澤野正樹くんは山澤くんと仙台で、二階立ての奇妙な建物に住んでいる。自宅がそのまま舞台スタジオになっている。
かつての京都・飯田ハウスもこんな感じだった。いつも若い人たちが集まって、稽古したり、打ち合わせしたり、呑み食いしたりしていた。
澤野くんは自宅で寝て、食べて、大勢の仲間と交わって稽古して、歌って、踊って、笑い、泣き、怒り、制作の打ち合わせをする。
このちいさなスタジオがなかったら、『春風のなか、ちいさな街』は生まれなかった。
舞台人は日常が、そのまま舞台生活だ。夢みたいな出来事にあふれている。
この春、この建物のまえに佇んでいるおじいさんがいた。澤野くんが何となく気になって話しかけてみたら、その人は三月に被災して日曜の礼拝場を失った牧師さんだった。礼拝の場を求めてさまよっているところだった。澤野くんは、貧しい者同士ということで、その牧師さんに、礼拝の場所として、スタジオを無料で提供することにした。
牧師さんにとって、澤野くんは、神様から遣わされた人だったらしい。キリスト者は、神様に感謝する。奇跡みたいなことだと、牧師さんは、神様に感謝した。
この老牧師さんが主宰するキリスト教の礼拝はすごかった。ゴスペル系の集いではないけれど、ゴスペル系のハイパー・スピリチュアル感があった。
「みなさん、心から、アーメンと言えますか! 心から、すべてを受け容れ、愛することができますか! 神様に、ありがとうと言えますか! 言えますね! 言えるんですよ! 私たちはみんな、神様の子です! 心に光がある。光を与えていただいた。みんな神様のおかげです。アーメン! アーメン!さあ、アーメンと、言いましょう!」
老牧師さんは、精霊に満たされていた。
わたくしごとになるけれど、昨年、中米ホンジュラスの山奥に滞在して、療術活動をしていたとき、宿泊先の家庭で信仰の集いがあった。その集いのエネルギーがすごかった。大勢がエスピリチュ・サント(聖霊)にみたされて、こころを浄化されてゆく。居間いっぱいに、聖霊感が、どんどん高まっていく。かたわらで食事をしていた僕は、礼拝のクライマックスで思わず立ちあがり、みなと声を合わせて、同じ仕草でお祈りをしてしまっていた。家いっぱいに、感謝の光が充ちていた。ほとんど古代エクスタシー世界だった。シャマン系のクリスチャン礼拝だった。
こういうのは宗教とか教義とは関係ない。人としての本能の祈りみたいな、信仰の集いだ。
絶対に信じなきゃいけない教祖とか、絶対に信じないと地獄におちる聖典とか、そういう宗教・教義は必要ないと、僕は思っている。
ただし、人間であるかぎり、誰しもそれぞれの信仰を、日々、よりよく育てていく必要はあるんだろうなと感じている。
僕は信仰をもっている人たちが大好きだ。信仰をもっている人たちとは、すっと心が通う。固定観念を減らしていくには、シンプルな心からの信仰をもつといい。
こころからの信仰もないまま固定観念にまみれている人はたいへんだ。
信じ仰ぐのは、自由な世界だ。エゴがどんどんちっぽけになっていって、すがすがしい。
自分もまた、信仰をもっている。
「ダンスはいい! 今日も、まるごと、元気に活かし合って、ありがとう!」
といったところから始まって、シンプルな信仰とともに暮している。
励まし合い、支え合い、この世を少しでも生き心地よくしていこうとする信仰の集い。宗教じゃなくて信仰だ。おのおの自由な信仰を持ちより、全体がばらばらに揃っている信仰の集いだ。
絶対にこうであって逆らえないような宗教は、もうこの時代には必要ない。それぞれのこころからの信仰が必要なのだ。日々それぞれがひそかに保って育てていく信仰、日々より良いほうへ、赦しや愛情のほうへと育っていく信仰があると、やはり生き心地もだいぶよくなる。
宗教が使用してきた心身技術は、教義とか教祖さんとかと切り離しても、そのまま効目があることばかりだ。
教祖さんのことを念じながら食べたり、教義を守りながら食べたりしなくても、おいしいものはそのままおいしくて体にいい。
シンプルで効目がある心身術を、宗教がらみで独占していた人たちは、これからの時代、そういうことをさっさと捨てて、人間の奴隷なところをどんどん解放していくことになる。今後はいやでも、そういう時代が来る。
