さてさて、また小濱です。
割とひまで元気な人なので、再び日誌を書いています。
本日のクリエーションにおいて、元気に存在できている人がほぼ2,3人しかいないということもあり、今日は身体に力が入らない状態での舞台上での存在の仕方について探ったりしました。自分から何かするのではなく、お腹に抱えた意識だけ覚醒させるようなことらしいです。自分の体を通してしっかりとしているわけではないので、らしい、としておきます。
そのような状態を探るワークの中で、小濱が思いついたり、考えたことをまとまるかわかりませんが書いていこうと思います。
今回の舞台で自分のやりたいことは何なのか。自分にできることは何なのか。そんなことを悩みつつクリエーションに挑んではや一ヶ月超。なんとなく見えてきたような気がするので少しずつ。
東日本大震災からほぼ4ヶ月。どうして自分は生き残ったのか。理由なんかないのかもしれない。大してできることなんかないのかもしれない。
社会的にはほぼ役に立っていない。自分が楽しい、打ち込めるものを主眼においてやっている。義務を果たしきれていない。
国民として、市民として、地域住民として、先輩として、後輩として、友達として、兄弟として、息子として、恋人として。
何の役にも立ってないのかもしれない。やろうと思っていることに意味などないのかもしれない。
今日本には、人並みの幸せを破壊された人、ありきたりな日常を過ごすことのできない人、触れ合っていた誰かを無くした人、生きる目的を無くした人、そのような人々が大勢いる。世界中にももっとたくさんのそんな人たちがいる、生き物たちがいる。そんな中で本当に役に立つものになるかわからない舞台芸術にかかわることを選んでいる。
「笑うものと共に笑い、泣くものと共に泣きなさい」
授業で習った、聖書の一説。
舞台芸術で、自分の生き方で、そんなことができたらいいと思っていた。でも、私にはどうも難しい。知り合いの大好きなおじさんが娘さんを亡くした時にも、気持ちを汲み取ってあげることなんかできなかった。一緒に泣くこともできなかった。ただ、かけてあげられる言葉を捜して、どうにか楽にしてあげられる言葉を捜して、結局見つけられず沈黙するのみだった。
その立場になって考えてみる。その状況下に自分を置いてみて考えてみる。でも、置き換えて考えている時点で、それは私の喜び、私の悲しみ。私の喜びで笑うことはできる。私の悲しみで泣くことはできる。その行為はその人の喜びや悲しみに近づいているかもしれないのだけれど、そのことによって果たして本当にその人は救われるのだろうか。楽にできるのだろうか。
わからない。わからないけれど、何かできることをしなければ。ほかの人から見たら何の役にも立たないし、価値もない道かもしれない。ボランティアや瓦礫撤去を続けていたほうがはるかに役に立っていたのかもしれない。
でも、私がそうするのを選んだのだから、最善を目指さないととても失礼だ。
私の存在は、イノチは、感覚としてどこにあるのだろう。ほかの人の存在や、イノチはその人のどこにあるのだろう。
36億年つながれてきた意思のようなもの、バトンのようなものは、体のどこにあるのだろう。
ずっとずっと、したかったことはきっとそこからできることなのだ。
届けたいもの。つなげたいもの。伝えたいもの。手が届かなくて、もどかしくて歯がゆくて泣きそうになる。
もっと、もっと手を伸ばす。
それがもし小指にでもかすってくれれば、わたしは。
小濱
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。