少しばかり伝統文化のはなし。日本が誇る、伝統の、発酵食品文化の話。そのなかでも最も労力を必要とする繊細深遠な文化、世界でも類がない〈並行複式発酵文化〉の話。
この文化がゆたかに息づいている土地は、まだバランスのとれた自然と、ゆたかな人間味が残っている。
僕の故里では、たくさんの諏訪杜氏さんたちが、湖の周りに住んでいる。
「味わい楽しめる、生きた伝統文化」
「水を大切にし、自然をそのまま活かし用いた、日本が誇る、手造りの職人文化」
「神とも深く関わっていて、杜氏は信仰あつく、本気で神に祈る」
こんな伝統文化が、日本には、現にあり、多くの人たちから愛されて、盛んに息づいている。ただしく醸したものは、味覚も、技術も、栄養学・醸造学などの化学的見地からしても、類を絶して、世界のトップだ。
すごいことではないか!
しかも、直に、美味しく、楽しめる!
先進諸国の料理人たちや美食家たちが今、この伝統に注目しているけれど、さあ、本当に美味しいものは、海外に持ち出すことができない。出廻っているものの大部分は伝統のこころからはぐれた量産品で、本当に美味しい伝統酒は、現地消費ですぐ終わる。海外では百万ドル出しても手に入らない。地元のおにいさん、おねえさん、おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんが愉しむばかり。
贅沢なのだ。
二十代後半から十年ほど、僕は酒類をほとんど呑まなかった。たまに酔いたいとき、ちょっと荒んだ創り方をした、各国のヤクザな酒を呑むくらいだった。
僕は呑んでもあまり酔わないたちで、日本酒は一升呑める。それでもいちど松山で記憶を失ってからは、「もう年かな」と思って、宴会でも打上げでも、呑めないふりをして、煎じ茶や果物汁ばかり呑むようになっていた。一人で呑むこともなかった。
公演ツアーのあいまに、カクテル創りの名手と親しくなったことがある。そのままカクテル創りに夢中になって、試せるかぎり、あらゆる前衛カクテルを試してみたことがある。
このとき、いちばん複雑玄妙で奥ゆかしいのが、ある一部の「日本酒」だと初めて腑に落ちた。丹精込めて醸された伝統酒は、カクテル飲料などとは、造っている立場も動機も、態度も熱意も、まったく違っていた。口によみがえらせるたび深い衝撃みたないものを味わう、良質な大和歌みたいな味だった。人造なのに自然だった。
母を亡くして、通夜の晩、出てきた日本酒の味に感動した。そんな時、こころから美味しいと感じて、慰められる味だった。
母の葬儀が終わったあと、諏訪の酒を集めて、片っ端から呑んでみた。僕の故郷は「諏訪杜氏」で名高い処だし、酒蔵店で働いていたときに新しい酒販伝統の誕生に立ち会ったこともある。全国的に有名な銘柄については、これまでも一応、地元人として軽い誇りみたいなものを持っているつもりだった。
いや、それだけではなかった。あったのだ、まだ、いろいろと、本物が。
ぬのや本金さんの「太一」という酒に衝撃を受けた。諏訪人の魂を受け継いだ、本物の杜氏さんが創っている、諏訪シャマン文化直系の味だった。言葉にするとややおおげさに響くけれど、素直にそう感じた。
ユーシフというイスラム名を持っている者として、誇れることかどうか微妙だけれど、僕はこの「日本文化の粋」に夢中になってしまった。熱中すると、僕は文字通り狂う。
これ、と思ったときは、様々な温度の燗を実験したりした。古美術界で真価の定まっていない名物、古い銚子や古い盃が、手元に集まってきた。これ、と思ったときは熟成に賭けるようになった。引っ越した新居の床下には、しつらえたように、酒造クーラーが設置されていた。なけなしの収入をはたいて、日本最高の無濾過生原酒を常備し、熟成させるようになった。
海外から来たお客さんには、かならず、おすすめの一品を呑んでもらう。彼らは例外なく驚嘆し、
「こんなにうまいものは呑んだことがない」
「どうやったらこれを手に入れられるのか?」
と訊いてくる。そうして例外なく、その値段が、あまりに安いのに驚く。
フランスのダンサーたちも、イタリアのアーティストも、スペインのシェフも、ドイツの哲学者も、海外の友人たちはみな、飯田ハウス厳選の日本酒に驚嘆した。強い酒しか呑まない韓国の友人たちも、「これは例外」と驚嘆した。
