1 ちのみち
〈ちのみち〉というのは祖母の伝えてくれた古くからの呼び名で、日本伝統の古いふるいダンスを指す。見せるためのダンスというより、体によくて気持いいダンス。
それぞれの腰椎の様態や、気持よさの調子は人それぞれなので、このダンスに振付はない。体の動く人なら、ほぼ誰にでもできる。
大勢でこれをすると、みんなばらばらに揃っている感じになる。揃っている感じになるのは、みなそれぞれに同じ方を向いてするからだ。その同じ方向というのは、体の自然治癒力が高まる方向、生き心地のよい方向。
からだの求めに任せてあげるダンスです。伸ばすと気持のいい方向がある。振り動かしたいところがある。からだの求めに従っているだけでダンスになります。
意識でコントロールして体を操り、特定の美意識に従って踊っているばかりだと、こころとからだにとっては、よくないことが多々でてくる。
東洋の療術をいろいろ学んだ人には明らかだと思うけれど、日本の伝統ダンスはみな、からだに良い動きに充ちみちている。いまどき稀なダンスかもしれない。ダンスのなかのダンスだ。自然でからだに良いダンスと、美しくお見せするため体を躾けたダンスとが、絶妙なバランスで共存している、いいダンスだ。日本にかぎらず、世界中どこでも、古くより伝わる伝統のダンスというのは、そういうものだ。
これがハイパーになると、シャマン・ダンスになる。
最近の人が、表情筋から指先にいたるまで、全身でこの原始ダンスを愉しむと、いわゆる暗黒舞踊に見える。基本的に気持いいからこそ、土方巽さんも、大野一雄先生も、〈ちのみち活元ダンス〉を愉しんでおられたのだ。からだに良いから、ああなったなのだ。
そこに膨大な言語が付着したり、神秘めかした精神論がひっついたりして、舞踏は西洋でかなりの勘違いをされている。芸術表現というところばかりが騒がれて、かんじんの、いのちにとっていいダンスだというところがなおざりにされている感がある。
西洋では、いのちを大切にする芸術ダンスが少なすぎる。いのちにとって末広がりな、命そのものの発動をおこなうと、西洋の人たちから、とんでもなくグロテスクで衝撃的な表現主義前衛ダンスと勘違いされるのだ。体の求めに任せる体にいいダンスを見て、脅えたり、気味悪がったりするのは、いのちの求める動きをなえがしろにしてカッコつけている人たちかもしれない。もちろん国内でも勘違いは多い。
めちゃめちゃダンスを楽しみながら、信州のゆたかな森のなかで遊んで育った僕には、樹木の根っこを見て吐き気を覚えたサルトルの「嘔吐」感覚など、頭で理解できるだけで、
「あんた、一週間くらい、ちのみちダンスを続けなさい」
と〈ちのみち〉の遣り方を伝えてあげるほか、取りあえずサルトルさんみたいな人にしてあげられることがない。
舞踏は、いのちを大切にする日本で生まれた、未来の世界を変えていくダンスだ。舞踏の動きは、いのちを大切にする動きだ。いのちにとって生き心地がよいダンスだ。
舞踏は、日本人の(今や世界でも稀な、素晴らしい)体感覚を土壌として、霊動の伝統のすえに花開いた、日本文化の粋だ。身ひとつでうっとりするだけの人も含め、舞踏を続けてきた人たちは、みな、このことを体感しているはずだ。
〈ちのみち〉は、体のバランスを整えて、免疫力を強めてくれる。
まちがいなく世界でいちばんすぐれた体操である。
大学で大勢の教え子を育て、体操の名教師として知られ、日本の体操教育史に名を残した大野一雄先生が、体操とダンスを極めた末に、ちのみちダンスばかりするようになったのはとても腑に落ちる。ちのみちダンスは、いのちを大切にするダンスだった。ありのままの現象に寄り添いながら、現状をよりよく変革していくダンスだった。
ちのみちというと、聞きなれないかもしれないけれど、このさい名称はどうでもいい。新しい名前をどんどんつけるといい。だいぶポピュラーになってきた野口整体の文脈から、僕はこれを活元ダンスと呼ぶこともある。
僕の踊りを見て「気持いいダンス」「シャマン術コト始めごっこ」などと呼んでいる人もいる。
〈ちのみち〉の「ち」とは何か。子供の頃は「血」だと思っていた。血の道、すなわち血流をよくして体を元気にするのだと思い込んでいた。それだけでは、ないのだった。
