どうも、こんにちは
青森県八戸市生まれの藤田翔と申します
ツアーが終わり、つかの間の休息のあと、試験勉強とレポートに追われています
勉強をしていると雑念がちらつくもので
ツアーのこと、演劇のこと、今後のこと、いろいろと考えます
今回のツアーで、答えを得たと思った瞬間にそれが壊れ
こういうものは一生追いかけなくては、捕まらないのだ、などとも思いました
やりたい事、というか、実現したいこと、というか
頭の隅にひっかけながら、今日もぽつぽつ歩いていきます
藤田翔
澤野正樹くんは山澤くんと仙台で、二階立ての奇妙な建物に住んでいる。自宅がそのまま舞台スタジオになっている。
かつての京都・飯田ハウスもこんな感じだった。いつも若い人たちが集まって、稽古したり、打ち合わせしたり、呑み食いしたりしていた。
澤野くんは自宅で寝て、食べて、大勢の仲間と交わって稽古して、歌って、踊って、笑い、泣き、怒り、制作の打ち合わせをする。
このちいさなスタジオがなかったら、『春風のなか、ちいさな街』は生まれなかった。
舞台人は日常が、そのまま舞台生活だ。夢みたいな出来事にあふれている。
この春、この建物のまえに佇んでいるおじいさんがいた。澤野くんが何となく気になって話しかけてみたら、その人は三月に被災して日曜の礼拝場を失った牧師さんだった。礼拝の場を求めてさまよっているところだった。澤野くんは、貧しい者同士ということで、その牧師さんに、礼拝の場所として、スタジオを無料で提供することにした。
牧師さんにとって、澤野くんは、神様から遣わされた人だったらしい。キリスト者は、神様に感謝する。奇跡みたいなことだと、牧師さんは、神様に感謝した。
この老牧師さんが主宰するキリスト教の礼拝はすごかった。ゴスペル系の集いではないけれど、ゴスペル系のハイパー・スピリチュアル感があった。
「みなさん、心から、アーメンと言えますか! 心から、すべてを受け容れ、愛することができますか! 神様に、ありがとうと言えますか! 言えますね! 言えるんですよ! 私たちはみんな、神様の子です! 心に光がある。光を与えていただいた。みんな神様のおかげです。アーメン! アーメン!さあ、アーメンと、言いましょう!」
老牧師さんは、精霊に満たされていた。
わたくしごとになるけれど、昨年、中米ホンジュラスの山奥に滞在して、療術活動をしていたとき、宿泊先の家庭で信仰の集いがあった。その集いのエネルギーがすごかった。大勢がエスピリチュ・サント(聖霊)にみたされて、こころを浄化されてゆく。居間いっぱいに、聖霊感が、どんどん高まっていく。かたわらで食事をしていた僕は、礼拝のクライマックスで思わず立ちあがり、みなと声を合わせて、同じ仕草でお祈りをしてしまっていた。家いっぱいに、感謝の光が充ちていた。ほとんど古代エクスタシー世界だった。シャマン系のクリスチャン礼拝だった。
こういうのは宗教とか教義とは関係ない。人としての本能の祈りみたいな、信仰の集いだ。
絶対に信じなきゃいけない教祖とか、絶対に信じないと地獄におちる聖典とか、そういう宗教・教義は必要ないと、僕は思っている。
ただし、人間であるかぎり、誰しもそれぞれの信仰を、日々、よりよく育てていく必要はあるんだろうなと感じている。
僕は信仰をもっている人たちが大好きだ。信仰をもっている人たちとは、すっと心が通う。固定観念を減らしていくには、シンプルな心からの信仰をもつといい。
こころからの信仰もないまま固定観念にまみれている人はたいへんだ。
信じ仰ぐのは、自由な世界だ。エゴがどんどんちっぽけになっていって、すがすがしい。
自分もまた、信仰をもっている。
「ダンスはいい! 今日も、まるごと、元気に活かし合って、ありがとう!」
といったところから始まって、シンプルな信仰とともに暮している。
励まし合い、支え合い、この世を少しでも生き心地よくしていこうとする信仰の集い。宗教じゃなくて信仰だ。おのおの自由な信仰を持ちより、全体がばらばらに揃っている信仰の集いだ。
絶対にこうであって逆らえないような宗教は、もうこの時代には必要ない。それぞれのこころからの信仰が必要なのだ。日々それぞれがひそかに保って育てていく信仰、日々より良いほうへ、赦しや愛情のほうへと育っていく信仰があると、やはり生き心地もだいぶよくなる。
宗教が使用してきた心身技術は、教義とか教祖さんとかと切り離しても、そのまま効目があることばかりだ。
教祖さんのことを念じながら食べたり、教義を守りながら食べたりしなくても、おいしいものはそのままおいしくて体にいい。
シンプルで効目がある心身術を、宗教がらみで独占していた人たちは、これからの時代、そういうことをさっさと捨てて、人間の奴隷なところをどんどん解放していくことになる。今後はいやでも、そういう時代が来る。
シンプルで効目のある心身術が、切に必要としている人たちのあいだで、やすく、手軽に、素早く、分かち合えるようになる。
自然ないのちはすごいですよ。生き心地がよくなってくると、医療費とか薬代とか、いわゆる健康維費なんて、100分の1くらいですむようになる。試してみれば、すぐわかる。すごい治癒力をもった自然のいのちは、教祖さまとも、教義戒律とも関係ない。生体現象に対する量子物理学的観点からの説明がなくても、わかる人には、スッとわかる。
大人として世のなかを渡りながら、子供のころの想いを保っていこう。
「絶対に正しい教祖さま」も、「信じないと地獄に落ちる聖典」も、要らない。
僕なんかは、大きな木のある森があれば、エネルギー・バランスのとれた森があれば、それで足りる。森の大きな樹たちの抱いていることに心を澄ますと、説得力のある何かが伝わってくる。取引言葉や「これはこうあるべきだ」といった概念を超えて、植物の言いぶんみたいなものが伝わってくる。
生き心地よくなるには、やはりそれぞれに、頭ではどうにもならない働きを信じ仰ぐ必要があると思う。それぞれの腰椎の形、回路、過程、背景などは違うから、信仰の対象は、それぞれに違っているのがいい。息が楽になることならいい。各自それぞれ違っているほうがいい。決めてかかって凝りかたまりさえしなければ大丈夫、やわらかく何かを信じ仰ぐこころの動きはやはり、世のなかで生きる人にとって大切なのだと思う。
ダンサーは、人間の元気や、からだの潜在力を信仰している。
こういう信仰は、舞台創作だけでなく、いろんな場で自動的にあらわれてくる。
世界中いく先々で、僕はいろんな信仰の集いに巻き込まれる。身ずから巻き込まれていくことも多い。
自分が何を感じているか、いつもたしかめて心を清めている人たち、柔らかくてこころ 深き信仰を持っている人たちは素晴らしい。
「こういうことにしておこう」という固定観念をはじめ、宗教・宗派・教義戒律、そういうものにこだわったとたん、人の目つきや指先はこわばるし、一緒にいる人たちもみんな気づまりになる。
こわばらざるをえないような、それぞれの状況も、立場もある。そういう状況や立場を踏まえすぎると、みんな身動きがとれなくなる。生命を踏まえていくほうが心地よくて速い。
気づまりは、なるべくその場で、あるいは次の場あたりで晴らすことにしている。整体などの心身術の世界では、体を用いてサッと気づまりを抜く。固定観念による痛み・苦しみ(名病み)も、お互いの体を用いて、その場でサッと抜く。
ダンサーは、昔から、あらゆるダンスを用いて、そういうことをする。
舞台で見せるような今どきのいわゆるダンスは、広大無辺なダンスの世界の一角にすぎない。
ホンジュラスの山奥で集いを主催していた宿泊先のママさんは、たったひとりの息子さんを山賊に殺されて失ってしまった人だった。
そういうことが、人災が、ひっきりなしに起こる国なのだ。
ホンジュラスは、アメリカやスペインの武器産業の市場にされた。製薬産業が廃棄した呑み薬の闇市場にされた。ごく一部のだぷだぷに太った大金持ちたちが、USAからおこぼれをいただいて富み栄えているだけで、貧しい人たちはノートを買う金もなく、医者というものを見たことさえない。スラムの町では毎日、マフィアが殺し合っている。この国では、誰もがマフィアに脅えて暮さなければならない。暴力と金に逆らうとすぐに命を奪われる。
「こんなに純粋な、こんな祈りの集いは、今どき、こういう国の僻地ならではだろうな」
と思った。
イタリアとかスペインとかベルギーとか、ヨーロッパのカトリック本家ではもうすっかり、信仰力がたるんだり、すさんだりしている。
「日本でこういう礼拝をしているキリスト者たちは……」
と思った。
「どこにいるんだろう……」
ホンジュラスの山奥で、そう思っていたら、なんということだ。
仙台におられた。
被災して、澤野くんの自宅=Studio+1を頼ってきた方々の集いだった。
6月のなかば頃。この老牧師さんが、日曜の朝早く、宿泊先の澤野スタジオへ、礼拝をしにやってきた。
牧師さんは、霊感にあふれた顔で、戸口に立っている僕をじっと見ながら近づいてきて、
「あなた……門番さん。ここを護っておられる門番さんですか。どうも。御苦労さまです」
と深ぶかお辞儀をした。
ここを護っておられる門番さん?