若い日本の仲間たちもまた、かならず驚嘆する。
通、というのか、マニアたちのあいだで、
「この味は通にしかわからない」
とされているものをいちはやく選び、
「ほかのどれより、これがいい」
と愛でるのもまた、若い人たちの味覚だった。飯田ハウスに集まった若い人たちほぼ全員が、口を揃えてそういうものを、
「これは、すごい。これは、おいしい」
とおどろきよろこぶ。毎日、活元ダンスや愉気をしているせいだろうか。感覚が野性に、かつ繊細になっているのだろうか。それとも、誰でも、元来、そうなのだろうか。
王禄。不老泉。一博。竹鶴。悦凱陣。東北泉。
京都の飯田ハウスで「インスピレーションの会」を催すたび、ランダムに瓶を並べておくと、そうした造りの念入りな美酒から、順になくなっていった。燗や熟成でさらに大化けする、しっかり醸した全部味。歓談しながら、本能的に、そっちの方へ手がのびるらしい。
手を抜いた量産酒は、どんなに名の売れた値段が高いものであっても、一杯目以降、呑まれることなく、たっぷりと残った。
「これをもっと呑みたい」
「これはもう呑みたくない」
集いごとの結果を見ると、人気の差は、びっくりするくらい大きかった。
本物の美酒を呑んでいると、和の感じが広がっていく。いきいき、しみじみ、のびのびと、お互いなにごとも腑におち、相手から何が出てきても、やさしく受け容れられる、いい感じが広がっていく。軽口を叩く者もなく、不様にわいわいする者もなく、悪酔いする者などひとりもいない。
食通とはかけはなれた、コンビニフード世代の若い人たちも、念入りに醸した伝統酒に驚き、おおいに喜んだ。アルコールを摂れない人も、ついひとなめして感動した。
本物を生みだせば、わかる人にだけわかるのでなく、誰にでもわかるのだ。本物は、誰にとっても、ストレートに喜ばしいのだ。誰もが直に感動できる。本物の人工技術とはそういうものかもしれない。
希望を与えてもらった。
佳い酒を呑んだ人、皆が経験していることだけれど、佳い酒はどこか、からだに佳い気配がありたくさん呑んでも、二日酔いすることがない。科学的に分析してみると、含まれるアミノ酸の種類なども、世界的に見て異様に多いという。
あるとき本能の直感に任せて、禁断の領域とされる「異種ブレンド」に挑んでしまった。ソムリエの舌をもつ畏友は
「え?え?……こりゃあ、うまい!」
とびっくりした。
うまくてもやはり造り手の方々にどこかうしろめたくなるから、ブレンドは禁断なのだろう。……造り手の方々には申し訳ないけれど……欠けている同士が補い合って、すごい奇跡が生まれてしまうこともあって……ひらめいてしまうことがあって……どうしてもやはり……。
日本で酒を創って大儲けしているような製造元のものは、みんなダメだった。どうブレンドしてみてもまずい。二日酔いのする、体にわるそうな、ひどい酒だ。手を抜いて創ったひどい味・ひどいエネルギーの酒を、「日本酒」と名売って大量に大安売りするのは、悲しすぎる。
「へえ、これが日本酒なのか。日本、ダメじゃん」
と呑んだ人が勘違いして、潜在意識の誇りをまたひとつ失い、伝統文化から離れていく。
目先の利益というのはこわい。そうやって日本酒もどきを量産して売りさばき、呑む人たちをだましている人たちが、それを呑む人たち誰よりもまず不幸な思いをしているのかもしれない。まずい量産の日本酒もどきを口にすると、造っている当事者たちの不幸までも伝わってきて、やりきれない思いにさせられる。
長い目で見て、明らかに自分たちの首を締めるような切ないことを、率先してしでかしてしまうのは、なぜだろう。添加物もりもりのまずい自家製品ばかり飲んでいるうちに、頭がおかしくなってきたせいだとすれば、これもまた悪循環のひとつだ。
チェーン店がらみの、大量消費ねらいの、手抜き製品を創っているところが、大儲けすればするほどに、人びとは誇りや底力を失い、生き心地はわるくなり、「本物」はさびれていく。
志とヴィジョンをしっかり抱き、全力尽くして、いい仕事をしている人たちが、さびれていくなんて!
