし、みっつの術は、ぜひとも身につけてもらいたいものじゃ。
20世紀は、宗教学とか、文化人類学など、様々なジャンルで、学術的に、シャマン文化の研究が栄えた。
そうやってシャマンについて研究しているうちに、だんだんシャマン術を身につけた人たちが少なくなってきて、生きた研究対象が絶滅寸前になってしまった。
シャマン文化の研究者だったら、このへんで、もっと慌ててほしい。
3 シャマン・アート友の会
もはや、大学で研究している場合ではなくなってしまった。
シャマン術=シャマン・アートを実践するしかなくなってきた。
実践して、次世代に伝えるしかないのじゃ。
そこで、世界各地で有志たちを見つけて、協力しあっていくことにした。
国境を越えて協力しあい、
伝統あるシャマンの心身術を、
1、見出し学んで
2、身につけ心得、実践し
3、周りの人たちや次の世代へ伝えていこう
というのが〈シャマン術国際協会〉のみっつの目的。
シャマン術を復興して、いのちを復興する。
動機と目的、ともにはっきりしておるのじゃ。
協会Associationなどというといかめしぃけれど、メンバーの多くは、僕を含めて、「国を超えた友の会(International friendship)」というふうに呼んでいる。
国を超えて、同じ想いを抱く人たちが、心身術で交流できる、ネットワークだ。
この9か月で、〈シャマン術 国を超えた友の会〉の友人が、一気に増えた。世界のあちこちで、いきなり多くの同志と出会ってしまい、親友知己がふえた。たくさんの人たちに喜んでもらい、たくさんの人たちに、術の普及を支えてもらった。
こうやってざっくりと話したら、まるで宗教活動みたいだけれど、僕は別に、大好きな古神道を、宗教として普及させているわけではない。
毎日、誰もがやりたいように自由にやれる、みっつの術を、基本形だけ伝えて廻っているにすぎない。
お互いにゆとりのあるときは、みっつの術の応用、みっつの術のヴァリエーションも体験してもらう。これは、論より証拠で、誰にでもすんなり伝わる。
ちなみに、犬、猫、ラクダ、馬、山羊なども、〈たなすえの術〉を喜んでくれる。
4 シャマン術みっつの基本
習うより慣れろということで、子供のうちからみっつの術を身につけておくといい。
みっつの術は、古来、日本の人びとのあいだに受け継がれ、日毎、続けられてきたものだ。宗教宗派を問わず、文化背景を問わず、日毎、続けられてきたものだ。
みっつの術を続けて習慣にしていく。
この習慣の効目は、昔から定評がある。
僕の祖母も習慣としていた。
僕はまず、祖母からふりうつしされるようにして身につけた。
みっつの術には、古来、いろんな名称がある。
祖母の生まれ育った伊那地方(かつて桃源郷などとも呼ばれた土地)では、このみっつを「ちのみち」「たなすえ」「おまじない」と呼んでいた。
江戸時代あたりから日本では「霊動」「手当」「おまじない」などと呼ばれた。
整体では「活元」「愉気」「潜在意識活用法」などと呼ぶ。
みっつセットで日々おこなうと、言葉では言い尽くせない効力をもつ。
僕の師匠の大野一雄先生は、このみっつを統合して踊っていた人だった。
僕自身、このみっつの習慣の効用は、身に心に、しっかりと覚えがある。
この数年、近くで過ごした人たちも、身に、心に、覚えがあると思う。
ダンサーにも効く。俳優にも効く。どんなジャンルのプロにも効く。
赤ちゃんや少年少女にも効く。おじさん・おばあさんにも効く。何歳からでも効く。
すこやかな人にも、病んでいる人にも効く。
思想とか理念とか主義、国籍とか宗教とかと関係なく、人のあいだで暮らしている人なら、誰にでもよく効く。
とりあえず、その日に効く。
その後は、3日後、3週間後、3ヶ月後、3年後と、少しずつ高まっていく効用を、心地よく味わっていける。 それぞれが、やりたいことを、やりたいように全力で出来る心身が育っていく。
大昔から、人びとの元気の最前列をいく活動だ。
5 シャマン術の復興
〈シャマン術 国を超えた友の会〉はもちろん非営利。
メンバー誰にとっても、もちろん僕にとっても、どちらかというと赤字の活動である。
ボスはいない。
各国のコミュニティで便宜上「リーダー」と呼ばれる人は、各コミュニティの創設メンバー皆に愛され、一目置かれ、英語ができる、各国間の連絡係にすぎない。
僕はいちおう創設者と見られている。
実際には、一遍上人、ルーミーさん、大野一雄先生、野口晴哉さんなどの復興した、人類の至宝みたいな伝統を、おばあちゃんの跡を継いで、いっちょ復興しようとしているだけじゃ。
今、世界中に、たいへんな規模の需要がある。
だからちょろちょろ、なけなしの供給をしている。
同じような会が、どんどん創設されいくのがいいと思う。
出来れば、お互いに協力しあっていけたらいいと思う。
切実な思いを抱いて、率先して動く人たちも、今後、増えていくだろう思う。
ボスもいない、義務もない、貯金もない。
シャマン術国際協会は、各国メンバーの名簿と、みっつの目的と、みっつの心身術だけを共有する、国際的な、友の会だ。
メンバー同士、ゆるやかに仲がよくて、おもしろい。