「ひ」「ふ」「み」などの短音から花開く、美しい曼荼羅のような大和言葉の、語源を研究していたことがある。その頃、ふるく「ち」というのは、風のこと(コチ=東風など)、そして目には見えないエネルギーのことを指していうのだと知って驚いた。
これは、ちはやふる、というときの「ち」である。
エネルギーは目には見えないけれど、体で、体感として、実感として感じることはできる。ことに掌では、これを感じやすい。
目に見えないエネルギーの流れなので、漢字では当てはまる字がなく、やむをえず当時はこれに「霊(ち)」という字を当てた。
ちのみち。目に見えないエネルギーの道=身霊(みち)。
身(み)と霊(ち)が共にとおって進んでいくところが「み・ち=道」だった。
ちのみちダンスは、こころとからだのエネルギーの流れを良くするダンスだったのだ。 からだの詰まりを抜き、過緊張をゆるめ、ゆるんだところにカツを入れ、身と霊(ち)の流れをよくして、東洋医学でいう全身十二経絡を整えるダンスだったのだ。なるほどこれは、体感としてよくわかる。様ざまな東洋医療術とも合致する。究極の保健ダンスでもある。
〈ちのみちダンス〉をしていると、皆、体の詰まりが取れて自分のいのちを味わい愉しめるようになり、やる気が出てきて、元気になってくる。体調がよくなり物事が美しく感じられるようになる。もちろん、ますますいい男、いい女になっていく。やりたいことを出来るようになり、全力を発揮できるようになってくる。万事末広がりに喜ばしい。
結果だけ見ていると、つくづく、究極のダンス、至上のダンスだなあと思う。
現代の世界では視覚ばかりがのさばって、体の内側の感覚、あの各自奇跡のワンダー・ランドを、体感で実感しにくくなってきている。視覚を主にして、エゴの命令で体をコントロールして、体を固定観念の奴隷みたいにこきつかっている人が増えている。そういう人たちの筋肉は、どこかに緊張が固まっていて、どこかに緩みが片寄っていて、まあ生き心地として大変だと思う。毎日、体の内側からの実感を愉しんでいる人が、まだまだ、少なすぎるのだ。
頭で命令してするダンスをするまえに、もっと体の欲求に添った動きのダンスをしよう。
頭で考えて、体を動かしている人、全員について、これは言える。
〈ちのみちダンス〉で体のバランスを回復しよう。
人の体は、気持良いと感じる方へ、ぐっとテンションをかけて緊張を抜いてあげると、ものすごく喜んで元気になる。体のもとめる方向、つまり気持よくテンションかけたいほうへ、気持よく動きたいほうへ、素直に従っていくといい。
ダンスも、体操も、ヨガ・アサナも、セイシュ・タントウ等の気功も、あらゆる体術は、〈ちのみち〉と結合させることができる。どんな動きとも、たやすく結合できる。
〈ちのみち活元ヨガ〉とか、〈ちのみち活元セイシュ〉とか、どうせやるなら〈ちのみち活元ラジオ体操〉なども、すごく体にいい。
こういうのは見ていてもまた素晴らしい。見ているだけでも、なにもわからないままに、体が元気になる。
ヨガ・アサナや、いろんな身体メソッドや、毎日の健康体操を、〈ちのみち〉と合体させないで行うのは、ものすごく損なことだ。せっかくの体の欲求があるというのに、もったいなさすぎる。ダンスの振付も、すべて〈ちのみち〉と合体できるようにしておくと、体にいいことこのうえないと思う。
日本でダンスを復興し、そこから幾多の伝統を生みだした一遍上人。放浪僧に師事してダンスを復興し、そこから幾多の伝統を生みだしたルーミーのダンス。いずれも、明らかに〈ちのみちダンス=活元ダンス〉だ。
ちのみちダンスは、そのうちダンスの主流になる。
あらゆるいいダンスのベースかつ究極として、誰にでも毎日愉しんでもらえるようになる。
こんな素晴らしい根本ダンスが、まだあまり知られていないのは悲しいことで、もうしばらくは普及活動を続けていきたいと思っている。
悲しいばかりではない。現にやっている人たちの喜びを知るのは嬉しい。いのちを大切にする体にいいダンス〈ちのみち活元ダンス〉を普及させることで、これからどう世界が変わっていくか、愉しみだ。
2 たなすえ
〈たなすえ〉というのは祖母の伝えてくれた古くからの呼び名で、日本の素晴らしい伝統心身術、手当を指す。漢字では「手な添え」と書く。