シンプルで効目のある心身術が、切に必要としている人たちのあいだで、やすく、手軽に、素早く、分かち合えるようになる。
自然ないのちはすごいですよ。生き心地がよくなってくると、医療費とか薬代とか、いわゆる健康維費なんて、100分の1くらいですむようになる。試してみれば、すぐわかる。すごい治癒力をもった自然のいのちは、教祖さまとも、教義戒律とも関係ない。生体現象に対する量子物理学的観点からの説明がなくても、わかる人には、スッとわかる。
大人として世のなかを渡りながら、子供のころの想いを保っていこう。
「絶対に正しい教祖さま」も、「信じないと地獄に落ちる聖典」も、要らない。
僕なんかは、大きな木のある森があれば、エネルギー・バランスのとれた森があれば、それで足りる。森の大きな樹たちの抱いていることに心を澄ますと、説得力のある何かが伝わってくる。取引言葉や「これはこうあるべきだ」といった概念を超えて、植物の言いぶんみたいなものが伝わってくる。
生き心地よくなるには、やはりそれぞれに、頭ではどうにもならない働きを信じ仰ぐ必要があると思う。それぞれの腰椎の形、回路、過程、背景などは違うから、信仰の対象は、それぞれに違っているのがいい。息が楽になることならいい。各自それぞれ違っているほうがいい。決めてかかって凝りかたまりさえしなければ大丈夫、やわらかく何かを信じ仰ぐこころの動きはやはり、世のなかで生きる人にとって大切なのだと思う。
ダンサーは、人間の元気や、からだの潜在力を信仰している。
こういう信仰は、舞台創作だけでなく、いろんな場で自動的にあらわれてくる。
世界中いく先々で、僕はいろんな信仰の集いに巻き込まれる。身ずから巻き込まれていくことも多い。
自分が何を感じているか、いつもたしかめて心を清めている人たち、柔らかくてこころ 深き信仰を持っている人たちは素晴らしい。
「こういうことにしておこう」という固定観念をはじめ、宗教・宗派・教義戒律、そういうものにこだわったとたん、人の目つきや指先はこわばるし、一緒にいる人たちもみんな気づまりになる。
こわばらざるをえないような、それぞれの状況も、立場もある。そういう状況や立場を踏まえすぎると、みんな身動きがとれなくなる。生命を踏まえていくほうが心地よくて速い。
気づまりは、なるべくその場で、あるいは次の場あたりで晴らすことにしている。整体などの心身術の世界では、体を用いてサッと気づまりを抜く。固定観念による痛み・苦しみ(名病み)も、お互いの体を用いて、その場でサッと抜く。
ダンサーは、昔から、あらゆるダンスを用いて、そういうことをする。
舞台で見せるような今どきのいわゆるダンスは、広大無辺なダンスの世界の一角にすぎない。
ホンジュラスの山奥で集いを主催していた宿泊先のママさんは、たったひとりの息子さんを山賊に殺されて失ってしまった人だった。
そういうことが、人災が、ひっきりなしに起こる国なのだ。
ホンジュラスは、アメリカやスペインの武器産業の市場にされた。製薬産業が廃棄した呑み薬の闇市場にされた。ごく一部のだぷだぷに太った大金持ちたちが、USAからおこぼれをいただいて富み栄えているだけで、貧しい人たちはノートを買う金もなく、医者というものを見たことさえない。スラムの町では毎日、マフィアが殺し合っている。この国では、誰もがマフィアに脅えて暮さなければならない。暴力と金に逆らうとすぐに命を奪われる。
「こんなに純粋な、こんな祈りの集いは、今どき、こういう国の僻地ならではだろうな」
と思った。
イタリアとかスペインとかベルギーとか、ヨーロッパのカトリック本家ではもうすっかり、信仰力がたるんだり、すさんだりしている。
「日本でこういう礼拝をしているキリスト者たちは……」
と思った。
「どこにいるんだろう……」
ホンジュラスの山奥で、そう思っていたら、なんということだ。
仙台におられた。
被災して、澤野くんの自宅=Studio+1を頼ってきた方々の集いだった。
6月のなかば頃。この老牧師さんが、日曜の朝早く、宿泊先の澤野スタジオへ、礼拝をしにやってきた。
牧師さんは、霊感にあふれた顔で、戸口に立っている僕をじっと見ながら近づいてきて、
「あなた……門番さん。ここを護っておられる門番さんですか。どうも。御苦労さまです」
と深ぶかお辞儀をした。
ここを護っておられる門番さん?