各自の現実というのは、その人のこころ次第だ。現実をどう感じ、どう受け容れ、どう歪ませるかは、それぞれのこころに拠っている。これはブッダ、イエス、空海、ルーミーさんといった方々の言っていた通り。世界というのは、それを感じる一人ひとりの心次第だ。それぞれの人の心の現実が、それぞれの人の世界だ。
世のなかをよくするいちばんの方法は、それぞれが自分の心をひろげきよめることだ。
この牧師さんの心の世界からは、僕が「この場所を護っている門番さん」に見えた。
そのような現実が、この牧師さんにとって、ありふれた、日常の、ありきたりな、常識の、現実世界なのだった。
牧師さんの心の現実と触れ合って、なるほどと思った。僕はその頃まさに、この建物で、e-dance仙台による舞台作品の、門番をしていた。門のなかでは、やがて『春風のなか、ちいさな街』というタイトルになる舞台作品が育ちはじめていた。この作品から出て行くもの、この作品に入ってくるものを、ひとつひとつたしかめながら、僕は敷地の境に立っていた。
この春、ヒマラヤの孤児院で親しくなった老門番さんは、いつも門の内側のことを、
「よかれ、幸あれ」
と願っていた。自分に出来るかぎり敷地のなかを整えていた。噴水のバルブや、泣いている女の子や、あちこちをさりげなく、すすっと調整したりしていた。早朝に、深夜に、ひとりで、お祈りをしていた。
たしかに、僕は、創作のあいだ、時おりふと、あの門番のおじいさんのことを想い出していた。出演者たちの敷地と、他者の世界=お客さんたちの敷地。その境に立って、精一杯、感覚を澄ませていた。
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この時代の最高の医師とも呼ばれる療法家、シャマン術実践者のアーノルド・ミンデルは、僕たちのこころの上面の、のっぺらんとした現実を「合意的日常世界」と呼んでいる。
「まあ、仕方ない。しょせん、こういうものだ」
ということにして、自分の現実を「合意的日常世界」のなかへ押し込めてしまうと、人は 心を病むという。
その通りだと腑に落ちるほかないような、社会の大きな現実がある。
なるほど、かためられて形骸化してしまったことは、いのちの光を吸収するばかりの闇となる。
この地球上には、自殺者、アルコール中毒者、鬱病者が、へんに多い地域がある。
それはいずれも、祖先伝来の大切な、伝統の心身文化を、急速に失ってしまった地域である。自然と社会の大きなバランスをとる、シャマン文化を失ってしまった地域である。魂の拠りどころや、仲良く生き心地よく暮らす伝統術を、急速に失ってしまった地域である。全身全霊で共同体の生命をクライマックスへもっていく地元のお祭りを失ってしまった地域である。おじいさん・おばあさんが書見台や神棚の代わりに、テレビのまえにばかり座るようになった地域である。
カナダ・エスキモー、ネイティヴ・アメリカン、アボリジニーなどの人びと。
そして日本では、地域でいうと、沖縄県、東北ことに秋田県。
秋田県、沖縄県に、自殺者が多いということを御存知だっただろうか。
え? あのテーゲーな、メンソーレな沖縄が? といぶかしく思う人は、沖縄の伝統文化がどのようなものだったか、どれほど心深くゆたかなものだったか、それが現在どうなっているか、あまり知らない人かもしれない。
妻広江の生まれ育ったところは、沖縄県文化の発祥地ともいわれる離島の片田舎で、今なお伝統文化が息づくなか、ユタ(シャマン)の方たちが人びとの体と魂をケアしている。不思議な力をもつユタの方に、僕自身、どれほど援けられたか知れない。シャマンの大きな愛の力が、人にどれほど素晴らしい変化をおよぼすか、僕は身をもって知った。元気に活動していられるのは、妻のおかげはもちろん、妻の故里のユタのおかげでもある。僕なりに、妻の生き方は、よく、よく、わかる。
今回のツアーのコーディネイタ―、僕が東北原人などと呼んでいる澤野正樹くんの生まれ育ったところは、秋田県の六郷という、村のような片田舎。もともと伝統文化の盛んだったゆたかな土地である。僕なりに、彼の生き方は、よく、よく、わかる。
飯田茂実の生き方も、本人なりに、なんとなくわかる。この人もまた祖母から、日常のなかで生きてはたらく、ゆたかな心身術の伝統を受け継いだ。ちいさい頃から、伝統の風習、信仰、祭り、神事などに恵まれ、森のなかで遊びながら育った。諏訪人のこころを子供たちに伝えようと夢中になっている、不思議なおじいさんたちに囲まれて育った。
こころの伝統を受け継いで、都会のなかで生きる。恵まれた自然のなかで育ち、都会のシステムのなかで生きる。活動というか生き方が、いつも、いろんな境界の、両側にまたがっている。ある人たちから見れば、「どうして両立するのかわからないような」矛盾にみちた生き方だと思う。ある人たちから見れば、まるごと自然な本能活動だと思う。
客観的に頭で考えると、どうしようもない混乱をきたすようことを、まるごと生きていく。生活、人生、生命であるかぎり、そうなる。
今、世界中で、古来のシャマン文化が、急速に失われつつある。世界規模の消費主義文化にむしばまれて、失われつつある。
かけがえのない伝承が、薄っぺらな欲の力で壊されていく。しばらく必死でかたちだけ保って、やがて消えていく。
このことで僕は、どれだけ泣いたか、わからない。悔しくてならない。泣くたびに、なんとかしてやるぞと思う。
古くから大切に伝えられ、受け継がれてきた心身文化は、このまま放っておいたら滅びて消えてしまう。そうなったら取り返しがつかない。
それは、人類の今後の存亡に関わるような、本当に、本当に、大切なことなのだ。身魂に光をもたらしてくれる、そうした伝統の心身術を失ってしまったら、人間はどんなに賢くても便利でも簡単でも、病み(闇)のなかで苦しむようになってしまう。
自然ないのちとつながったこころ。世のなかでいのちから切りはなされて弱っているこころ。自分の心と、人の心をたしかめながら、経験を重ねながら、まるごと全力で生きていく。そうすると、現実は、ゆたかな奥行きを増していく。
秋田のちいさな町にある、澤野くんの実家で、澤野くんのおじいさんにいろんなことを託された。
澤野くんのおじいさんは、かつて強い信仰を持ち、この町を、世のなかをより良くしようとして、奔走していた議員さん。
「飯田さんの踊りは、何をしているのか、ちょっとわからなかった」
と口では言いながら、
「見ながら、こんなことを想い出していたんだ」
とこちらがびっくりするような、そのものズバリを語ってくれた。
おじいさんは、僕が舞台で何をしていたか、たぶん、奥の奥まで、見透かしていたのだと思う。そうして、そのことを、決して言葉では言えないことを、言葉で喩えほのめかすようにして、話してくれたのだと思う。
「あなたは、こういうことが出来る人だと思った。どうですか。隠しておられるだけで、本当は、できるんでしょう?」
と、腹の底までしみとおるようなまなざしで、僕の目をじっとのぞき込みながら、奥深い話をしてくれた。
おじいさんの心の現実は、僕の心の現実と、そのまま通いあっていた。お互いにそのことをたしかめあって、万感の想いで、いったん別れた。
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子供の頃は、自分のことで精一杯で、人のこころはよくわからない。
長年を共に過ごした人と人が、どんな深い想いで結びついているのか、この人とこの人が協力しあえたら、どんな方向で、どんなことが生まれてくるのか、そういったことも、若いうちは見えてこない。
人のこころに関わる知識も浅く、器も狭かったりして、若い頃は何かとむしゃくしゃしたり、いらついたりする。想いをかけてくれている人たちや、恩を受けた人たちに対して、なんということだ、「許せない」なんて思って鬱屈したりする。
どんな過去の事情があっても、どんな背景があっても、心が曇って鬱屈してしまうとたいへんだ。心が鬱屈したままだと、生命もそこにつきしたがって、鬱屈をはじめてしまう。そうした鬱屈が続くと、体が自己免疫性の疾患をつくりだして、自壊するほうへとすすんでいくこともよくある。
若いうちは柔らかくて余地がたっぷりしているので、そこからどこまでも伸びていける。自分の心身に正直に、素直にまっすぐ進んでいけば、こころはどこまでも伸びられる。
頭でこうすると決めてかかって、ねじれたまま言い訳しつづけたりすると、心は鬱屈する。自分の心身の自然を、抑え込んでいためつけさえしなかったら、辛いことがあっても大丈夫だ。
人交わりの経験を重ねるにつれて、人の心がわかるようになる。立場なんかも含めて、こころまるごと、相手の感じていること、相手の想いの方向が、まるごとはっきりわかるようになる。
ダンスとか整体をしていると、相手の感じている身体感覚まで、もろに伝わってきて困ることもある。とくに、つっかえ、しこり、痛み苦しみが伝わってくるのは、こちらも辛い。
「ちょっとうつ伏せになってください」
などと言って、相手の体に何かとおせっかいをやくのは、自分も楽になりたいからだ。一瞬ちょっとショックを受けたり、こちらが一時的に相手から苦手とされるくらい、なにほどのこともない。体や心の、大きく詰まっている処が流れるようになって、大きく足りなかったところが補われ、長い目でみて生き心地よく、楽になれたらそれでいい。
相手が、政府の高官であっても、行きずりのストリート・ボクサーであっても、少し頭があたたかい人であっても、有名なスターであっても、僕のこのスタンスは大差がない。
飯田茂実と知り合うほどに、誰もが、ぽかんとし、驚き、至福の笑顔で大笑いし、ときには泣きだす。僕がいつも、そうやって暮らしているからだろう。何人かのイタリア人に言わせれば、飯田の近くにいると「感情の嵐」を体験するのだそうだ。