〈たなすえ〉をすると、体の自然治癒力が活性化して、心地よくなり、元気になる。いわば体内感覚のダンスで、様々な舞い(真居)の基本形である。ほぼじっとしているので、なかなかダンスだと思ってもらえないけれど、これを続けていると、明らかにどんどんダンスがよくなっていく。しみじみと深い舞いに、〈たなすえ〉の稽古は欠かせない。
日本では「治癒」「Therapyセラピー」が、そのまま「手を当てる」ことを意味する「手当」という言葉になっている。こんな素晴らしい伝統をもった地が、他に残っているだろうか。
1970年頃にハワイで始まった、日本の手当療法「レイキ」の普及活動は、日本古来の手当からすると、なんだかちょっと歪んだかたちで、世界に広まっていると思う。ただ手当するだけなのに資格が必要だったりする。今、世界中で、「レイキ・ブーム」である。イギリスでは、この霊気治療に保健が効く。誰にでも出来るありふれた・あたりまえのことで、システマティックにお金をもらったり、お金を払ったりするアングロ・サクソンの遣
り方は、諏訪人としてどうも感心できない。
いやいや、西洋の方々、そして日本の伝統を忘れた日本人の方々。
資格なんてなくたって、手当は、誰にでも出来る。
子供を産み育てるお母さんだったら誰でも、手当=〈たなすえ〉をたしなんでおいたほうがいい。
たなすえは、毎日の保健はもとより、捻挫、打身などのケガに、即効がある。僕はさっきやけどをしたけれど、〈たなすえ〉ですぐに治った。アバラを骨折したときも、骨にひびが入ったときも、爪を剥がしたときも、足首の腱を切ったときも、肩の腱を伸ばして損傷したときも、僕は、〈ちのみち〉と〈たなすえ〉でスーッと直した。薬も要らず、医者に頼る必要もなかった。
もちろん自分のからだだけでなく、他の人のからだにも効く。いのちあるものになら、みな効く。
僕はふだんから常用している。〈たなすえ〉で身を救われたことは幾度もある。
たなすえをすると、ちょっと痛みや熱が高まって、すぐに消えていく。その後は、回復が、とても速い。骨折、傷、内臓のいたみ、皮膚の病、筋肉や腱の損傷、熱、腹くだし、なんにでも効く。もう多くの人にとってはあたりまえのことだ。僕にとっても、あたりまえのことだ。たなすえ(手当、愉気)の仕方を知らずに生きているのは、無謀だとさえ思う。この、あたりまえのことが世界にあまねく広まるまで、たなすえを、日本最高の伝統「手当」を普及させよう。
ダライラマは「compassion(情を同じくする)」ということをしきりと説いておられる。これは頭で理解するようなことではない。人に言葉で説いてきかせても、実感できない人には実感しにくい。
手当=たなすえ=愉気をすれば、自然とcompassionが身につく。とてもかんたんに、心地よく身につく。頭で理解するのでなく、体感覚として実感し、心得ることができるのだ。ここから始めるのが、いちばん大切だ。
お互いにもっと気ままに手当しあおう。この伝統手技を、野口晴哉は「愉気」と名づけ、活元と愉気だけですべて足りるとして、一生これを人々に推奨し続けた。お互い元気に活かしあう術である。
掌から何かを出そうとしているわけではない。掌でいのちを感じるだけで効目がある。掌でいのちを感じ、自分の背骨のなかと、息を感じるだけで、効目がある。想い浮かべていることも、空は広くて青いなあ、だけで充分だ。
あらゆる体術は、〈たなすえ〉と結合させることができる。
人交わりに関わることは、芸事であれ、諸道であれ、すべて〈いのち〉を感じ、いのちに向かっておこなうことで、みるみる上達し、喜びが増していく。お客さんなどの「人」を目指して練習や稽古をするときも〈たなすえ〉はとても大切になってくる。〈たなすえ〉でいのちを感じることは、あらゆる「関わりあい」「人交わり」のベースであり、しかも究極だと感じている。
祖母がこれを〈たなすえのみち〉と呼んだことがある。〈たなすえ〉は、人の生きるみちだったのだ。ようやく、近頃、そのことに、気づいた。