目指していることが、あまりに純粋に切実なので、それがなかなか実現していかないことが、ともにもどかしく、ときにせつなくなる。
世界各地でいま、どんな動きが起きているか、知っているだろうか。世界の人びとの心身がどう変わり、人交わりの仕方がどう変わってきているか、知っているだろうか。古くから継承されてきた大切な文化が今、どうなっているか、知っているだろうか。
少しでもそれを知っている人たちは、胸がはりさけるような思いをしてはいないだろうか。自分が何もできないでいることに、複雑な思いを抱いてはいないだろうか。
このブログを読んでくれている方々、よろしかったらこの先、お互いに、力を合わせていきませんか。
共に、人のいのちを、世のなかのいのちを、復興していくのであります。
6 いのちの復興みっつの術
ダンスのなかには、〈ちのみち〉という術が含まれている。
ダンスには、日本を復興していく力がある。
ダンスそのものも、今、世界で、大きく変わりつつある。
いのちに良い、からだに良い、ちのみちダンス、活元ダンスが広まりつつある。
できればすべてのダンサーが〈ちのみち〉ダンスだけでなく、〈たなすえ〉と〈おまじない〉も身につけてほしい。
みっつの術がひとつに重なると、相乗効果が起きる。
いのちを復興していくのに、いちばん心地よくて、効目があるやり方は何か?
〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉
=〈活元〉〈愉気〉〈毎日フレーズ〉
このみっつを心得、身につけ、毎日あたりまえのこととして続けていく。
これが、いちばんだと思う。
これなら、誰にでも楽に出来るし、お金もかからない。
それぞれにみっつの術を続けていく。
それだけで、いのちがたしかに復興していくから面白い。
このみっつを僕は〈シャマン術 みっつのベース〉と呼んでいる。
久しく学び続けてきたうえで、どういう角度から見てみても、これがいちばん効く。
心身が、かなり大変な事態になっても、まずはこのみっつで対応できる。
いずれもいのちに即していて、知識もほとんどいらない。
自分の体と潜在意識を、感じてあげて、信じてあげる。
そういうコツを身につけるばかり。
やさしくて、速くて、良く効く。
ちのみち、たなすえ、おまじない。
もっと効果のあるやり方があったら、ぜひ教えてくださいと、いろんな人たちにお願いし続けているのですが、まだそういうやり方は見つかりません。
ダンスも、整体も、療術も、これで充分。
僕の知るかぎり、ベースにして、究極なのです。
このことは、これまで仲間たちと一緒に、この体で証してきたし、これからも率先して証していきたいと思います。
対処療法的な細かいごちゃごちゃは、暇のある人が身につけて、商売の種にでもしたらいい。でも、もう、そんな時代じゃないんだ。
対処療法ふうの本を書いたり、アイデア搾ってダンスのワークショップとかしている人たち、みんなもう、とっくに、そのことはよく知っているのではないかと思う。
〈ちのみち=活元〉〈たなすえ=愉気〉〈おまじない〉で充分なのだ。
そこから展開していったほうが速いのだ。
そのほうが、やさしくて、シンプルで、気持よくて、速くて、効くのだ。
全生を目指して「整体」を創始した野口晴哉さんも、舞踏の祖となった大野一雄先生も、最後まで、なんとかしてそれを伝えようとしていた。
考えて動いたってだめだ。いのちを大切にしよう。いのちを大切に踊ろう。いのちが求めている方へ体を動かし、いのちそのものの形に身をゆだねよう。どう見られるか、どう見せるか考えるよりまえに、自分と人びとのこころとからだを感じよう。活元と愉気で、いのちを感じよう。
日本のダンスの復興だ。
7 同志たち
いのちは、生き心地は、目先のお金には、変えられない。
やってみればわかる。誰か一人が目先の利益を追い求めると、世のなかの生き心地がわるくなってきて、いのちがしぼむ。
誰か一人が体と心によいことをすると、世のなかの生き心地がよくなってきて、いのちが栄える。
シャマン術国際協会みたいな活動をしても、目先のお金は儲かりません。
いのちが元気になるのです。生き心地がよくなるのです。
日本にもっと同志が欲しい。
同志を増やして、同志たちと力を合わせていきたいと、切に願っているのです。
まず、同じような志をもっている人たちと、直に会いたい。
そうして情報交換したい。
この国際友の会は、三年半ごとに、いったん解散することになっている。解散してから半年後、また再結成するかどうか、各コミュニティで、そして各国のリーダー間で、話し合うことになっている。
固形化しないよう、定期的に、ゼロに戻す。
定期的にゼロに戻しては、そのまま消滅させるなり、更新・革新していけばいい。
友の会の名称も、再出発の際には、変わるかもしれない。
要らないものはどんどん捨てて、更新していく。
今のところ、みっつの目的と、毎日のみっつ心身術があるだけ。義務もなく、ルールもない。各国のコミュニティごと、独自に話しあって、したければコミュニティごとに独自路線の活動をすることになっている。定期的な集いをもつ義務もない。
なんということじゃ!