感情の嵐のうち、怒りひとつとっても、いろいろある。誰しも怒る。たいしたことでもないのに怒る。まだ許せないことがあったりするのだ。怒りの呼吸は、定期的に呼吸に必要だ。「怒」のエナジーで体を緊張させるのは、リラックスのためにも必要だ。
ただし怒りを抑圧してしまって、こころとからだのなかに固着させると、いろいろ危ない。
「ここで怒ると損をする」
「ここで怒ると嫌われる」
「ここで怒ったらみっともない」
「ここで怒ると後が怖い」
「ここで怒ったらこちらの負けだ」
現代では、そうやって、ついつい怒りを頭で計算して処理し、心の奥に引っ込め、体に溜め込んでしまう人が多い。怒りはことに胸椎7・8・9番の脇、肝胆、大腸経などに溜まっていく。怒りが溜まっている人は、触れるまでもなく、見ただけでそれとわかる。
我慢して固めて溜めている人よりは、出してすっきりした人のほうが、何ごとも魅力的だし世のなかの役に立つ。
寅さんみたいにカッと怒って、サッと赦して、またすぐに笑っているような日本人は少なくなった。
「あいつのここが間違っている」
などと頭だけで怒りを処理したつもりになって、結果、放散できないまま心身に溜め込んだ怒りを、あけっぴろげな人や異邦人を標的として、素直に溢れさせてしまう人たちは多い。僕もようやく、行く先々で、そうした感情を向けられることに慣れてきた。
怒りをからだに溜めこんで固めてしまい、反感、敵意、憎しみ、妬みなど悪循環を起こしてしまうと、からだとこころが自壊しはじめ、免疫性の疾患にも到る。このへんの心身状況は、胸椎7・8・9番の脇のあたりに、はっきりと現れる。
怒りを放散することができれば、悲しむことができるようになり、やがてかならず楽になる。
本能任せに怒りを放散できない場合は、速くて効目のある伝統の術をたしんで、なるべくさっさと放散するほうがいい。いろいろと面白い術がある。
そう、お互い和やかに活かしあって暮らしていきたいのが人情だ。伝統的な体術には、怒りを放散するすぐれた方法がいろいろある。心のたしなみとして、早いうちに身につけたほうがいい。中学校や高校のカリキュラムにはぜひ、取り入れてほしい。切実なことなのだから。
周りの人たちに怒りで囲まれても、にっこり太陽みたいに頬咲んでいる人がいることを、僕は信じがたく思っていたけれど、そういうことも、やる気になれば、出来る。
これからは、人からそういう感情をサッと引きだして、サッと放散してしまう方向へ、もっとお互いに楽な方向へ進んでいけるような気もしている。
誰にでも、背骨があり、いのちがあり、背景があり、事情がある。頭で固定した標的をつくって、ややこしい感情をその標的にへばりつかせてしまうと、お互いに苦しむことになる。
当たり障りなくいい顔をして、いい人をしているわけではないし、いろいろと大変な反応にも出会うけれど、これは当たり前だと思う。ジャンル的に近い人、地域的に、年齢的に近い人、距離的に近い人、いろんな人から、それぞれが溜め込んできた、ややこしい感情を、投影されることは多々ある。
もちろんこういう活動をしていると、あふれるほどの喜びや、しみじみとした感謝にも出会う。至福感もまた、日常のなかできらきらしている。ありがたいことだと思う。
投影のスクリーン係となることにもだいぶ慣れてきた。この何年か、若い人たちに鍛えてもらって、何を浴びせられても、落ち込むことはなくなってきた。
こちらに投影される余地があるから、投影を受ける。そういう余地は、ゆとりをもって残していきたいけれど、盲点というか、熟したほうがいい未熟なところは改めていきたい。 いろいろ省みて悔いあらためる時間は、日々、わずかであっても必要だ。
自然に向けて、いのちに向けて、リメイクし続ける。
ゼロに戻っては、改良し、工夫し続ける。
人間が丸くなるというのは、欠損したり、消耗したりするのとは話が違う。化けの皮をかぶったり、メッキして見せたりするのとも違う。
人間が丸くなるというのは、いろんなことの背景事情も心得、自分のこころのあらゆるところを感じられるようになり、人のこころが感じられるようになり、素直にそうしたこころの現実を意識できるようになるということかもしれない。
その結果、闇をひかりで照らす効率がよくなり、喜びをふやし苦しみを減らす効率が、よくなるということかもしれない。
出来ないと誰もが思っているようなことがある。その共感呪術みたいなものを打ち破って、現に出来るということを体現していく。そういう活動をしていく。
身ずから、出来なかったはずのことに挑んで、実現していく。
したいことをして生きるというのは、安楽安易な暮らしをするということでなく、そういう生き方をしていくことだと思う。
「あいつには出来ない」
とみんなが想っているようなことでも、本人が強く求めているなら、いろいろ工夫して、出来るように手助けする。
「したい気持はやまやまだけど、そんなのムリだよ」
とみなが言うようなことを、次つぎと、出来るようにしていく。
そういうことをしていると、必要に応じて術も身につく。いやでも鍛えられていくし、少しは強くもなると思う。
身ずから率先して、たえず、現実を、生み育てていく。
こころが変われば、現実は大きく変わる。
人の喜びも、楽しさ辛さも、悲しみ淋しさも、そのまま伝わってきて、よくわかるようになってくる。それはそれでたいへんなことだ。
僕は、相手の家族について、あるいは過去の心境について、こちらの知っているはずのないことを、ふと尋ねてしまうことがある。相手もまた、ふと答えたあとで、
「どうして知っているんですか? この話、飯田さんに、していましたか?」
とおどろく。
ときにそれは、相手がまだ誰にも話したことのなかった事柄だったりする。
そうしたことは、まなざしや声、気配や仕草から、にじみでてくるのだ。切実なことすべて、体に、声に、刻まれて、その人からにじみでている。こちらも切実に、相手のこころに寄り添ったときだけ、奥深いこころがわかる。
人のこころがわかっても、人の境遇や立場がわかっても、どうにもできないこともある。気にかけて見護るしかない。
時が過ぎるにつれてどうなるか。時とともに何がどう変化していくか。そういったことも、だんだんと心得ていくにつれ、あまり細かいことを心配しなくなってきたような気がする。大切な人がちょっと辛そうにしていても、死んだり欠損したりすることがなければ、基本的に楽な気持を保っていられる。現在も、大きな流れのなかの、かけがえのない姿として、見えてくる。
おじいさんや、おばあさんは、わかっていないようでいて、本当は、若い人たちの心をよくわかっていたりする。たくさんの経験を重ねてきて、本当は、人のこころが、よくわかっているのだけれど、それを、口に出して、本人に伝えることができない。言葉ではどうにもできなかったりする。
この人を、何とかしてあげたいと思っているのだけれど、どう言ったらいいのかわからないし、ただ良かれ幸あれと願いながら、鈍いような顔して知らんぷりをしているのではないか……心深きお年寄りの方とふれあって、そう感じることがよくある。
子供たちのこと、孫たちのことを、万感で見守ってくれているおじいさんたち、おばあさんたちが、たくさんいる。
飯田茂実
1 ちのみち
〈ちのみち〉というのは祖母の伝えてくれた古くからの呼び名で、日本伝統の古いふるいダンスを指す。見せるためのダンスというより、体によくて気持いいダンス。
それぞれの腰椎の様態や、気持よさの調子は人それぞれなので、このダンスに振付はない。体の動く人なら、ほぼ誰にでもできる。
大勢でこれをすると、みんなばらばらに揃っている感じになる。揃っている感じになるのは、みなそれぞれに同じ方を向いてするからだ。その同じ方向というのは、体の自然治癒力が高まる方向、生き心地のよい方向。
からだの求めに任せてあげるダンスです。伸ばすと気持のいい方向がある。振り動かしたいところがある。からだの求めに従っているだけでダンスになります。
意識でコントロールして体を操り、特定の美意識に従って踊っているばかりだと、こころとからだにとっては、よくないことが多々でてくる。
東洋の療術をいろいろ学んだ人には明らかだと思うけれど、日本の伝統ダンスはみな、からだに良い動きに充ちみちている。いまどき稀なダンスかもしれない。ダンスのなかのダンスだ。自然でからだに良いダンスと、美しくお見せするため体を躾けたダンスとが、絶妙なバランスで共存している、いいダンスだ。日本にかぎらず、世界中どこでも、古くより伝わる伝統のダンスというのは、そういうものだ。
これがハイパーになると、シャマン・ダンスになる。
最近の人が、表情筋から指先にいたるまで、全身でこの原始ダンスを愉しむと、いわゆる暗黒舞踊に見える。基本的に気持いいからこそ、土方巽さんも、大野一雄先生も、〈ちのみち活元ダンス〉を愉しんでおられたのだ。からだに良いから、ああなったなのだ。
そこに膨大な言語が付着したり、神秘めかした精神論がひっついたりして、舞踏は西洋でかなりの勘違いをされている。芸術表現というところばかりが騒がれて、かんじんの、いのちにとっていいダンスだというところがなおざりにされている感がある。
西洋では、いのちを大切にする芸術ダンスが少なすぎる。いのちにとって末広がりな、命そのものの発動をおこなうと、西洋の人たちから、とんでもなくグロテスクで衝撃的な表現主義前衛ダンスと勘違いされるのだ。体の求めに任せる体にいいダンスを見て、脅えたり、気味悪がったりするのは、いのちの求める動きをなえがしろにしてカッコつけている人たちかもしれない。もちろん国内でも勘違いは多い。
めちゃめちゃダンスを楽しみながら、信州のゆたかな森のなかで遊んで育った僕には、樹木の根っこを見て吐き気を覚えたサルトルの「嘔吐」感覚など、頭で理解できるだけで、
「あんた、一週間くらい、ちのみちダンスを続けなさい」
と〈ちのみち〉の遣り方を伝えてあげるほか、取りあえずサルトルさんみたいな人にしてあげられることがない。