各自の現実というのは、その人のこころ次第だ。現実をどう感じ、どう受け容れ、どう歪ませるかは、それぞれのこころに拠っている。これはブッダ、イエス、空海、ルーミーさんといった方々の言っていた通り。世界というのは、それを感じる一人ひとりの心次第だ。それぞれの人の心の現実が、それぞれの人の世界だ。
世のなかをよくするいちばんの方法は、それぞれが自分の心をひろげきよめることだ。
この牧師さんの心の世界からは、僕が「この場所を護っている門番さん」に見えた。
そのような現実が、この牧師さんにとって、ありふれた、日常の、ありきたりな、常識の、現実世界なのだった。
牧師さんの心の現実と触れ合って、なるほどと思った。僕はその頃まさに、この建物で、e-dance仙台による舞台作品の、門番をしていた。門のなかでは、やがて『春風のなか、ちいさな街』というタイトルになる舞台作品が育ちはじめていた。この作品から出て行くもの、この作品に入ってくるものを、ひとつひとつたしかめながら、僕は敷地の境に立っていた。
この春、ヒマラヤの孤児院で親しくなった老門番さんは、いつも門の内側のことを、
「よかれ、幸あれ」
と願っていた。自分に出来るかぎり敷地のなかを整えていた。噴水のバルブや、泣いている女の子や、あちこちをさりげなく、すすっと調整したりしていた。早朝に、深夜に、ひとりで、お祈りをしていた。
たしかに、僕は、創作のあいだ、時おりふと、あの門番のおじいさんのことを想い出していた。出演者たちの敷地と、他者の世界=お客さんたちの敷地。その境に立って、精一杯、感覚を澄ませていた。
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この時代の最高の医師とも呼ばれる療法家、シャマン術実践者のアーノルド・ミンデルは、僕たちのこころの上面の、のっぺらんとした現実を「合意的日常世界」と呼んでいる。
「まあ、仕方ない。しょせん、こういうものだ」
ということにして、自分の現実を「合意的日常世界」のなかへ押し込めてしまうと、人は 心を病むという。
その通りだと腑に落ちるほかないような、社会の大きな現実がある。
なるほど、かためられて形骸化してしまったことは、いのちの光を吸収するばかりの闇となる。
この地球上には、自殺者、アルコール中毒者、鬱病者が、へんに多い地域がある。
それはいずれも、祖先伝来の大切な、伝統の心身文化を、急速に失ってしまった地域である。自然と社会の大きなバランスをとる、シャマン文化を失ってしまった地域である。魂の拠りどころや、仲良く生き心地よく暮らす伝統術を、急速に失ってしまった地域である。全身全霊で共同体の生命をクライマックスへもっていく地元のお祭りを失ってしまった地域である。おじいさん・おばあさんが書見台や神棚の代わりに、テレビのまえにばかり座るようになった地域である。
カナダ・エスキモー、ネイティヴ・アメリカン、アボリジニーなどの人びと。
そして日本では、地域でいうと、沖縄県、東北ことに秋田県。
秋田県、沖縄県に、自殺者が多いということを御存知だっただろうか。
え? あのテーゲーな、メンソーレな沖縄が? といぶかしく思う人は、沖縄の伝統文化がどのようなものだったか、どれほど心深くゆたかなものだったか、それが現在どうなっているか、あまり知らない人かもしれない。
妻広江の生まれ育ったところは、沖縄県文化の発祥地ともいわれる離島の片田舎で、今なお伝統文化が息づくなか、ユタ(シャマン)の方たちが人びとの体と魂をケアしている。不思議な力をもつユタの方に、僕自身、どれほど援けられたか知れない。シャマンの大きな愛の力が、人にどれほど素晴らしい変化をおよぼすか、僕は身をもって知った。元気に活動していられるのは、妻のおかげはもちろん、妻の故里のユタのおかげでもある。僕なりに、妻の生き方は、よく、よく、わかる。
今回のツアーのコーディネイタ―、僕が東北原人などと呼んでいる澤野正樹くんの生まれ育ったところは、秋田県の六郷という、村のような片田舎。もともと伝統文化の盛んだったゆたかな土地である。僕なりに、彼の生き方は、よく、よく、わかる。