この伝統が、このまま滅びてしまったら、取り返しがつかない!
地元ですごい酒を醸している〈ぬのや本金〉さんは、わずか百石の、日本でいちばん小さな蔵だと知った。手造りの佳い酒を醸すには、酒造チームの人数ひとりあたり百石が限界だという。数十万石を量産している酒造店のモノは、ひとことで言ってまずい。
ぬのや本金さんでは、二十代なかばの若い専務が、宮坂太一さんの伝統を継いで、杜氏を兼ねることになった。大量生産の日本酒に押されて、もう経営が立ちいかなくなり、赤字を抱えて、ほとんどつぶれかけていた。僕が〈本金〉に出会ったのは、
「もう来年を最後に、店をたたむしかないかな」というときだったらしい。
諏訪の職人さんたちは商売下手だ。いいもの創って食っていけたら充分だと思っている。地元では、本金さんが大好きで、本金さんしか呑まないという愛酒家がいるけれど、少数派である。コピーライターを雇って宣伝をするでもなし、せっかくのうまいものを、うまく売ることができなかったのだ。
「絶対に、つぶすわけにはいかない!」
と僕は泣きたいような気持になった。地元の畏友、「福寿屋」の小林哲人くんと、ささやかながら陽に蔭に、 ぬのや本金酒造さんを応援しようと結託した。
復興するときは、マモリに入っても長持ちしない。セメでいくしかない。本金さんの若専務=見習い杜氏さんは、切羽詰まった状態で、起死回生というのだろうか、新しい心身(こころみ)だらけの冒険を始め、一年ごとに、すごい酒を醸すようになってきた。
いろんな人が本金さんを応援し始めた。ひとりで楽しんでいた人が、他の人たちにも、さりげなく、薦めるようになった。某料亭の腕のいい女将さんは、〈本金〉を店の看板酒とした。諏訪にホテルを開業したある事業家(効き酒の名手)は、諏訪の酒を飲み較べた末、ホテルで出す酒を〈本金〉でいくことに決めた。
蔵はつぶれず、むしろ人気が出てきた。ぬのや本金さんは、次世代に向けて、伝統の創造活動を受け継ぐことができた。
創造活動には限界がない。
「ここまでで、いいや」
ということがなく、限界のないのが、自由な創造活動だ。
自由になると、本当に頼れることが、わずかしかない。僕もまた、この心身と、人びとの真善美快悦楽を感じる心身のほか、頼りにできることが、ほとんどない。
誰しも知っているように、自由に生きるのはおそろしい。まわりの人の不自由を刺激してしまったとき、さあどうするかということもまた、自由には含まれてくる。限界のない世界だ。覚悟のない人は、安易に自由にならないほうがいい。
自由になるほどに、人はまるごと全力あげて、全力を使い果たして生きるようになる。
今、伝統酒を醸している人たちは、身ずから自由に、この道を選択した人たちだ。すごい人たちが杜氏をやっている。つぶれかけている家伝を継いで、復興させようとしている人たちがいる。航空物理学関係の工学技術者になるはずだった人もいる。国際的に活動するモデルや俳優だった人もいる。ミューヨークの株式市場で大儲けしつつ、ヨットに乗って暮していたビジネスマンもいる。
醸造技術の現場では、そういう人たちが、伝統を受け継いで、セメの創造活動を続けている。経済的には効率がすごく悪いけれど、生きがいは大きいと思う。自分の生き方に誇りをもって、工夫を重ねながら、まっすぐ生きているのだと思う。
一方、なかば仕方なく、惰性でやっている蔵は、質が落ち、味が落ちていく。質より量を目指して稼いでいた蔵も、本物におされて落ち目になり、生き残りにくくなってきている。そういう蔵の専務さんたちは、やり方を見直さないかぎり、生き心地もいまひとつのままだと思う。
僕はあちこちの国で、いろんな人から、ワインの絶品をごちそうになってきた。日本でも、イスラエルでも、トルコでも、イタリアでも、スペインでも、フランスでも。ヨーロッパでは何度か、美食家のパトロンに見込まれて、ワイン教育を受けることができた。多分、ワインの想い出とエピソードだけで、本を一冊書ける。