舞踏は、いのちを大切にする日本で生まれた、未来の世界を変えていくダンスだ。舞踏の動きは、いのちを大切にする動きだ。いのちにとって生き心地がよいダンスだ。
舞踏は、日本人の(今や世界でも稀な、素晴らしい)体感覚を土壌として、霊動の伝統のすえに花開いた、日本文化の粋だ。身ひとつでうっとりするだけの人も含め、舞踏を続けてきた人たちは、みな、このことを体感しているはずだ。
〈ちのみち〉は、体のバランスを整えて、免疫力を強めてくれる。
まちがいなく世界でいちばんすぐれた体操である。
大学で大勢の教え子を育て、体操の名教師として知られ、日本の体操教育史に名を残した大野一雄先生が、体操とダンスを極めた末に、ちのみちダンスばかりするようになったのはとても腑に落ちる。ちのみちダンスは、いのちを大切にするダンスだった。ありのままの現象に寄り添いながら、現状をよりよく変革していくダンスだった。
ちのみちというと、聞きなれないかもしれないけれど、このさい名称はどうでもいい。新しい名前をどんどんつけるといい。だいぶポピュラーになってきた野口整体の文脈から、僕はこれを活元ダンスと呼ぶこともある。
僕の踊りを見て「気持いいダンス」「シャマン術コト始めごっこ」などと呼んでいる人もいる。
〈ちのみち〉の「ち」とは何か。子供の頃は「血」だと思っていた。血の道、すなわち血流をよくして体を元気にするのだと思い込んでいた。それだけでは、ないのだった。
「ひ」「ふ」「み」などの短音から花開く、美しい曼荼羅のような大和言葉の、語源を研究していたことがある。その頃、ふるく「ち」というのは、風のこと(コチ=東風など)、そして目には見えないエネルギーのことを指していうのだと知って驚いた。
これは、ちはやふる、というときの「ち」である。
エネルギーは目には見えないけれど、体で、体感として、実感として感じることはできる。ことに掌では、これを感じやすい。
目に見えないエネルギーの流れなので、漢字では当てはまる字がなく、やむをえず当時はこれに「霊(ち)」という字を当てた。
ちのみち。目に見えないエネルギーの道=身霊(みち)。
身(み)と霊(ち)が共にとおって進んでいくところが「み・ち=道」だった。
ちのみちダンスは、こころとからだのエネルギーの流れを良くするダンスだったのだ。 からだの詰まりを抜き、過緊張をゆるめ、ゆるんだところにカツを入れ、身と霊(ち)の流れをよくして、東洋医学でいう全身十二経絡を整えるダンスだったのだ。なるほどこれは、体感としてよくわかる。様ざまな東洋医療術とも合致する。究極の保健ダンスでもある。
〈ちのみちダンス〉をしていると、皆、体の詰まりが取れて自分のいのちを味わい愉しめるようになり、やる気が出てきて、元気になってくる。体調がよくなり物事が美しく感じられるようになる。もちろん、ますますいい男、いい女になっていく。やりたいことを出来るようになり、全力を発揮できるようになってくる。万事末広がりに喜ばしい。
結果だけ見ていると、つくづく、究極のダンス、至上のダンスだなあと思う。
現代の世界では視覚ばかりがのさばって、体の内側の感覚、あの各自奇跡のワンダー・ランドを、体感で実感しにくくなってきている。視覚を主にして、エゴの命令で体をコントロールして、体を固定観念の奴隷みたいにこきつかっている人が増えている。そういう人たちの筋肉は、どこかに緊張が固まっていて、どこかに緩みが片寄っていて、まあ生き心地として大変だと思う。毎日、体の内側からの実感を愉しんでいる人が、まだまだ、少なすぎるのだ。
頭で命令してするダンスをするまえに、もっと体の欲求に添った動きのダンスをしよう。
頭で考えて、体を動かしている人、全員について、これは言える。
〈ちのみちダンス〉で体のバランスを回復しよう。
人の体は、気持良いと感じる方へ、ぐっとテンションをかけて緊張を抜いてあげると、ものすごく喜んで元気になる。体のもとめる方向、つまり気持よくテンションかけたいほうへ、気持よく動きたいほうへ、素直に従っていくといい。
ダンスも、体操も、ヨガ・アサナも、セイシュ・タントウ等の気功も、あらゆる体術は、〈ちのみち〉と結合させることができる。どんな動きとも、たやすく結合できる。
〈ちのみち活元ヨガ〉とか、〈ちのみち活元セイシュ〉とか、どうせやるなら〈ちのみち活元ラジオ体操〉なども、すごく体にいい。
こういうのは見ていてもまた素晴らしい。見ているだけでも、なにもわからないままに、体が元気になる。
ヨガ・アサナや、いろんな身体メソッドや、毎日の健康体操を、〈ちのみち〉と合体させないで行うのは、ものすごく損なことだ。せっかくの体の欲求があるというのに、もったいなさすぎる。ダンスの振付も、すべて〈ちのみち〉と合体できるようにしておくと、体にいいことこのうえないと思う。
日本でダンスを復興し、そこから幾多の伝統を生みだした一遍上人。放浪僧に師事してダンスを復興し、そこから幾多の伝統を生みだしたルーミーのダンス。いずれも、明らかに〈ちのみちダンス=活元ダンス〉だ。
ちのみちダンスは、そのうちダンスの主流になる。
あらゆるいいダンスのベースかつ究極として、誰にでも毎日愉しんでもらえるようになる。
こんな素晴らしい根本ダンスが、まだあまり知られていないのは悲しいことで、もうしばらくは普及活動を続けていきたいと思っている。
悲しいばかりではない。現にやっている人たちの喜びを知るのは嬉しい。いのちを大切にする体にいいダンス〈ちのみち活元ダンス〉を普及させることで、これからどう世界が変わっていくか、愉しみだ。
2 たなすえ
〈たなすえ〉というのは祖母の伝えてくれた古くからの呼び名で、日本の素晴らしい伝統心身術、手当を指す。漢字では「手な添え」と書く。
〈たなすえ〉をすると、体の自然治癒力が活性化して、心地よくなり、元気になる。いわば体内感覚のダンスで、様々な舞い(真居)の基本形である。ほぼじっとしているので、なかなかダンスだと思ってもらえないけれど、これを続けていると、明らかにどんどんダンスがよくなっていく。しみじみと深い舞いに、〈たなすえ〉の稽古は欠かせない。
日本では「治癒」「Therapyセラピー」が、そのまま「手を当てる」ことを意味する「手当」という言葉になっている。こんな素晴らしい伝統をもった地が、他に残っているだろうか。
1970年頃にハワイで始まった、日本の手当療法「レイキ」の普及活動は、日本古来の手当からすると、なんだかちょっと歪んだかたちで、世界に広まっていると思う。ただ手当するだけなのに資格が必要だったりする。今、世界中で、「レイキ・ブーム」である。イギリスでは、この霊気治療に保健が効く。誰にでも出来るありふれた・あたりまえのことで、システマティックにお金をもらったり、お金を払ったりするアングロ・サクソンの遣
り方は、諏訪人としてどうも感心できない。
いやいや、西洋の方々、そして日本の伝統を忘れた日本人の方々。
資格なんてなくたって、手当は、誰にでも出来る。
子供を産み育てるお母さんだったら誰でも、手当=〈たなすえ〉をたしなんでおいたほうがいい。
たなすえは、毎日の保健はもとより、捻挫、打身などのケガに、即効がある。僕はさっきやけどをしたけれど、〈たなすえ〉ですぐに治った。アバラを骨折したときも、骨にひびが入ったときも、爪を剥がしたときも、足首の腱を切ったときも、肩の腱を伸ばして損傷したときも、僕は、〈ちのみち〉と〈たなすえ〉でスーッと直した。薬も要らず、医者に頼る必要もなかった。
もちろん自分のからだだけでなく、他の人のからだにも効く。いのちあるものになら、みな効く。
僕はふだんから常用している。〈たなすえ〉で身を救われたことは幾度もある。
たなすえをすると、ちょっと痛みや熱が高まって、すぐに消えていく。その後は、回復が、とても速い。骨折、傷、内臓のいたみ、皮膚の病、筋肉や腱の損傷、熱、腹くだし、なんにでも効く。もう多くの人にとってはあたりまえのことだ。僕にとっても、あたりまえのことだ。たなすえ(手当、愉気)の仕方を知らずに生きているのは、無謀だとさえ思う。この、あたりまえのことが世界にあまねく広まるまで、たなすえを、日本最高の伝統「手当」を普及させよう。
ダライラマは「compassion(情を同じくする)」ということをしきりと説いておられる。これは頭で理解するようなことではない。人に言葉で説いてきかせても、実感できない人には実感しにくい。
手当=たなすえ=愉気をすれば、自然とcompassionが身につく。とてもかんたんに、心地よく身につく。頭で理解するのでなく、体感覚として実感し、心得ることができるのだ。ここから始めるのが、いちばん大切だ。
お互いにもっと気ままに手当しあおう。この伝統手技を、野口晴哉は「愉気」と名づけ、活元と愉気だけですべて足りるとして、一生これを人々に推奨し続けた。お互い元気に活かしあう術である。
掌から何かを出そうとしているわけではない。掌でいのちを感じるだけで効目がある。掌でいのちを感じ、自分の背骨のなかと、息を感じるだけで、効目がある。想い浮かべていることも、空は広くて青いなあ、だけで充分だ。
あらゆる体術は、〈たなすえ〉と結合させることができる。
人交わりに関わることは、芸事であれ、諸道であれ、すべて〈いのち〉を感じ、いのちに向かっておこなうことで、みるみる上達し、喜びが増していく。お客さんなどの「人」を目指して練習や稽古をするときも〈たなすえ〉はとても大切になってくる。〈たなすえ〉でいのちを感じることは、あらゆる「関わりあい」「人交わり」のベースであり、しかも究極だと感じている。
祖母がこれを〈たなすえのみち〉と呼んだことがある。〈たなすえ〉は、人の生きるみちだったのだ。ようやく、近頃、そのことに、気づいた。