飯田茂実の生き方も、本人なりに、なんとなくわかる。この人もまた祖母から、日常のなかで生きてはたらく、ゆたかな心身術の伝統を受け継いだ。ちいさい頃から、伝統の風習、信仰、祭り、神事などに恵まれ、森のなかで遊びながら育った。諏訪人のこころを子供たちに伝えようと夢中になっている、不思議なおじいさんたちに囲まれて育った。
こころの伝統を受け継いで、都会のなかで生きる。恵まれた自然のなかで育ち、都会のシステムのなかで生きる。活動というか生き方が、いつも、いろんな境界の、両側にまたがっている。ある人たちから見れば、「どうして両立するのかわからないような」矛盾にみちた生き方だと思う。ある人たちから見れば、まるごと自然な本能活動だと思う。
客観的に頭で考えると、どうしようもない混乱をきたすようことを、まるごと生きていく。生活、人生、生命であるかぎり、そうなる。
今、世界中で、古来のシャマン文化が、急速に失われつつある。世界規模の消費主義文化にむしばまれて、失われつつある。
かけがえのない伝承が、薄っぺらな欲の力で壊されていく。しばらく必死でかたちだけ保って、やがて消えていく。
このことで僕は、どれだけ泣いたか、わからない。悔しくてならない。泣くたびに、なんとかしてやるぞと思う。
古くから大切に伝えられ、受け継がれてきた心身文化は、このまま放っておいたら滅びて消えてしまう。そうなったら取り返しがつかない。
それは、人類の今後の存亡に関わるような、本当に、本当に、大切なことなのだ。身魂に光をもたらしてくれる、そうした伝統の心身術を失ってしまったら、人間はどんなに賢くても便利でも簡単でも、病み(闇)のなかで苦しむようになってしまう。
自然ないのちとつながったこころ。世のなかでいのちから切りはなされて弱っているこころ。自分の心と、人の心をたしかめながら、経験を重ねながら、まるごと全力で生きていく。そうすると、現実は、ゆたかな奥行きを増していく。
秋田のちいさな町にある、澤野くんの実家で、澤野くんのおじいさんにいろんなことを託された。
澤野くんのおじいさんは、かつて強い信仰を持ち、この町を、世のなかをより良くしようとして、奔走していた議員さん。
「飯田さんの踊りは、何をしているのか、ちょっとわからなかった」
と口では言いながら、
「見ながら、こんなことを想い出していたんだ」
とこちらがびっくりするような、そのものズバリを語ってくれた。
おじいさんは、僕が舞台で何をしていたか、たぶん、奥の奥まで、見透かしていたのだと思う。そうして、そのことを、決して言葉では言えないことを、言葉で喩えほのめかすようにして、話してくれたのだと思う。
「あなたは、こういうことが出来る人だと思った。どうですか。隠しておられるだけで、本当は、できるんでしょう?」
と、腹の底までしみとおるようなまなざしで、僕の目をじっとのぞき込みながら、奥深い話をしてくれた。
おじいさんの心の現実は、僕の心の現実と、そのまま通いあっていた。お互いにそのことをたしかめあって、万感の想いで、いったん別れた。
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子供の頃は、自分のことで精一杯で、人のこころはよくわからない。
長年を共に過ごした人と人が、どんな深い想いで結びついているのか、この人とこの人が協力しあえたら、どんな方向で、どんなことが生まれてくるのか、そういったことも、若いうちは見えてこない。
人のこころに関わる知識も浅く、器も狭かったりして、若い頃は何かとむしゃくしゃしたり、いらついたりする。想いをかけてくれている人たちや、恩を受けた人たちに対して、なんということだ、「許せない」なんて思って鬱屈したりする。
どんな過去の事情があっても、どんな背景があっても、心が曇って鬱屈してしまうとたいへんだ。心が鬱屈したままだと、生命もそこにつきしたがって、鬱屈をはじめてしまう。そうした鬱屈が続くと、体が自己免疫性の疾患をつくりだして、自壊するほうへとすすんでいくこともよくある。
若いうちは柔らかくて余地がたっぷりしているので、そこからどこまでも伸びていける。自分の心身に正直に、素直にまっすぐ進んでいけば、こころはどこまでも伸びられる。
頭でこうすると決めてかかって、ねじれたまま言い訳しつづけたりすると、心は鬱屈する。自分の心身の自然を、抑え込んでいためつけさえしなかったら、辛いことがあっても大丈夫だ。