ワインはいい。
そうして日本の伝統酒はもっといい。
日本の伝統酒とワインを較べてもしょうがないけれど、熟成させた日本の秘酒は、熟成させた最高のワインをしのぐと素直に感じる。なにかレベルが違う気がする。
新酒の絶品もまた、ぶどうの出来が良かった歳のヌーヴォーをはるかにしのぐ。才色完備で働き者のこころふかき娘と、スタイルがよくてセンスがよくてミニョンなばかりのマドモアゼル、そのくらい違う気がする。
時間をみつけては、この伝統文化について、学び始めた。
伝統の器ものや〈こけし〉に夢中になったときもそうだった。身ずから造るわけではないのに、どうしようもなく気になる。
日本各地どこでも、滞在先では、その地で醸された酒について、いちばん本気の情報を素早く集め、
「日本はいい! この土地はいい! こんな伝統文化が残っているなんて、素晴らしすぎる! 何なのだ、この味わいは!」
となるのだった。
僕は、まるごと全部をもっている「全部味」系の原酒が好きだった。
頻繁に東北に来るようになってからは、
「全部味、を背後にひめた、きれいな味」
「豪気、を背後にひめた、やさしい味」
を知った。
日本酒造りには、造り手の価値観、世界観みたいなものが、そのまんまにじみ出る。生き方とも直列しているヴィジョンみたいなものが、まっすぐに出る。杜氏さんたちは、ヴィジョンをしっかり抱いて、ぶれない酒づくりを指揮する。造り手のこころ栄えが、そのまま反映される世界だ。
大勢で舞台創りをしていくうえで、一人で詩を書いていくなかで、酒造りやこけし造りから教えられたことはたくさんある。本物の酒を、本気で、全力全霊で創っている、日本各地の素晴らしい蔵を、僕はひそかに応援し始めた。
いつも、こころのどこかで、切に、「復興」を願い求めている。
この地では、それぞれが、それぞれに、違う被災を体験した。
震災のことをおおづかみに語ることはできない。
語りたいことはたくさんあるのに、言葉にできない。
たとえば……というふうにして、酒の話をしたりするのが精一杯のところだ。
たくさんの酒蔵が被災した。
塩釜に滞在させて頂いたとき、宮城県の伝統酒について、〈門脇酒店〉の御主人さんから、いろいろ教えて頂いた。感動した。
地元の人が、地元の宝を知らないとき、僕は地元の人に、本気でその宝の素晴らしさを説き、ついつい全力ですすめてしまう。
「立派に、誇れるんだから、誇ろうよ!」
「こういう伝統のこころが、まだ残っているんだから!」
「もっともっと楽しんで、次の世代に残していこうよ!」
そんなふうに切に思って、切に語ってしまうのだ。
昨年は仙台滞在中、出演者たちを招いて、熟成した味噌(家主だった千田さん老夫婦の手造り)で煮た山菜料理や、塩釜港からあがった魚のアラ汁(行きつけの店でいつもサービスしてくれるアラを用いる)、ホヤ刺し(熟成した梅の古漬けを添える)など、ちょっとした手料理を食べてもらい、宮城県一と感じた食中酒をいくつか呑んでもらった。
東北の美酒に、感嘆の声があがった。そういう本物を初めて呑む若い人たちが、
「え? これは何? これが本当の日本酒なの?」
と驚いて目を輝かせるのは当然だと思う。やくざな酒を量販しているコンビニやチェーン店には決して置いてない、小さな蔵の、念入りに醸した生酒ばかりだった。
ブランクーシの彫刻を愛でたりする日本人の美術関係者が、東北の伝統こけしについてほとんど知らなかったりするのは、なんともちぐはぐなことだ。こけしの逸品は、どんな観点からみても、究極の造形芸術ではないか。鎌田文市さんの晩年のこけしなどは、あまりに美しくて、あまりに佳くて、何度見ても、何度手にとっても、からだがぷるぷるしてしまう。
こけしの口は小さい。口から息を吸っていると、好気性細菌によって免疫力がにぶり、からだによろずの病みがはびこる。