からだとこころを育て、人交わりをゆたかにしていく、この究極の伝統に、改めて気づいてからは、コンタクト・インプロヴィゼーションという代替ダンスに関心がなくなってしまった。どうしてもコンタクト・インプロを踊り続けたいのなら、究極のコンタクト・インプロである、日本のたなすえ(手当・愉気)をベースにしていくのがいいと思う。そのほうが、ずっといい。
もちろん〈ちのみち活元ダンス〉をしながら、たなすえをしたほうが体にいい。
手の感覚がよみがえってくると、誰でも、いのちから手を離して感じても、てのひらにいのちを実感できるようになる。掌をだんだん離していってもお互いに感じるので、不思議がる人もいる。
ワークショップで1メートル以上はなれたところから実験してみると、誰でもこれを信じてくれる。不思議だけれど、現に感じるので仕方ない。なんということだ、こんなことが誰にでも楽にできるのだ。いのちにとっては、あたりまえなのだ。
ワークショップで五分ほど試してもらっただけで、人生が変わってしまった人がたくさんいる。感じればわかる。論よりは証拠、話よりは実体感が、わかりやすい。
この遠隔手当を、舞台公演など、少し大きな規模でおこなうと、〈たなすえダンス〉になる。周りのいのちを癒し活性化する、癒しの愉気ダンスになる。
意念だけですると、瞑想になり、祈りとなる。
すでに誰でもご存知なように、瞑想とか、こころからの祈りの気持というのはとてもからだとこころに良い。僕の幼なじみの親友で、行院のベッドに横たわったまま、そういうことを続けている人もいる。ありがたいことだ。
誰にも触れずに一人で瞑想する人もいるけれど、せっかくだからもっといのちを感じたほうがいい。じっと一人で座っていなくても、誰かに愉気するだけで、至福の瞑想をできる。一人で瞑想するよりも、お互い元気に活かしあいながら心地よく瞑想するほうが、末広がりでめでたい。
このダンスの伝統を、大野一雄先生が、体操教育の現場から、モダン・ダンスの現場から、舞台芸術の現場から、復興された。先生のことを、毎日想っております。大野先生、本当にありがとう。
おばあちゃん、ありがとう。
3 おまじない
おまじない、というのは祖母の伝えてくれた古くからの呼名で、毎日のシンプルなことばの術である。各自それぞれにとっての最高の「自己像」「世界像」を、毎日こころに蘇らせて唱えるだけ。息、声、言葉、潜在意識のはたらきを大いに活用して、生き心地をよくする術である。
日々、唱えているうちに、おまじないのフレーズそのものも、より生き心地よい方へ向かって、変化していくことが多い。
僕の毎日おまじないフレーズは現在、ほぼどれも、大和ことばになっている。すべて五七八の複合リズムで、リズミカルになっている。
その日の気分に応じてここにいろんな節をつけ、沖縄音階で歌ったり、ロマ音階で歌ったり、ブルースふうに歌ったりしている。ふだん部屋では、倍音唱法で囁いたり、朗唱したりしている。やはり祝詞(のりと)みたいになることが多い。
「おまじない」は古来、さまざまな名称で呼ばれた。
「言い聞かせ」「魔法の言葉」「毎日フレーズ」「自己暗示」「マントラ」などと呼ばれた。
フランスで催眠療法が生まれたのは「おまじない」がきっかけだということはよく知られている。よく効くからもちろん宗教でも用いられたし、達人はみな過去に、この心身術を用いていた形跡がある。
これが固形化して、聖典なんかになってしまうと後々の人たちが困る。一遍上人は生涯に記したものをすべて焼き捨てた。ルーミーは「これ、詩だから。みんなも、自分の、詩を生みだしてね」というふうに、こころからとめどなく溢れてくる真言を、文学作品として残した。
各自が自分の性質に応じて、工夫して創り、改良し、補強しながら、毎日、唱えていくのがいい。おまじないを工夫するのは面白くて楽しい。たぶん初等教育を受けている人なら、誰にでも簡単にできる。
〈おまじない〉には「引き寄せの法則がある」なんて言うけれど、自己中心的な見方だ。
何かを引き寄せるのではなく、つながるのだ。「つながるの法則」と呼んでもらいたい。
自他を進化させ改良していくにあたって、もっとも速くて効果的な方法。ワークショップ『生き心地のよい心身術』ではなるべく、「おまじないの仕組・おまじないの効用・おまじないの創り方・おまじないの用い方・おまじないの留意点」を伝えるようにしている。
ただし一回かぎりのワークショップには制限時間があり、ちのみちを伝えるだけで精一杯だ。
そこで先日〈わらび座〉でワークショップをしたとき、ついに心身術の禁断領域「活字で印刷」に挑んだ。決して固形化しないでください。
いつも元気な芸能人なんかは、たいてい〈おまじない〉を持っている。伝統宗教のおまじないや、信仰宗教のおまじないを唱えている人たちもいる。
もっと差し迫ったことをオリジナル・フレーズで唱えればいいのにと思う。
お経などの古いマントラは古すぎて意味がわからなかったりして実感がわかない。実感のわく母国語で、ゼロから地道に創って育てていくのが、いちばん面白い。僕は『般若心経』『法華経』などの大乗経典や、主の祈りや、各種マントラを唱えていたことがあるけれど、やはりそうしたマントラの真髄に学びながら自分で創ったマントラがいちばん唱えやすく、唱えていて心地よく、効果があった。
自分で創った自分用のオリジナルがいちばん長持ちしている。歳をとったら、あるいはもっと短いマントラを繰り返すだけで足りるのかもしれないけれど。
〈おまじない〉は宗教とは切り離しても効くことなので、とくに教祖様を信奉する必要はないと思う。自分で創ってしまえばいい。自然ないとなみに、特定宗教のバイアスをかける必要はないと思う。絶対に疑ってはいけない固形化したことを、仮設する必要もないと思う。
生き心地よくやっていく究極の技術。秘伝でもなんでもないことなので、やはりお互いにどんどん共有しあえるといい。
〈わらび座ワークショップ〉以来用いることにした、2枚のプリントを、このブログ日のブログ日記の最後に、そのまんま掲載しておきます。
類似の書物はいくらでもあるので、興味があったら確認のため勉強してもいいと思いますが、やってみて効力を味わうほうが速いです。
それぞれ、ぜひ身につけてもらいたいです。改良できるところは改良して、よろしければいつか、改良したところを教えてください。
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4 みっつの術をかさねあわせる
ちのみち(活元・霊動)、たなすえ(手当・愉気)、おまじない(毎日フレーズ・自作マントラ)、このみっつで、ダンスは足りる。
どんなダンスであれ、どんな体育であれ、どんな医療術であれ、どんな体操であれ、どんな芸道であれ、どんな思想であれ、いちばん効力を発揮するベースは、ここにある。試してみたら、すぐにわかります。
いのちにとって、からだとこころにとって、いちばん大切なこと、いちばん学ばなくてはいけないことは〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉だと思っています。万巻の書物を読んで、様ざまな知識を得たうえでも、やはり僕はそう思います。
僕はいいダンスを続けて、このみっつの心身術を体で味わっていく。見せるために工夫するばかりでは、せっかくのダンスがもったいないです。
いのちから出てくる、ちのみちダンス。
お客さんたちと世のなかを愉気する、たなすえダンス。
息と、声と、広末がりな言葉を、同時に全身で感じて動く、おまじないダンス。
このみっつをひとつにかさねた、生き心地のいいダンス。
〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉がひとつに合体したダンス。ルーミーたちが復興したダンス。一遍上人たちが復興したダンス。大野一雄先生が復興したダンス。誰にでもできるダンス。伝統ある、シャマン・ダンス。
いろいろと秘密の知識を得る必要があったり、対処療法みたいだったり、廻りくどい方法はたくさんありますが、僕の知りうるかぎり、いちばんいい心身術は、
〈ちのみちダンス〉〈たなすえ〉〈おまじない〉。
これがベスト3だと思っています。
すべての人間活動のベースです。
小中学校を通じて身につけておくと喜ばしく末広がりです。
もちろん何歳からでも始められる。亡くなる一週間まえくらいからでもよく効く。
もっといのちを大切に体感して、実感したほうが、誰にとってもよい。
昨年、カリブ海に浮かぶガリフナ族の小さな島でふと思いつき、それ以来、毎日工夫を重ねて、みっつを組み合わせた、かたちを生みだした。みっつの心身術を組み合わせて、ほぼ誰にでも、毎朝10分で出来る、基本のかたちを創った。
〈まむかい〉という、すごくシンプルで奥ゆかしい「毎日の健康体操」が出来てきた。僕は毎日やっている。やりながら改良をすすめている。
ちのみち、たなすえ、おまじないを、伝統的な〈真向法〉の四つの骨盤ポジションと合体させ、TFTの手順を取り入れて、順番を少し変えた。
これは効く。
元気になった、という報告が相次ぐ。
基本形があるだけなので、ヴァリエーションは無限である。僕だって実は毎日、その日の遣り方を体の勘で開発している。チベット・ヨガのポジションと合体させたり、変幻自在だ。WSでは、御参考に、基本形をいちどお伝えするけれど、その先は各自改良して遊べるのがいい。
固定したもの、固定したことなど、いのちの世界には何ひとつない。常に変化して、新しい状況に応じ、新しい環境に応じ、バランスを取ろうとしている。
僕にとって、舞台というのは、〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉の効力を、証明できる最高の機会でもある。シャマン活動のクライマックスとして、パフォーミング・アートの現場を生きていきたい。
