こんにちは、伊藤照手です。
昨日は宮城教育大学の稽古場をお借りしての稽古でした。大雨の後の稽古場はいつもよりしっとりしていました。お外も、池の周りで蛙が大合唱していたりして、木の多い夜のキャンパスはとても素敵でした。
稽古内容は、先日の通し稽古からリメイクする個々のシーンをそれぞれ練習し、アンサンブルを組み立てていく、というものでした。
作品をよりよいものにするために、本番までリメイクの日々が続きます。その都度、作品は生き物で、決まった形などないんだなあ、ということを実感しつつ、稽古から“ゼンマイホン”(全員毎回本番中)で、一瞬一瞬を生きていける舞台にしたいと思います。
稽古後は「語る」ということについて飯田さんの話を聞きました。
どう語るのか、誰に語るのか、どんな立場で語るのか…今や昔や未来の人、何かで苦しんでいる人、自分の苦しかったこと、想像して、思い出して、生きて、語る。
想像する能力は、きっと、他の人の心を感じるためにあるのでしょう、という言葉に、うん、うん、とうなずく。自分が生きて舞台に立つ、という行為に少し意味を与えられた気がしました。
まだまだ、クリエーションは続くのですが、私の中では、この作品があらゆるものを包括するような、大きな、大きな物語として立ち現れてきたように感じられました。
今日も思う存分(思い半ばのときもあるけれど)生きてやろうと思います。
伊藤照手
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