こけしに描かれた顔は、宮崎アニメに登場する子供たちと同じく、鼻孔の奥がひらいた、元気そのもののエクスタシー顔をしている。イケてる表情なのだ。木地山こけしなど、一見むっつり例外と見えるものも、表情を真似てみるとわかる。鼻孔の奥が開いて、鼻呼吸が楽になる。
日本人のありきたりに美しいこころの姿。僕は世界中どこにでも、大好きなこけしを連れ歩き、こけしと共に旅をしている。京都の部屋は、到るところ、古いこけしだらけだ。
日本古来の信仰には、教祖さんがいないし、聖典がなかった。唯一絶対がなかった。
日本にはもともと「自然」という概念がない。ともにゆたかに暮してきたので、客観化というか概念化が起こらなかったらしい。もちろん、神さまはたくさんいた。いろんな神さまが大切にされていた。絶対唯一の神さまという観念的信仰や、そこから生まれる絶対的戒律はなかった。神さまと仲良くつきあい、神さまに愉しんでもらう、神遊びのわざがあった。
日本のありふれた美しい心、日本人にとってはあたりまえな美感、日本伝来の身体感覚などを、外国語を用いて、外国人に理解してもらうのは、とても難しい。僕は昨年、本気でこれに挑んだ。西洋語を用いて暮してきた人の、からだに、こころに、意識に、ある感覚が残るよう、ある方向が残るよう、工夫を重ねた。頭でうわべだけで理解しあっても、物事はあまり変わらない。人と人が、頭で理解しあっても、それだけでは不毛だ。けれど、人間は、どう言葉で意識におとすかで、どう頭に入れるかで、その先の実感や体感もまた変わっていくから、どうしても言葉遣いは大切になってくる。
からだも、こころも、意識も、通いあう必要があった。目に見える「からだ」と、目に見えない「たましい」と、両方へ深く働きかけるような言葉を、いつもその場で生みだしていく必要があった。
心身術の伝統を伝えながら、いろんなかたちや習俗や伝統芸道を、さりげなく引き合いにだすことも多かった。日本人の伝統的な呼吸のありかた、日常の身ごなし、歩き方、挨拶の仕方、土着信仰、古神道、古武術、神話、民話、舞台芸術、和歌、俳諧、絵巻物、建築、精進料理、盆踊り、発酵食文化、醸造文化、温泉文化、地方の祭り、作庭、器もの、書画、生け花、茶道、和太鼓、倍音唱法、民間療術などなど。目のまえにモノがないので、もどかしい思いをすることもあった。彼らにとっては思いがけないようなアプローチだったかもしれない。
合気道や整体、日本の自然農法などを学んできたある初老のフランス人は、僕のワークショップに来てすっかり感動してしまい、長年憧れていた日本へ来ることに決めた。
「私が、決して西洋の言葉では言えないと思っていたことを、あなたは西洋語で、誰にでもわかるように話した。こんなことができると私はかつて想像さえしたことがない。これは美しい矛盾だ。」
同じようなことをあちこちの先進国で言われた。
工夫し続けている。先方の体感、メンタリティ、思考回路を、受け容れ、学び続けつつ、工夫を重ねている。伝え方は、わかりやすくて、面白くて、シンプルなほどいい。
実感する。体感する。共感する。そうした「感」というのは、頭で理解しても仕方ない。まず体感してもらい、実感してもらい、共感しあえたら、あとは話が通じやすくなる。体験してもらい、実感してもらい、共感しあえたうえで、それをどう捉えるか、ヒントを提示するようにして、ことばで方向を示す。
山形で公演を終えたあと、ワークショップのまえに、澤野、あいちゃん、ポコちゃんと山寺を訪れ、こけし職人の石山和夫さん、その人と会うことができた。嬉しくてプルプルふるえた。
石山和夫さん、山寺にこの人ありという、知る人ぞ知る名匠である。こけし造りひとすじで六十五年とのこと、失礼な話ではありますが、まだ現役だったとは存じておりませんでした。
この方の、特徴あるこけしを、京都の書斎机の、まえとうしろに置いてある。うち一体は、舞台公演『Dhammapadaダンマパダ』に、かなり目立つかたちで登場してもらった。京都では、和夫さんのお兄さんにして師匠の、石山三四郎さんのこけしも、一尺ものをまっすぐ目のまえに置いて眺め暮している。