からだとこころを育て、人交わりをゆたかにしていく、この究極の伝統に、改めて気づいてからは、コンタクト・インプロヴィゼーションという代替ダンスに関心がなくなってしまった。どうしてもコンタクト・インプロを踊り続けたいのなら、究極のコンタクト・インプロである、日本のたなすえ(手当・愉気)をベースにしていくのがいいと思う。そのほうが、ずっといい。
もちろん〈ちのみち活元ダンス〉をしながら、たなすえをしたほうが体にいい。
手の感覚がよみがえってくると、誰でも、いのちから手を離して感じても、てのひらにいのちを実感できるようになる。掌をだんだん離していってもお互いに感じるので、不思議がる人もいる。
ワークショップで1メートル以上はなれたところから実験してみると、誰でもこれを信じてくれる。不思議だけれど、現に感じるので仕方ない。なんということだ、こんなことが誰にでも楽にできるのだ。いのちにとっては、あたりまえなのだ。
ワークショップで五分ほど試してもらっただけで、人生が変わってしまった人がたくさんいる。感じればわかる。論よりは証拠、話よりは実体感が、わかりやすい。
この遠隔手当を、舞台公演など、少し大きな規模でおこなうと、〈たなすえダンス〉になる。周りのいのちを癒し活性化する、癒しの愉気ダンスになる。
意念だけですると、瞑想になり、祈りとなる。
すでに誰でもご存知なように、瞑想とか、こころからの祈りの気持というのはとてもからだとこころに良い。僕の幼なじみの親友で、行院のベッドに横たわったまま、そういうことを続けている人もいる。ありがたいことだ。
誰にも触れずに一人で瞑想する人もいるけれど、せっかくだからもっといのちを感じたほうがいい。じっと一人で座っていなくても、誰かに愉気するだけで、至福の瞑想をできる。一人で瞑想するよりも、お互い元気に活かしあいながら心地よく瞑想するほうが、末広がりでめでたい。
このダンスの伝統を、大野一雄先生が、体操教育の現場から、モダン・ダンスの現場から、舞台芸術の現場から、復興された。先生のことを、毎日想っております。大野先生、本当にありがとう。
おばあちゃん、ありがとう。
3 おまじない
おまじない、というのは祖母の伝えてくれた古くからの呼名で、毎日のシンプルなことばの術である。各自それぞれにとっての最高の「自己像」「世界像」を、毎日こころに蘇らせて唱えるだけ。息、声、言葉、潜在意識のはたらきを大いに活用して、生き心地をよくする術である。
日々、唱えているうちに、おまじないのフレーズそのものも、より生き心地よい方へ向かって、変化していくことが多い。
僕の毎日おまじないフレーズは現在、ほぼどれも、大和ことばになっている。すべて五七八の複合リズムで、リズミカルになっている。
その日の気分に応じてここにいろんな節をつけ、沖縄音階で歌ったり、ロマ音階で歌ったり、ブルースふうに歌ったりしている。ふだん部屋では、倍音唱法で囁いたり、朗唱したりしている。やはり祝詞(のりと)みたいになることが多い。
「おまじない」は古来、さまざまな名称で呼ばれた。
「言い聞かせ」「魔法の言葉」「毎日フレーズ」「自己暗示」「マントラ」などと呼ばれた。
フランスで催眠療法が生まれたのは「おまじない」がきっかけだということはよく知られている。よく効くからもちろん宗教でも用いられたし、達人はみな過去に、この心身術を用いていた形跡がある。
これが固形化して、聖典なんかになってしまうと後々の人たちが困る。一遍上人は生涯に記したものをすべて焼き捨てた。ルーミーは「これ、詩だから。みんなも、自分の、詩を生みだしてね」というふうに、こころからとめどなく溢れてくる真言を、文学作品として残した。
各自が自分の性質に応じて、工夫して創り、改良し、補強しながら、毎日、唱えていくのがいい。おまじないを工夫するのは面白くて楽しい。たぶん初等教育を受けている人なら、誰にでも簡単にできる。
〈おまじない〉には「引き寄せの法則がある」なんて言うけれど、自己中心的な見方だ。
何かを引き寄せるのではなく、つながるのだ。「つながるの法則」と呼んでもらいたい。
自他を進化させ改良していくにあたって、もっとも速くて効果的な方法。ワークショップ『生き心地のよい心身術』ではなるべく、「おまじないの仕組・おまじないの効用・おまじないの創り方・おまじないの用い方・おまじないの留意点」を伝えるようにしている。