人交わりの経験を重ねるにつれて、人の心がわかるようになる。立場なんかも含めて、こころまるごと、相手の感じていること、相手の想いの方向が、まるごとはっきりわかるようになる。
ダンスとか整体をしていると、相手の感じている身体感覚まで、もろに伝わってきて困ることもある。とくに、つっかえ、しこり、痛み苦しみが伝わってくるのは、こちらも辛い。
「ちょっとうつ伏せになってください」
などと言って、相手の体に何かとおせっかいをやくのは、自分も楽になりたいからだ。一瞬ちょっとショックを受けたり、こちらが一時的に相手から苦手とされるくらい、なにほどのこともない。体や心の、大きく詰まっている処が流れるようになって、大きく足りなかったところが補われ、長い目でみて生き心地よく、楽になれたらそれでいい。
相手が、政府の高官であっても、行きずりのストリート・ボクサーであっても、少し頭があたたかい人であっても、有名なスターであっても、僕のこのスタンスは大差がない。
飯田茂実と知り合うほどに、誰もが、ぽかんとし、驚き、至福の笑顔で大笑いし、ときには泣きだす。僕がいつも、そうやって暮らしているからだろう。何人かのイタリア人に言わせれば、飯田の近くにいると「感情の嵐」を体験するのだそうだ。
感情の嵐のうち、怒りひとつとっても、いろいろある。誰しも怒る。たいしたことでもないのに怒る。まだ許せないことがあったりするのだ。怒りの呼吸は、定期的に呼吸に必要だ。「怒」のエナジーで体を緊張させるのは、リラックスのためにも必要だ。
ただし怒りを抑圧してしまって、こころとからだのなかに固着させると、いろいろ危ない。
「ここで怒ると損をする」
「ここで怒ると嫌われる」
「ここで怒ったらみっともない」
「ここで怒ると後が怖い」
「ここで怒ったらこちらの負けだ」
現代では、そうやって、ついつい怒りを頭で計算して処理し、心の奥に引っ込め、体に溜め込んでしまう人が多い。怒りはことに胸椎7・8・9番の脇、肝胆、大腸経などに溜まっていく。怒りが溜まっている人は、触れるまでもなく、見ただけでそれとわかる。
我慢して固めて溜めている人よりは、出してすっきりした人のほうが、何ごとも魅力的だし世のなかの役に立つ。
寅さんみたいにカッと怒って、サッと赦して、またすぐに笑っているような日本人は少なくなった。
「あいつのここが間違っている」
などと頭だけで怒りを処理したつもりになって、結果、放散できないまま心身に溜め込んだ怒りを、あけっぴろげな人や異邦人を標的として、素直に溢れさせてしまう人たちは多い。僕もようやく、行く先々で、そうした感情を向けられることに慣れてきた。
怒りをからだに溜めこんで固めてしまい、反感、敵意、憎しみ、妬みなど悪循環を起こしてしまうと、からだとこころが自壊しはじめ、免疫性の疾患にも到る。このへんの心身状況は、胸椎7・8・9番の脇のあたりに、はっきりと現れる。
怒りを放散することができれば、悲しむことができるようになり、やがてかならず楽になる。
本能任せに怒りを放散できない場合は、速くて効目のある伝統の術をたしんで、なるべくさっさと放散するほうがいい。いろいろと面白い術がある。
そう、お互い和やかに活かしあって暮らしていきたいのが人情だ。伝統的な体術には、怒りを放散するすぐれた方法がいろいろある。心のたしなみとして、早いうちに身につけたほうがいい。中学校や高校のカリキュラムにはぜひ、取り入れてほしい。切実なことなのだから。
周りの人たちに怒りで囲まれても、にっこり太陽みたいに頬咲んでいる人がいることを、僕は信じがたく思っていたけれど、そういうことも、やる気になれば、出来る。
これからは、人からそういう感情をサッと引きだして、サッと放散してしまう方向へ、もっとお互いに楽な方向へ進んでいけるような気もしている。
誰にでも、背骨があり、いのちがあり、背景があり、事情がある。頭で固定した標的をつくって、ややこしい感情をその標的にへばりつかせてしまうと、お互いに苦しむことになる。
当たり障りなくいい顔をして、いい人をしているわけではないし、いろいろと大変な反応にも出会うけれど、これは当たり前だと思う。ジャンル的に近い人、地域的に、年齢的に近い人、距離的に近い人、いろんな人から、それぞれが溜め込んできた、ややこしい感情を、投影されることは多々ある。