万感、というような、感動の対面だった。僕の感動が伝わったのか、石山さんはなんと、
「ふたつくらい、創ってあげてもいいですよ」
と申し出てくださり、海外ツアーで持ち運びできる四寸サイズの新作、男女ペアの新作を、特別に造って、送ってくださることになった。
「もう八十過ぎてしまって、筋肉も落ちてしまったのですが、こけしを造る筋肉だけはあるのです。仕事ですから。これだけでやってきましたから」
と国言葉で、ちょっと照れたように、語っておられた。
秋田県美郷町では、ツアー公演の全日程を終えたあと、「春霞」を醸している栗林酒造店を訪ねた。この蔵の伝統酒には衝撃を受けた。
栗林酒造店は、地元の天然湧水を仕込みに用いている。六郷名物の、この湧水は、ひとことで言って、すごく美味しい。
「いちばんしっかりしたお酒はどれですか?」と専務さんに訊ねた。
「熟成できるお酒ですね。うちの蔵の酒はみんな、熟成させても美味しく呑めます。」
というお返事に、まず感動した。あのきらきらみずみずしい、きれいでふっくらやさしい感じが、年を経てさらに味わい深くなるのか!
吉永小百合さん、倍賞千恵子さんといった、素晴らしいおばあちゃんになった女子たちの表情が目に浮かぶ。フォーレの音楽、デューク・エリントンの音楽、ハイドシェックのピアノ演奏……。
専務さんから、「春霞 特別純米酒 生一本」を勧めていただいた。
驚きの味だった。
大阪から来たe-danceの同志、やっちゃん(竹本泰広)も、
「うわあ、すごいですねえ。何でしょうねえ、これは」
と悦び感嘆していた。
僕の体感記憶は連動している。とりわけ、聴覚と、味覚と、触覚は連動している。味ひとつで、膨大な記憶がよみがえりやすいたちで、10種類の純米酒をブラインド(目隠し)テストして、ぜんぶ銘柄を言いあてられるのは、奇異なことではなく、当たり前だと感じている。作った人たちのモティベーションとか創り心地みたいなものを感じるたちらしい。何かを味わうときも、それが作られ育ってきた過程での気配みたいなものを味わっている事が多く、いったん佳い気配にふれると、いつでもそれを記憶に蘇らせることができる。
一緒に食事している仲間たちは見覚えがあると思うけれど、食べながら、僕がよく虚空を見つめて目だけ動かしているのは、味覚によって蘇った記憶に圧倒されているのだ。
「春霞」の栗林酒造店の隣には、純米生原酒を取りそろえた酒屋さんがある。
この店の、見るからにマニアックそうな店主さんが、かなりマニアックでややこしい僕のリクエストに応え、愛情あふれる心遣いで、「春霞 郷の清水」を選んで一押ししてくれた。
「わたすもこれ、毎日、呑んでます。すごぐうめえです」
こんなに美味しい品揃えをしている店の、こんなに魅力的な人柄の主さんが言うのだから、これは間違いあるまいと思ったら、やはり間違いなかった。日本の何千とある銘柄のうち、うすにごりの生酒ではベスト3に入るであろう、とんでもない〈かんみ〉だった。つまり、ほかに類がないくらい抜群で、ほぼ文化史上ナンバーワン、世界一ということだ。この日本に、こういうものが現にあるというのに、量産された輸入物のヌーヴォー・ワインなど呑んでいる場合だろうか。
こういう出会いには、至福感をおぼえる。「悟り」に近いような感覚だと思う。至福感だけでなく、いろんな感慨も同時に来る。
「ついに、きた! ついに、でた!」
という感覚的な驚きは「宇宙規模」と呼んでもいいような感動なのだ。思わず歌をうたっていた。
かんみ、というのは、ほぼ神の領域を指していう国言葉。行為でいうと、空中でイナゴのつかみ取りをするような技。味覚でいうと、発酵させた海産物とか、古漬けの梅とか、熟成させた原酒、熟成させた味噌や醤油などで、これを味わえる。最近書きあげた1000枚くらいの小説『シャマン術こと始め』では、ついついこの、かんみ、という言葉が頻発した。