ただし一回かぎりのワークショップには制限時間があり、ちのみちを伝えるだけで精一杯だ。
そこで先日〈わらび座〉でワークショップをしたとき、ついに心身術の禁断領域「活字で印刷」に挑んだ。決して固形化しないでください。
いつも元気な芸能人なんかは、たいてい〈おまじない〉を持っている。伝統宗教のおまじないや、信仰宗教のおまじないを唱えている人たちもいる。
もっと差し迫ったことをオリジナル・フレーズで唱えればいいのにと思う。
お経などの古いマントラは古すぎて意味がわからなかったりして実感がわかない。実感のわく母国語で、ゼロから地道に創って育てていくのが、いちばん面白い。僕は『般若心経』『法華経』などの大乗経典や、主の祈りや、各種マントラを唱えていたことがあるけれど、やはりそうしたマントラの真髄に学びながら自分で創ったマントラがいちばん唱えやすく、唱えていて心地よく、効果があった。
自分で創った自分用のオリジナルがいちばん長持ちしている。歳をとったら、あるいはもっと短いマントラを繰り返すだけで足りるのかもしれないけれど。
〈おまじない〉は宗教とは切り離しても効くことなので、とくに教祖様を信奉する必要はないと思う。自分で創ってしまえばいい。自然ないとなみに、特定宗教のバイアスをかける必要はないと思う。絶対に疑ってはいけない固形化したことを、仮設する必要もないと思う。
生き心地よくやっていく究極の技術。秘伝でもなんでもないことなので、やはりお互いにどんどん共有しあえるといい。
〈わらび座ワークショップ〉以来用いることにした、2枚のプリントを、このブログ日のブログ日記の最後に、そのまんま掲載しておきます。
類似の書物はいくらでもあるので、興味があったら確認のため勉強してもいいと思いますが、やってみて効力を味わうほうが速いです。
それぞれ、ぜひ身につけてもらいたいです。改良できるところは改良して、よろしければいつか、改良したところを教えてください。
………………………………………………………………………………
4 みっつの術をかさねあわせる
ちのみち(活元・霊動)、たなすえ(手当・愉気)、おまじない(毎日フレーズ・自作マントラ)、このみっつで、ダンスは足りる。
どんなダンスであれ、どんな体育であれ、どんな医療術であれ、どんな体操であれ、どんな芸道であれ、どんな思想であれ、いちばん効力を発揮するベースは、ここにある。試してみたら、すぐにわかります。
いのちにとって、からだとこころにとって、いちばん大切なこと、いちばん学ばなくてはいけないことは〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉だと思っています。万巻の書物を読んで、様ざまな知識を得たうえでも、やはり僕はそう思います。
僕はいいダンスを続けて、このみっつの心身術を体で味わっていく。見せるために工夫するばかりでは、せっかくのダンスがもったいないです。
いのちから出てくる、ちのみちダンス。
お客さんたちと世のなかを愉気する、たなすえダンス。
息と、声と、広末がりな言葉を、同時に全身で感じて動く、おまじないダンス。
このみっつをひとつにかさねた、生き心地のいいダンス。
〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉がひとつに合体したダンス。ルーミーたちが復興したダンス。一遍上人たちが復興したダンス。大野一雄先生が復興したダンス。誰にでもできるダンス。伝統ある、シャマン・ダンス。
いろいろと秘密の知識を得る必要があったり、対処療法みたいだったり、廻りくどい方法はたくさんありますが、僕の知りうるかぎり、いちばんいい心身術は、
〈ちのみちダンス〉〈たなすえ〉〈おまじない〉。
これがベスト3だと思っています。
すべての人間活動のベースです。
小中学校を通じて身につけておくと喜ばしく末広がりです。
もちろん何歳からでも始められる。亡くなる一週間まえくらいからでもよく効く。
もっといのちを大切に体感して、実感したほうが、誰にとってもよい。
昨年、カリブ海に浮かぶガリフナ族の小さな島でふと思いつき、それ以来、毎日工夫を重ねて、みっつを組み合わせた、かたちを生みだした。みっつの心身術を組み合わせて、ほぼ誰にでも、毎朝10分で出来る、基本のかたちを創った。