もちろんこういう活動をしていると、あふれるほどの喜びや、しみじみとした感謝にも出会う。至福感もまた、日常のなかできらきらしている。ありがたいことだと思う。
投影のスクリーン係となることにもだいぶ慣れてきた。この何年か、若い人たちに鍛えてもらって、何を浴びせられても、落ち込むことはなくなってきた。
こちらに投影される余地があるから、投影を受ける。そういう余地は、ゆとりをもって残していきたいけれど、盲点というか、熟したほうがいい未熟なところは改めていきたい。 いろいろ省みて悔いあらためる時間は、日々、わずかであっても必要だ。
自然に向けて、いのちに向けて、リメイクし続ける。
ゼロに戻っては、改良し、工夫し続ける。
人間が丸くなるというのは、欠損したり、消耗したりするのとは話が違う。化けの皮をかぶったり、メッキして見せたりするのとも違う。
人間が丸くなるというのは、いろんなことの背景事情も心得、自分のこころのあらゆるところを感じられるようになり、人のこころが感じられるようになり、素直にそうしたこころの現実を意識できるようになるということかもしれない。
その結果、闇をひかりで照らす効率がよくなり、喜びをふやし苦しみを減らす効率が、よくなるということかもしれない。
出来ないと誰もが思っているようなことがある。その共感呪術みたいなものを打ち破って、現に出来るということを体現していく。そういう活動をしていく。
身ずから、出来なかったはずのことに挑んで、実現していく。
したいことをして生きるというのは、安楽安易な暮らしをするということでなく、そういう生き方をしていくことだと思う。
「あいつには出来ない」
とみんなが想っているようなことでも、本人が強く求めているなら、いろいろ工夫して、出来るように手助けする。
「したい気持はやまやまだけど、そんなのムリだよ」
とみなが言うようなことを、次つぎと、出来るようにしていく。
そういうことをしていると、必要に応じて術も身につく。いやでも鍛えられていくし、少しは強くもなると思う。
身ずから率先して、たえず、現実を、生み育てていく。
こころが変われば、現実は大きく変わる。
人の喜びも、楽しさ辛さも、悲しみ淋しさも、そのまま伝わってきて、よくわかるようになってくる。それはそれでたいへんなことだ。
僕は、相手の家族について、あるいは過去の心境について、こちらの知っているはずのないことを、ふと尋ねてしまうことがある。相手もまた、ふと答えたあとで、
「どうして知っているんですか? この話、飯田さんに、していましたか?」
とおどろく。
ときにそれは、相手がまだ誰にも話したことのなかった事柄だったりする。
そうしたことは、まなざしや声、気配や仕草から、にじみでてくるのだ。切実なことすべて、体に、声に、刻まれて、その人からにじみでている。こちらも切実に、相手のこころに寄り添ったときだけ、奥深いこころがわかる。
人のこころがわかっても、人の境遇や立場がわかっても、どうにもできないこともある。気にかけて見護るしかない。
時が過ぎるにつれてどうなるか。時とともに何がどう変化していくか。そういったことも、だんだんと心得ていくにつれ、あまり細かいことを心配しなくなってきたような気がする。大切な人がちょっと辛そうにしていても、死んだり欠損したりすることがなければ、基本的に楽な気持を保っていられる。現在も、大きな流れのなかの、かけがえのない姿として、見えてくる。
おじいさんや、おばあさんは、わかっていないようでいて、本当は、若い人たちの心をよくわかっていたりする。たくさんの経験を重ねてきて、本当は、人のこころが、よくわかっているのだけれど、それを、口に出して、本人に伝えることができない。言葉ではどうにもできなかったりする。
この人を、何とかしてあげたいと思っているのだけれど、どう言ったらいいのかわからないし、ただ良かれ幸あれと願いながら、鈍いような顔して知らんぷりをしているのではないか……心深きお年寄りの方とふれあって、そう感じることがよくある。
子供たちのこと、孫たちのことを、万感で見守ってくれているおじいさんたち、おばあさんたちが、たくさんいる。
飯田茂実