グスタフ・クリムトの「接吻」という絵がある。
身体の屈強そうな男が女を抱きかかえ、接吻している。頬を赤く染めた女が恍惚の表情を浮かべている。野花が祝福する。金色が祝福する。色が、線が祝福する。
女の後ろは崖で、女の足は崖の縁ぎりぎりにあって、一歩間違えば墜落するかもしれない。
「接吻」はこれ以上になく幸せに満ちているけれど、絵は永遠に止まっているけれど、時は流れていくし、男も女も老いていく。接吻は永遠には続かない。そのあと2人はどうしたのだろうか。崖から落ちたのか、そこから去って二人仲良く暮らしたのか、空へと飛翔して行ったのか。
最後の公演で、あ、何かに触れた、と思った。自分がどんどん小さくなって、皆のことを感じながら、お客さんなのだろうか、かわからない、大きな何かにタッチした、と思った。つながった、と思った。いろいろな気持ちが私の中に入ってきた。宗教じみて聞こえるかもしれないけれど、それは本当に幸福で、ひろい宇宙のなかで、私は宇宙に包まれていて、宇宙を包んでいた。
どうしてこんなに幸福なのに、どうしてこんなに寂しいのだろうか。
そしてこの先には何があるというのだろう。
今の私は生きたくてしょうがないけれど、そうでないときもある。まあるくなってすべてから閉ざされたところで、自分を護ってあげたいときがある。
身体と心、大切に。
稽古ではもっぱらそう教えられた。自分の身体がどうなっているか。痛いと悲鳴をあげている部分がある。気づかずに放って置いたら泣き出した。自分の身体と心は私のものだけど、他者的存在でもあるのだと思った。護ってあげなくちゃ、と思った。自分を護る。その術を教わった。
わたしの好きな人は、「生きるのはつらいけど、死ぬのはもったいない」と言った。
たくさんの欲求を持って、一個の人でありたい、と思うと同時に、何かにつつまれていたい、属していたい、そうでないと不安で、どうしようもない寂しさでいっぱいになる。
食べたい、愛したい、愛されたい、見たい、知りたい、触れたい、泣きたい、笑いたい、踊りたい、描きたい、書きたい、伝えたい、一緒にいたい、共有したい、悲しみたい、怒りたい、叫びたい、歌いたい、楽しみたい、歩きたい、作りたい、育てたい、つながりたい、つなげたい、接吻、食べる、飲み込みたい、飲み込まれたい
食べたいし食べられたい
だから生きたい
包まれたい包みたい
だから生きたい
聞きたいし伝えたい
だから生きたい
触れたい、「接吻」、じゃあ、そのあとは?
離れ、別れ、そのあとは?