こんなにあやふやで、目先の欲目をうらぎるような話なのに、相変わらず、各国のコミュニティでは、嬉々として、毎週、あるいは毎日!メンバーたちが集い、ともに「シャマン術みっつの基本」を実践していると聞く。そうしてときおり、どれだけの素晴らしい変化が起こったか、喜色あふれるメール報告を届けてくれる。
とりあえず、率先力・自発力の少ないコミュニティがあってもかまわないと思う。みっつの心身術を続けているうち、むらむらと、力を合わせて世のなかで何か良いことをしたくてたまらなくなってくる。
「シャマン術みっつの基本」は簡易で心地よく、からだとこころに効く。
シャマン術国際協会のメンバーは、老哲学者から、プロの現役ダンサー、老主婦から、施設で暮らす孤児たちまで、幅広い。
属している宗教も関係ない。
だから、メンバーそれぞれの、信仰の有り方も幅広い。
ユダヤ系、カトリック系、イスラム系、ヒンドゥー系、ブードゥー系、仏教系のほか、武術系、芸道系、社会福祉系、無神論の心理療法系、環境活動家系など、メンバーは、それぞれ、いろんな信仰をもっている。
8 友の会
これまで、いろんな団体に身をおいて、固めると困るところを、学ぶことができた。
人びとが集う場で、固めると困るところがある。そういうところが固まらないように念を入れ、気をつけている。
僕がワークショップで話したことなんかを、プリントにして配りたがる人もいたりして困る。印刷された活字には、生きたいのちのエネルギーがない。
うわつらの言葉や、固形化した概念にこだわって、自分の本心も、人の心もわからないような人が増えてしまっては困る。
こうしたブログ日記を読んでいても、エネルギーはほとんど伝わってこないと思う。直に話をしたら、百万倍くらいは、すぐに伝わると思う。
それぞれが楽に流れていけるように。
ゆるやかな友の会として、シャマン術国際協会を始めた。
集団とか組織としては、あるような、ないような、あやふやなままがいいと思った。
「しなければならん」「I have to」というものが出てこないようにした。
そういうものが出てきたら、さっさと解体して、次に進むのがいい。
僕はなるべく、組織集団には属したくない。
友の会とか、コミュニティなら、属してもいい。
絶対にしなければいけないことなどない。
一遍でも充分に心地よく、百万遍でも飽きることなく、毎日すすんでやりたくなるようなことがいい。
9 シャマンの生活術
シャマン術は、いのちを復興させる、シンプルな術だ。
何かしら、後ろめたいような、特殊であやしい、秘伝テクニックではない。
シャマン術は、世のなかでありきたりに生きていくうえで必要な術だ。
いのちにとって必要な術だ。
だからこそ、やっていて心地よいのだと思う。
真似して遊ぶのでもいいから、シャマン術が、もっともっと、この世のなかに流行ってほしい。
やってみたらわかるように、シャマン術というのは、玩具なしで出来る、究極の遊びだ。楽しい。周りからもウケる。笑ってもらえる。
せっかくなら毎日の習慣は、心地よくて、面白くて、シンプルで、よく効くほうがいい。
子供から、お年寄りまで。
いつでも出来る。
いつまでも出来る。
心地よい。
面白い。
シンプルでよく効く。
だから、つい続けてしまう。
だから、続いていく。
飯田茂実
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