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これ、レリジョンとかと、ちゃうねんで。誰がやっても、すぐに、効くだけやねん。この命にな、この体にな、この自分にな、もともと備わっとった力、信じてあげるだけですむしな。金もいらん、教祖さんいらん。そういうありがたい伝統の、からだの常識やねん。
(標準文章語訳。)
これは宗教みたいなものではない。誰が行ってもすぐに効くというだけなのだ。この命に、この体に、この自分に、もともと備わっていた力を信じてあげるだけでいい。金を費やす必要もなく、教祖様も必要ない。そのような、ありがたい、伝統的な体の常識なのだ。
(諏訪之国ことば訳)
こりゃあ宗教みてえなもんじゃあねえでな。誰がやってもすぐ効くっつうだけだわえ。おれたんこんいのちとか、こん体に、もとっからついてた力、信じてあげるだけですむもんだで。金もかからねえら。教祖さんもいらねえら。ありがてえこんだわな。こんなこん、昔っから体にとっちゃあ、ふつうのこんだっただでな。
どういうもんずらな。昔っから伊那とか諏訪じゃ、こうゆーこんは、誰んとったって、あたりめえのこんだったと思うだけどな。
みっつともオレにとっちゃあ、あたりめえのこんだったもんで、ほかのひとらがしらねえなんておもってもみなんだわ。そんでいろんなこと勉強して、けえって、こんな大事なこん、よのなかに広めなんだら、もってえねえっておもうようになってな、あっちこっちとびっからかしているだわえ。
5 日本伝統の心身術が、今後自分たちを、世界をどう変えていくか
百巻の哲学議論よりも、ひとつの短歌、ひとつの俳句のほうが、人生に効くことを、味わい深くやさしく伝えてくれたりする。誰にでもやさしいほうがいい。いのちを大切にするシンプルな術のほうがいい。
数学の岡潔さんは、パリ・ソルボンヌ大学に留学して、ベルエポックのフランス文化に「なんだ、こんな程度のものか」と失望した。そうして世界でもっとも深遠微妙なのは日本人の感性、日本人の伝統的な情緒であると看破した。日本人のありふれた情調の世界からみたら、数学の問題など解きほぐすのはたやすいとみた。
帰国後、岡潔さんは、数学的大業の準備として、日本人のこころ、おもに芭蕉の俳句を研究した。そうやって「日本の情緒」をいったん意識化してから、その左脳で、数学の難問に挑んだ。その後の岡さんの業績は、日本の数学者なら誰でも少しは知っている。
超人的な本質直感と知性の細やかさ・柔らかさで、岡さんは、科学の世界に、前人未到の業績を残した。広中平祐はじめ、日本人の数学者たちは、岡潔に大きな恩恵を負っている。湯川秀樹も、朝永振一郎も、岡潔さんの薫陶を受け、岡潔さんにインスパイされた。
成果だけ見ても、超人的。着想、発想は、自由自在。「岡潔」というのが、決して一人の人間なわけがなく、天才的な数学者が結集した共同研究グループだと、西洋では長く信じられていた。
岡潔さんは晩年に、ある切迫感にかられ、数学はさておいて、日本民族について、日本の情調の大切さについて、若い人たちに「講義」という形で説いてきかせていたという。
伝統的な日本文化のなかで生まれ育ち、日本の伝統を意識的に身につけた人が、すくすく成長していくと、こうなる、というひとつの例だと思う。
日本人の体感とこころを育ててきた〈ちのみち〉〈たなすえ〉〈おまじない〉という伝統の心身術を復興させたらどうなるだろう。そうして世界へ広め、次世代に残していったらどうなるのだろうか。
僕はここから、日本を復興していく。
実は、とっても、末広がりで、愉しみなのだ。
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おまじない (ワークショップ『生き心地のよい心身術』より)
〈おまじないの背景〉
・各自のこころの奥の「観念」と「イメージ」が、現実をつくっている。
・人は誰でも、自分の抱いている根本的な「自己像」「世界像」によって、
外部からの情報を選択し、内側から能力を変化させ、
その「自己像」「世界像」をさらに強固なものにしている。
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〈おまじないの実践〉
・自己と世界について、潜在意識に刷り込まれた、狭くネガティヴな観念・イメージを、
生き心地よく改良して、上書き保存する。そのためには……
・各自、ちょっと内緒のおまじないを創る。自分で創り、自分で唱え、自分で育てる。
紙に書いて、身近なところに保存しておき、
必要に応じて、内容、言い回し、唱え方を、工夫改良していく。
・毎日、かならず一度は、おまじないを唱える。
感覚的にイメージしながら、ほかの心身術と組み合わせると、効果が倍増する。
・声に出して、あるいは息に出して、体で唱えること。
こころのなかに浮かべているだけでは、効果は少ない。
・おまじないの数は、少なくとも、年齢の半分くらいはあってよい。
おまじないの中身・言い廻しは、時を経て変化していくこともある。
・一日に一度、カーテンと窓を開けて、潜在意識を換気するようなことです。
・世界が殺風景にしか見えなくなったときこそ、もう2週間続ける。
こんなの、意味ないと思ったときこそ、もう2週間続ける。
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〈おまじないのつくりかた〉
・みっつの定番フレーズ
「ありがとう」(おかあさん、師匠、みんなみんな、ご先祖様)
「日毎どんどんよくなっていく」(日毎、すこやかになっていく)
「幸運ばかりでついている」
・自分の改善したい点・欲求を、本音で洗いざらい、マッピングしてみる。
いくつかの願望を、大きく束ねてひとつにまとめてもいい。
お父さんとの間柄をよくしたい→「おとうさん、ありがとう」
踊りうまくなりたい→「私が踊ると、みんなが嬉しい」
かわいくなりたい→「こんなにすてきでかわいらしい」
からだがかたい→「日毎しなやかになっていく」
英語できるようになりたい→「世界各地の人たちと仲良く協力しあってる」
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〈おまじないづくりの留意点〉
・願望は、すでに実現したこととして言う。
「健康になれますように」→
「いつも気楽に充ち足りて、お互い元気を愉しんでいる」
・最高最良のかたちを用いる。
「世界のみんなを愛してる」
「我と宇宙はひとつにて念ずれば現ず」
「この世を天に近づける」
などと大きく出ていい。
・内容は絞り込まず、おおまかなほうがいい。
「年収500万円」→「富と栄えに恵まれている」
「来年の3月に彼女と結婚できますように」→
「素晴らしい出会いに恵まれて、人とこころが通いあっている」
・唱えていて、息が詰まって緊張するような内容は避ける。
物理的に実現不可能なこと「身長5メートルになる」はムダ。
・否定形は用いてもムダ。
「バカじゃない」→「深くて不思議な知恵がある」
「人を殺してはいけませんよ」→「誰だって相手の気持になって話せばわかる」
飯田茂実
音楽や、文学や、舞台や、映画や、療術や、それぞれの専門家に言わせると、僕の好みというか、かまけて夢中になる範囲は、それぞれのジャンル内でも、尋常でなく広いらしい。
通常、いろんなジャンルの内部は、さらに細かくジャンル分けされていて、それぞれのジャンル同志は、なかなか仲良く共存共栄したがらないらしい。
お互い細かくジャンルに区切って、あいだに壁を設けて、孤独化しているのだ。
昔のシャマンというのは、まるごと人間(総合人間)だった。共同体がどんな状況におちいっても、その人間力を復興させる能力を、しっかりと身につけていた。人のからだと こころにとっていちばん大切な、シンプルで奥ゆかしい伝統技術を身につけていた。タイミングに応じて、相手に応じて、その場に応じて、いくらでも新しいジャンルを生みだしてしまえる人たちだった。
自然と社会のバランスを取る、仲立ち人。
言葉や歌や踊りのエネルギーを盛りあげ、真と美のエネルギーを盛りあげる。共同体の病みに、意識の、ひかりをあてる係。
身ずから歌って踊って太鼓を叩き、神話物語おまじないに通じ、いろんなバランス調整というか、プロセス調整というか、元気づけや癒しをおこなっていた。
そのうち、シャマンの人生術から、「芸術」「療術」などというものが派生し、さらに細分化し、専門家し、職業となり、専有化されてバラけていった。
細かく、細かく、分け隔てて、細分化して、ジャンル分けの壁を固定化する時代は、すでに終わりつつある。細分化して、分業化して、専有化していく、そういうやり方がもう、通用しなくなってきて、壁が崩れた。そういうやり方をすると、人のこころとからだが、どんどん不幸になっていくのだ。医学だけ見ても、芸術だけ見ても、20世紀の細分化・分業化・専有化は、まったくたいへんだった。
コンクリートの高い塀などいらない。生垣があればいい。
これからは人がどんどん繋がっていく。
人のなかでも、いろんなことが分け隔てされず、ひとつに繋がっていく。
今、シンプルなオリジナルが必要になっているのだ。
ふたたび、ひとつの根に戻ろう。
シャマン術こと始めのタイミングだ。
こころとからだを大切にして、まるごとやっていれば、どんなジャンルにもどんな解釈にも納まりきらない、その人ならではの総合的な遣り方が、自然と生まれてくる。若気の余っているうちなどは、自分をかけがえのない、唯一のすごい者だと見做したいのもわかるけれど、「世界で唯一の独自なる我」など追求してもムダだ。頭で考えて頑張らなくても、そういうのは全部、後からついてくるのだ。
昔のシャマンは、まるごと生きていたので、どんなジャンルも、その人から、必要に応じて溢れだしてきた。
ジャンル。
方向性。手法。
初心者と玄人。技術レベル。意識レベル。
それぞれ、いろいろなふうに違っていて、
「お互いに共存できない」
などと思われていることたち。