小林賢太郎さんが日本の伝統文化についての「とんでも紹介映像作品」を創っている。とくに「割り箸」の紹介などは、あまりにも、あり得ないことをしでかしていて、大笑いできる。このくらい笑える事を出来たら、伝えたいことがもっと伝わるのかなと思う。
イスタンブールに〈レイキ〉を広めたレイキのグランド・マスターが、この映像作品を絶賛していた。
「新しい世界の伝統となった、日本生まれのレイキ(手当)のことだって、自分たちは、こういうふうに、おかしな勘違いしているんだろうなあ」
というようなニュアンスの目配せをこちらへ送ってくれたので、居並ぶレイキの弟子たちのまえで、彼がこの話をした真意は、なんとなく汲めた気がした。
唐突だけれど、打上げなどの宴会について、提案がある。
宴会先で、ビール・ジョッキで乾杯したあと、おのおの、変な色の液体の入った、あのやくざなドリンクのジョッキを持つのをやめないか? ヤクザなアルコール物を、ヤクザな茶や、ヤクザな香料飲料で薄めた、氷入りのあんな飲み物を、呑んでいる場合ではない。
氷で内臓とこころが冷えるし、体のエネルギーが冷えてしまう。
大量生産ビールのほうが、ずっとマシだ。からだにとっても、心地にとっても。
そもそも……、そんなもの、呑んでいて、本当にうまいか?
いや、うまい、まずい以前に、飲みものとしてダメだと思う。そんなものを呑んでいたら人間味が薄くなると思う。人情だって薄くなる。わいわいしたエネルギーばかりがかさばってしまう。
それに較べて隣には……
「ちょっと分け入れば神レベル」の飲料がある。
飲食店には、通常、〈かんみ〉は置かれていない。「店」なのに、残念でならない。
大きな酒屋さんや、大きな居酒屋さんは、そろそろ従来のやり方を卒業してほしい。ヤクザなアルコール飲料を、客にガブ呑みさせて荒稼ぎするのをやめてほしい。
まさに、このタイミングで、日本人の美しいこころ栄えに目を向けてほしい。せっかく酒を扱っているのだから、日本の伝統のうまざけを、自分の舌で選んで供してほしい。
「店」で生計を得ている人が、お客様を神様と思えなくなったら、いちばん大切なこころが廃れるのではないかと思う。自信と誇りをもって、お客さん(神さま)たちをもてなしてほしいと思う。
舞台に立つ人たちもまた、お客さんは神様だと信じている。
日本の伝統文化で、応援していきたいこと、学んでいきたいことは多々ある。
身についたこともいろいろある。
いろんなことが結びついている。
酒をめぐる話をしてみたけれど、そのこころは汲んで頂けると思う。
よい酒はこころが深まる。からだにもいい。ヤクザな酒はこころが荒む。からだにもよくない。
ワークショップという形で、僕は伝統ある心身術の普及活動をしている。誰もが、かけがえのない心身術を、毎日やさしく楽しめるよう、伝え方にも工夫改良を続けている。
日本の伝統の心身術は、それぞれの人生とか、根本的な生き心地に関わってくる。
これこそ、いちばん大切なことだと感じる。これを求めている人たちがたくさんいる。急を要することだ。あまりに切実なことだ。
人間として、社会人として、アーティストとして、個人として、僕が近頃もっとも大切にしているのが、一回ごとの心身術ワークショップだ。毎回、その場で、いちばんふさわしいやり方を探る。アートとして見れば、その場かぎりの、一回かぎりの、パフォーマンス作品だ。
結果、みなの心身の流れがよくなる。誰もが喜んでくれる。
けれどもなかなか機会をもてない。もどかしい思いを抱えながら、毎日少しずつ、実践のなかで、術は進化していく。一人の人を相手に、「効くからね、流行らせてね」と伝えているときも多い。一人一人、直に伝えるしかないところもある。
最近どうしても、もどかしい気持を持てあましてしまう。時間をかけて創作をして、舞台公演なんかするのはやめて、これだけでいったほうがいいんじゃないか、そのほうが誰にとっても喜ばしくて効目があるんじゃないか、と思うことが多々ある。