〈まむかい〉という、すごくシンプルで奥ゆかしい「毎日の健康体操」が出来てきた。僕は毎日やっている。やりながら改良をすすめている。
ちのみち、たなすえ、おまじないを、伝統的な〈真向法〉の四つの骨盤ポジションと合体させ、TFTの手順を取り入れて、順番を少し変えた。
これは効く。
元気になった、という報告が相次ぐ。
基本形があるだけなので、ヴァリエーションは無限である。僕だって実は毎日、その日の遣り方を体の勘で開発している。チベット・ヨガのポジションと合体させたり、変幻自在だ。WSでは、御参考に、基本形をいちどお伝えするけれど、その先は各自改良して遊べるのがいい。
固定したもの、固定したことなど、いのちの世界には何ひとつない。常に変化して、新しい状況に応じ、新しい環境に応じ、バランスを取ろうとしている。
僕にとって、舞台というのは、〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉の効力を、証明できる最高の機会でもある。シャマン活動のクライマックスとして、パフォーミング・アートの現場を生きていきたい。
………………………………………………………………………………
これ、レリジョンとかと、ちゃうねんで。誰がやっても、すぐに、効くだけやねん。この命にな、この体にな、この自分にな、もともと備わっとった力、信じてあげるだけですむしな。金もいらん、教祖さんいらん。そういうありがたい伝統の、からだの常識やねん。
(標準文章語訳。)
これは宗教みたいなものではない。誰が行ってもすぐに効くというだけなのだ。この命に、この体に、この自分に、もともと備わっていた力を信じてあげるだけでいい。金を費やす必要もなく、教祖様も必要ない。そのような、ありがたい、伝統的な体の常識なのだ。
(諏訪之国ことば訳)
こりゃあ宗教みてえなもんじゃあねえでな。誰がやってもすぐ効くっつうだけだわえ。おれたんこんいのちとか、こん体に、もとっからついてた力、信じてあげるだけですむもんだで。金もかからねえら。教祖さんもいらねえら。ありがてえこんだわな。こんなこん、昔っから体にとっちゃあ、ふつうのこんだっただでな。
どういうもんずらな。昔っから伊那とか諏訪じゃ、こうゆーこんは、誰んとったって、あたりめえのこんだったと思うだけどな。
みっつともオレにとっちゃあ、あたりめえのこんだったもんで、ほかのひとらがしらねえなんておもってもみなんだわ。そんでいろんなこと勉強して、けえって、こんな大事なこん、よのなかに広めなんだら、もってえねえっておもうようになってな、あっちこっちとびっからかしているだわえ。
5 日本伝統の心身術が、今後自分たちを、世界をどう変えていくか
百巻の哲学議論よりも、ひとつの短歌、ひとつの俳句のほうが、人生に効くことを、味わい深くやさしく伝えてくれたりする。誰にでもやさしいほうがいい。いのちを大切にするシンプルな術のほうがいい。
数学の岡潔さんは、パリ・ソルボンヌ大学に留学して、ベルエポックのフランス文化に「なんだ、こんな程度のものか」と失望した。そうして世界でもっとも深遠微妙なのは日本人の感性、日本人の伝統的な情緒であると看破した。日本人のありふれた情調の世界からみたら、数学の問題など解きほぐすのはたやすいとみた。
帰国後、岡潔さんは、数学的大業の準備として、日本人のこころ、おもに芭蕉の俳句を研究した。そうやって「日本の情緒」をいったん意識化してから、その左脳で、数学の難問に挑んだ。その後の岡さんの業績は、日本の数学者なら誰でも少しは知っている。
超人的な本質直感と知性の細やかさ・柔らかさで、岡さんは、科学の世界に、前人未到の業績を残した。広中平祐はじめ、日本人の数学者たちは、岡潔に大きな恩恵を負っている。湯川秀樹も、朝永振一郎も、岡潔さんの薫陶を受け、岡潔さんにインスパイされた。
成果だけ見ても、超人的。着想、発想は、自由自在。「岡潔」というのが、決して一人の人間なわけがなく、天才的な数学者が結集した共同研究グループだと、西洋では長く信じられていた。