「あまりに違っている」ということにされていて、
「絶対に共存できない」などと思い込まれていることたち。
そうしたことが、シャマンな人のこころの世界では、ごくありきたりに共存している。
人間に関わるいろんなタイプの、いろんな手法の高密情報に、僕はとことんかまけてきてしまった。心のなかでは膨大な現実の共存共生現象が起こっていて、もう言葉なんかでは、この現実を共有しきれない。経験を重ねるというのは、こういうことなのだろう。現実が拡張し、深まり、抱えきれないほどの現実を、現に抱えてしまうことになるのだ。
ここまで世のなかで活動を続けてきたのは、切実な希求があったからだ。
切実な希求とかいっても、平たくいえば、欲である。
最初から、欲があった。
どういう欲か。
人間のこころの現象すべてに寄り添って、すべてをすくいあげたかった。この人間世界の、詰まって固まっていることを流して、足りないところを補いたかった。人工化しすぎて不幸になっているところを、再自然化したかった。
言葉でいうと、そんな感じで、モティベーションはいつもシンプルだ。
そういうことが、出来る、と、今なお、信じている。
僕がよく想うのは、小説の山本周五郎さんや藤沢周平さん、映画の山田洋二監督のような方々のこと。こうした大先輩たちを僕は、大乗芸術家と呼んでいる。大乗芸術をする人たちは、身ひとつの快感、身ひとつの悟りのために、趣味でやっているわけではない。広く世のなかを見渡しながら、人びとにとって少しでもよかれと思う心が、作品に貫かれている。
都会の若い世代の人たちも、農村のおじいちゃん・おばあちゃんも、お母さんたちも小さな子供たちも、賢い舞台評論家の人たちも、工事現場で働いている人たちも、世界中の舞台人たちも、いろんなはぐれ方をしている人たちも、悪いことしている人たちも、それぞれに、みんな、いきいき、しみじみ、笑って、泣いて、心から感動できる舞台、そういう大乗芸術を、いつか創れると信じている。
毎回ぼろぼろになりながら、毎回ゼロに戻って全力投球しながら、いろんな人に鍛えてもらいながら、いつかは出来ると信じています。そこへ向かっていくほかないと思っている。
そういう大乗芸術が出来る人になりたい。そういう人になったら、かなり動きが速くなると思う。
僕は毎回エネルギーを使いきって倒れてはすぐに起きあがるという繰り返しで、回復力が速い。骨折や腱切、虫さされや傷などの治りが、この10年ほど、自分でも信じられないくらい速くなってきている。それがさらに速くなると、どうなるのだろう。
動かそうとしなくても、周りの人たちが自然と動き出すようになるのだろうか。
こういうノンストップまるごと全力、生き尽くしの活動をしていると、寿命がどうなるのかは、自分で試してみないとわからない。とりあえず、日本の伝統心身術を、世界の人たち四千万人くらいに広めるまでは生きていたい。
ちかごろは、シャマン術の基本にもなっている毎日の基本心身術、
ちのみち(活元)、
たなすえ(手当)、
おまじない(毎日フレーズの作り方と用い方)を、
みっつの身技などと呼ぶようになっている。日本の伝統心身術を伝えるとかいっても先ずは、たくさんのベースのなかのさらにベースとなっているこのみっつを、思わず毎日したくなるようなかたちで、ひたすら、何とか、伝えようとするだけだ。
そういえば、三種の神器、
剣、は活元、
玉、は手当、
鏡、はおまじない……
を象徴していたのではないか……
古代より続く身口意三密の伝統のなかでも、この「三種の身技」はとてもポピュラーな必須常識のシャマン術だったんだろうなあと、毎日続けるほどに実感する。
みっつとも、石器時代から伝えられ、大切に受け継がれ、残ってきたものではないかと僕は思っている。
このみっつの根幹と、その枝葉は、極意のなかの極意、秘伝中の秘伝として様ざまな伝統の「道」や「教」や「術」のなかにも残った。
どうして秘伝なのか。どうしてこんなにシンプルで効くことが秘密なのか。
「道」や「教」や「術」の権威というか稀少価値が損なわれないよう、次第にケチな派閥団体が独占して、門内の秘密とするようになったからかもしれない。よくおこることだ。
大切なことは、常に、何か別のことに利用され、エネルギーを失い、衰微して、形骸化していく。
失われたエネルギーを取り戻し、大切なことを復興して息づかせるには、権威や派閥などを、いったんぜんぶゼロに戻して、放ち捨てる必要も生じる。
話題を元に戻して……
みっつの心身術。
どうしてこんなにシンプルで効くことが秘伝とされてきたのか。
人の心のからくりに通じた、奥ゆかしい理由も考えられる。
「元気に生きるには、これだけでまずは、じゅうぶんだ」
などと素直に広めようとしても、あまりにかんたんで、やさしすぎることなので、
「なんだ、そんなことか」
と軽んじられ、あなどられるからかもしれない。
そうやってあなどられ、かえりみられなくなることがないように、極意・秘伝として、重みをつけただけなのかもしれない。
みっつの心身術のベースは、3時間×3回で、ほぼ身につけられる。あとは、各自が、毎日楽しみながら、自分なりに工夫してゆく楽しみがひらけている。奥行きは、みっつとも無限。その効目もまた、いったいどこまで効くのか、続けるほどに、際限がわからなくなる。
文化背景も、宗教も超えて、誰にでも効目をあらわす、やさしくて心地よい、毎日の心身術。一人でも多くの人に、身につけてもらいたい。
今、世界中で多くの人が体に摂取しているものといえば、アメリカ資本が量産している「あぶく飲料」と「挽肉パン」と「肉芋油揚」だろう。どれも、いかにも、体にわるい。
新しい時代がくる。その時代の人びとは、原発も、農薬も、兵器産業も、製薬産業も、「あぶく飲料」「挽肉パン」「肉芋油揚」といった巨大資本のチェーン店も、とっくに卒業していることだろう。
人々がこころとからだが再自然化されていって、お互い元気に活かしあうようになる。こころが、実感が、お互い直通になっていって、秘密も、孤独も、携帯電話も必要なくなる。
三種の身技も、世界に広がって、あたりまえになっていく。
そう信じている。
飯田茂実
グスタフ・クリムトの「接吻」という絵がある。
身体の屈強そうな男が女を抱きかかえ、接吻している。頬を赤く染めた女が恍惚の表情を浮かべている。野花が祝福する。金色が祝福する。色が、線が祝福する。
女の後ろは崖で、女の足は崖の縁ぎりぎりにあって、一歩間違えば墜落するかもしれない。
「接吻」はこれ以上になく幸せに満ちているけれど、絵は永遠に止まっているけれど、時は流れていくし、男も女も老いていく。接吻は永遠には続かない。そのあと2人はどうしたのだろうか。崖から落ちたのか、そこから去って二人仲良く暮らしたのか、空へと飛翔して行ったのか。
最後の公演で、あ、何かに触れた、と思った。自分がどんどん小さくなって、皆のことを感じながら、お客さんなのだろうか、かわからない、大きな何かにタッチした、と思った。つながった、と思った。いろいろな気持ちが私の中に入ってきた。宗教じみて聞こえるかもしれないけれど、それは本当に幸福で、ひろい宇宙のなかで、私は宇宙に包まれていて、宇宙を包んでいた。
どうしてこんなに幸福なのに、どうしてこんなに寂しいのだろうか。
そしてこの先には何があるというのだろう。
今の私は生きたくてしょうがないけれど、そうでないときもある。まあるくなってすべてから閉ざされたところで、自分を護ってあげたいときがある。
身体と心、大切に。
稽古ではもっぱらそう教えられた。自分の身体がどうなっているか。痛いと悲鳴をあげている部分がある。気づかずに放って置いたら泣き出した。自分の身体と心は私のものだけど、他者的存在でもあるのだと思った。護ってあげなくちゃ、と思った。自分を護る。その術を教わった。
わたしの好きな人は、「生きるのはつらいけど、死ぬのはもったいない」と言った。
たくさんの欲求を持って、一個の人でありたい、と思うと同時に、何かにつつまれていたい、属していたい、そうでないと不安で、どうしようもない寂しさでいっぱいになる。
食べたい、愛したい、愛されたい、見たい、知りたい、触れたい、泣きたい、笑いたい、踊りたい、描きたい、書きたい、伝えたい、一緒にいたい、共有したい、悲しみたい、怒りたい、叫びたい、歌いたい、楽しみたい、歩きたい、作りたい、育てたい、つながりたい、つなげたい、接吻、食べる、飲み込みたい、飲み込まれたい
食べたいし食べられたい
だから生きたい
包まれたい包みたい
だから生きたい
聞きたいし伝えたい
だから生きたい
触れたい、「接吻」、じゃあ、そのあとは?
離れ、別れ、そのあとは?
伝えるということについて考えている。
どうやって、誰に、何を。
舞台で、誰でも、コミットできるものを。
表現は自分の意識で表現だ、って思うけど、もっとでかい、あふれ出してくるもの、みんながもっているもの。
伝わるだろうか、取りこぼしてはいないだろうか。
ある写真家の作品を見て皆で議論する、という企画で、「社会性」ってなんだろう、という話になった。
いきなり堅い話。
むずかしいね、よくわからないよ、
じゃあ「社会性」をもっていないものって例えばなんだろう?
自分がそこに参加できないもの、私を除外しようとするものを「社会的」なものと言えるのか?
インテリゲンチャ達が専門用語でわーわー議論していても、そのテーマが何であれ、私はその場にいられるかな?
さみしい思いをする人はいないかな?
かっこいいデザインは皆を包んでくれるかな?
現代アートは冷たいって言っていたジョン・レノンがオノ・ヨーコの、天井に小さく書かれた「Yes」という文字をみて初めて暖かい現代アートに触れたと言ったって。
包んでくれるもの、拒絶しないもの。
一人一人受け止め方はきっと違う。
押し付けがましいメッセージではない、認める、許す、包む。
ごめんね、ありがとうね、and I love you.