世のなかを元気にしたいのだ。それぞれが全力を発揮したいように発揮できて、お互い元気に活かし合える、そんな世のなかへと、再自然化していきたいのだ。
心身術の紹介本を書いて出版しようかとも思う。無料パンフレットという形で出版するとしたら、協力応援をしてくれる人はいるだろうか。
やさしくできて、奥ゆかしく、効目のある術がいろいろあるのだ。
からだが、こころが、本来の自然な力を取り戻すのに効目のある、毎日の体技があるのだ。
元気になる。やる気が出てくる。気づまりが消える。肩こり頭痛が消える。不安やイライラが消える。罪悪感が消える。ネガティブな複雑感情が消え、晴れやかで伸びやかな気持になってくる。自信が出てくる。人と心が通うようになる。したいことを出来るような心身になってくる。生き心地が、総合的に、よくなるのだ。
ただひとつだけでもいいから、一人でも多くの人に覚えてほしくて、機会のあるかぎり伝えるようにしている。
どうしたらいいのか、工夫はしているけれど、まだまだこれからだという気がしている。
世のなかのこととなると、自分ひとりで出来ることは限られている。今、仙台の若い人たちが熱心に、伝統の心身術を復興する、僕の活動を支えてくれている。今、このタイミングで、心身術を復興し、広めていくにあたって、どんなにかすかな力でもよいから、力添えがほしい。同志たちがほしい。ブリュッセル、アントワープ、ナポリ、ブルキナファソ、セネガル、モロッコ、ホンジュラス、ネパール、マドリッド、いろんな処に同志がいる。学校のカリキュラムに取り入れられて、毎日やっている人たちもいる。
古来日本に伝わってきたことを分ち合っているのだから、母国日本にもっと同志が欲しい。
話題を元に戻す。
澤野くんの故郷、美郷町六郷の人たちは、「春霞」の栗林酒造店さんのことを、世界に誇っていいと思う。自然を相手どって、ここまでやっている人たちが、いるのだ、現に、この日本に。
酒造チームの人たちは、ふるくから受け継がれてきた、かけがえのない、日本の美しい心を、身をもって体現し、次の世代に伝える仕事をしている。なでしこジャパンの選手たちばかりでなく、こうした伝統術の仕事をしている杜氏さんたち、酒造チームの人たちから、ひそかに、心から、励まされる人たちも、実際に数多いと思う。
美郷町で過ごした最後の日、栗林酒造店さんの境地を、舞台で実現させたいと思った。
ここで暮らす人たちにとって、最高に感動のある舞台を創りたいと思った。
そういう舞台を創れるまで、あと7年はかかるかなと思った。
いや、7年では遅すぎるから、来年くらいには、どうにかならないか。
そんなふうに思案していたら、新しい舞台の構想が生まれた。まるごとふっと現れるようにして、10曲の音楽とともに。
あらためて原点に戻り、大切なことを取り戻した心地がした。
この舞台を実現したい、と強く思った。
新しく、いろんなことを実現していくにあたって、まず必要なのはヴィジョンと覚悟だ。まるごと全力を尽くしていけるような、身ずから見出したヴィジョン、身ずから為した覚悟、それだけはどうしても必要だ。まずそれだけがしっかりしていれば、気力体力、同士たち、仲間たち、資金、機会、場などは、だんだんに広がっていく。
僕は、日本の伝統の心身術を、日本の人たち、世界の人たちに伝え始めた。道なかばで、身は野たれ死んでも、かまわないと思っている。
大量消費経済・大量消費文化が、人間味をなぎ倒していく世のなか。かけがえのない伝統を受け継いで、進化革新を続けている人たちが、日本のなかに、たくさんいる。覚悟とヴィジョンを持っている人たちが、たくさんの人の、心のひかりになっている。
はっきりしたヴィジョンと覚悟は、身をもって伝統文化を生きている人たちにとっては、あたりまえのことかもしれない。
飯田茂実