岡潔さんは晩年に、ある切迫感にかられ、数学はさておいて、日本民族について、日本の情調の大切さについて、若い人たちに「講義」という形で説いてきかせていたという。
伝統的な日本文化のなかで生まれ育ち、日本の伝統を意識的に身につけた人が、すくすく成長していくと、こうなる、というひとつの例だと思う。
日本人の体感とこころを育ててきた〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉という伝統の心身術を復興させたらどうなるだろう。そうして世界へ広め、次世代に残していったらどうなるのだろうか。
僕はここから、日本を復興していく。
実は、とっても、末広がりで、愉しみなのだ。
………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………
おまじない (ワークショップ『生き心地のよい心身術』より)
〈おまじないの背景〉
・各自のこころの奥の「観念」と「イメージ」が、現実をつくっている。
・人は誰でも、自分の抱いている根本的な「自己像」「世界像」によって、
外部からの情報を選択し、内側から能力を変化させ、
その「自己像」「世界像」をさらに強固なものにしている。
………………………………………………………………………………
〈おまじないの実践〉
・自己と世界について、潜在意識に刷り込まれた、狭くネガティヴな観念・イメージを、
生き心地よく改良して、上書き保存する。そのためには……
・各自、ちょっと内緒のおまじないを創る。自分で創り、自分で唱え、自分で育てる。
紙に書いて、身近なところに保存しておき、
必要に応じて、内容、言い回し、唱え方を、工夫改良していく。
・毎日、かならず一度は、おまじないを唱える。
感覚的にイメージしながら、ほかの心身術と組み合わせると、効果が倍増する。
・声に出して、あるいは息に出して、体で唱えること。
こころのなかに浮かべているだけでは、効果は少ない。
・おまじないの数は、少なくとも、年齢の半分くらいはあってよい。
おまじないの中身・言い廻しは、時を経て変化していくこともある。
・一日に一度、カーテンと窓を開けて、潜在意識を換気するようなことです。
・世界が殺風景にしか見えなくなったときこそ、もう2週間続ける。
こんなの、意味ないと思ったときこそ、もう2週間続ける。
………………………………………………………………………………
〈おまじないのつくりかた〉
・みっつの定番フレーズ
「ありがとう」(おかあさん、師匠、みんなみんな、ご先祖様)
「日毎どんどんよくなっていく」(日毎、すこやかになっていく)
「幸運ばかりでついている」
・自分の改善したい点・欲求を、本音で洗いざらい、マッピングしてみる。
いくつかの願望を、大きく束ねてひとつにまとめてもいい。
お父さんとの間柄をよくしたい→「おとうさん、ありがとう」
踊りうまくなりたい→「私が踊ると、みんなが嬉しい」
かわいくなりたい→「こんなにすてきでかわいらしい」
からだがかたい→「日毎しなやかになっていく」
英語できるようになりたい→「世界各地の人たちと仲良く協力しあってる」
………………………………………………………………………………
〈おまじないづくりの留意点〉
・願望は、すでに実現したこととして言う。
「健康になれますように」→
「いつも気楽に充ち足りて、お互い元気を愉しんでいる」
・最高最良のかたちを用いる。
「世界のみんなを愛してる」
「我と宇宙はひとつにて念ずれば現ず」
「この世を天に近づける」
などと大きく出ていい。
・内容は絞り込まず、おおまかなほうがいい。
「年収500万円」→「富と栄えに恵まれている」
「来年の3月に彼女と結婚できますように」→
「素晴らしい出会いに恵まれて、人とこころが通いあっている」
・唱えていて、息が詰まって緊張するような内容は避ける。
物理的に実現不可能なこと「身長5メートルになる」はムダ。
・否定形は用いてもムダ。
「バカじゃない」→「深くて不思議な知恵がある」
「人を殺してはいけませんよ」→「誰だって相手の気持になって話せばわかる」
飯田茂実
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。