遠くの世界のことではない、全てが地続きで、歩けばぶつかる世界に生きている。
どうやって、誰に、何を伝えるのか。
その伝え方。
伊藤照手
この公演を振り返ると、思い出す幼い頃の記憶がある。
それは母に連れられて行った日曜日のある教会でのことだ。(諸事情であまり語りたくないことだけど…)
その日は宣教師のお姉さんが祈る番だった。
お姉さんの顔も声も覚えていない。だけど、何かエネルギーだけは確かに記憶している。
その日、お姉さんは目を閉じて静かにゆっくりと語りはじめた。
それは父が先日亡くなったこと。思いもよらないことだった。
父への「ごめんなさい」「ありがとう」そして「愛してる」(…奇しくも飯田さんが舞台はこの三つで足りると言っていた)
お姉さんはボロボロ泣きながら長い間祈り語っていた。
そんなお姉さんの姿なんて見たことなかった。息が詰まった。
幼い僕にはショックなことで、多分、あまりにもショックで最近まですっかり忘れていた。
(ある時から教会にももう行かなくなったせいもあるのかもしれない。
不信仰ですねぇ、なんて(笑))
ただ、彼女が全身全霊で父へと語りかけるエネルギーだけは胸に残っている感じがする。
「ごめんなさい。」
「ありがとう。」
「いつまでも愛してる。」
僕らが、少なくとも僕が今回の舞台でやりたかったのはこれだと思う。
セリフがどうだとか、宗教がどうだとか、思想がどうだとか、性別が、国が、人種が…全部何もかも関係ない。
僕らが生きていく上で、本当に大事なことは「ごめんなさい」「ありがとう」「愛してる」だけだ。
これを言いたいために舞台で必死に苦労して、ときにはユーモアを持ってきたり、スタイリッシュに繕ってみたりする。
お姉さんが、もうすでに、神を通り越して父へと語っていたように、役者だってお客様という神様を通り越して、大切な誰か、あるいはこの世界の深部みたいなものに祈るために舞台に立ってる。
祈りはいつだって「ごめんなさい」「ありがとう」「愛してる」
中々、そこまで言えなくて、言い尽くせなくて舞台に立ち続けて行くのだろうか…。
この一生だけでは辿り着けないかもしれない、たった三つの言葉を伝えるために僕は役者として舞台に立って行こうと思う。
そうすることで、世界がほんの少し愛に満ちるように願いながら。
今回の舞台は僕の転換点かもしれない。
一生の目標を1つ得たのだから。
たとえ舞台を降りるときが来ても、三つの言葉に向かって歩いていこうと思う。
両親から与えられた、遥か遥かな身近な言葉。
遥か遥か、どこまでも遥かで…遥かだ…。
この公演の支えとなった全ての人たちへの感謝とご来場頂いたお客様への愛と祈りを込めて。
何より両親からの愛に感謝して。
本田椋
「高潮期」と「低潮期」が、ほぼ28日周期で、心身に巡ってくる。
高潮期に入ると、僕はあまり眠らないで活動を続ける。新しい工夫がノンストップで生まれてくる。絶えず何かをいきいきと、ハイボルテージで生みだしているとしっくりくる。よく徹夜もする。心身がゆるんで倒れるまで活動を続ける。
低潮期に入ると、排泄が活性化して、睡眠時間が倍増する。いろんなことをしみじみと受け容れられる心地になる。いま日本では非常時なので、体にまったく力が入らないまま、念の力みたいなもので、ふらふらと活動を続けていることもよくある。
低潮期であっても、高潮期であっても、じっと考え事をしている時間はほとんどない。脳波が瞑想状態になっているときも、何かしら社会とつながる活動を続けている。想い浮かべて考えるときは、踊ったり書いたりしながら考える。
ヴィジョンを抱いて、やむにやまれず、活動を続けている。自然のいのちを社会のなかでマックスに活かそうとして活動している。
どうして眠らないのか。どうして一人になっても眠らずに、創作活動を続けているのかというと、どうやらこれは収入のためではなく、どうしてもなんとかしたいことがあるからだと思う。伝えたいことがある。もちろん学びたいこともたくさんある。創作現場で、創作のあいまに、いろんな人から学んでいる。
僕は余力を残さずに、毎度、力を使いきる。体はいつもひょろんとしていて、筋肉はふにゃふにゃだ。皮下脂肪はほとんどない。あいだを置いて友人と会うたび決まったように
「痩せた?」
と訊かれるのは、こんなに痩せている40代が、先進国には少ないからだと思う。毎度、新鮮に、痩せっぷりを再認識されているのではないかと思う。
損得をすっとばしているので、我が身の生活のゆくすえは読めない。日本の一般常識からみて、はちゃめちゃな、バカなことをしているなあとよく思う。
いくらかは緩め方・休み方も覚えたので、過労死する心配はないと楽観しているけれど、同時にいつ野たれ死んでもいい覚悟はしている。
熱心な同志たち、支えてくれる人たちがいて、励ましてもらえる。
おれもまあ諏訪人だでな、やれるとこまでやろうと思うだわ。
真とか花とかに夢中になっている人は、好ましい。
特定の人たちの人気を得ようとか、私の才能をみとめさせようとか、ここで一発得しようとか、おれのすごさを見せてやるとか、そういうことをすっとばして、真とか花とかに夢中になっている人は、傍目にもすごく好ましい。手を携えて睦みあっていける気がする。
ひろく世のなかを感じで、少しでも良かれと願って暮らしている人は好ましい。支え合い、励まし合っていると実感できる。
いろんな国から、心のこもったメールを頂く。あれから毎日みっつの術を続けている、最近こんな集いをした、自分はこんなふうに変わった、いつもあなたのことを思い出している、最近どうしているか、また自分たちの国へ来てほしい、あの国にもぜひいってもらいたい、そういった内容のメールが多い。
そうした一方で僕の活動は、人に複雑な情を抱かせてしまうことも多い。人を不審がらせたり、ひそかに怒らせたり、心に炎症や排せつを起こすような結果もまた、もたらしてしまうことがある。これだけはどうしてもやむをえない。
師匠の大野先生は、決して本人が気づかないように、反発や怒りなしの、炎症や排せつをうながす方だった。僕は未熟なのだ。来し方をかえりみて、しょげてしまうようなことも多い。すまなかったなあ、すまないなあと思う。
それでも活動をやめないのは、そういう心の炎症や排せつを、体の炎症や排せつと同じように、プロセスとして大事なこと、と感じているからだと思う。「プロセス」というのは、時の過ぎゆくなかでの過程。ものごとの流れゆき・進みゆき。
たとえば、怒り、というようなかたちで炎症を起こさないと、心に溜まった毒素を排泄できない場合もある。毒素を溜め込んでいのちを失うよりは、排泄、というプロセスを経たほうがいい。
生命が新しくバランスを取ろうとしているときには、どうしてだろう、かならず順を追って、一連のプロセスが起こる。
「過敏になって、炎症を起こして、毒素を排泄して、弛緩する」
というプロセスが起こる。そのあと、からだとこころは、新しいバランスを身につけ心得て、ヴァージョンアップする。底力が湧いてきて、いろんなことが鮮やかに美しく感じられるようになる。
療術を受けたあと、このプロセスが生じることがよくあって、東洋医学ではこれを「めんげん現象」などと呼ぶ。長く療術活動を続けてきた人は、人が癒されていくプロセス=「めんげん現象」のいろんな規模、いろんなかたちを、体験的に心得ている。
生命は、大別して次の4つのプロセスを経て、ヴァージョン・アップします。
1 過敏 おもに神経と皮膚、表面と芯に来る。
2 炎症 熱を出したり、ずきずき痛くなったりする。
3 排泄 お腹をくだしたり、臭い汗がたくさん出たりする。
4 弛緩 心地よくゆるんでどこにもリキが入らない。
いつもこの、4つのプロセスを経て、生命はバランスを取り直す。
人の生命=人の体と心がこうなっているせいか、歴史社会の流れも、文化芸術などの創造過程も、どうやらこのプロセスの法則を内蔵し、体現している。
このプロセスが目立って体にあらわれると、いわゆる「病気」と呼ばれるような症状が起こる。療術活動は本来、このプロセスを滞りなくし、ときにすみやかに経過するよう促進させるものだった。「復元」とか「元どおりの事なかれ」ではなく、すみやかなヴァージョンアップを、復興を目指すものだった。
命や器官が欠損することがないかぎり、たいていは、あわてる必要もなく、おびえる必要もない。おびえあわてて、へんな精製薬を使い、プロセスを止めると、心身のヴァージョンアップは次回まで延期されて、いやな副作用ばかりを残す。いのちは、活動を妨害されると、すねる。
流れはいつも、流れてゆくための場を求める。
プロセスは必要なのだ。
困った人たちが、困ったことをしている。
せっかく熱を出しているのに、呑み薬で炎症を止めてしまう。
せっかく神経から皮膚へ出てきた毒素を、塗り薬で体に戻してしまう。
せっかくお腹を下しているのに、下痢止め薬で止めてしまう。
せっかく体が力をふるって、毒素を排泄しているのに、なんということだ、あなたは体に悪いものを食べて吐いたとき、ゲロをもういちど口に戻して食べたいと思うだろうか。炎症や排せつを促進させることなく、そのプロセスを薬で止めている人たちは、それと同じことをしているのだけれど……。
そうしないとたちまち命をなくすのなら、もちろん生きながらえるために薬を摂ったほうがいい。
外側から薬のたすけを借りず、自然治癒力でヴァージョンアップした生命は、免疫力が盛んになり、しなやかになる。免疫力が盛んになって心身がしなやかになると、いのちに適った環境を、育て、築いていく力が、生まれる。
いのちの復興にはどうしても、そうした、しなやかないのちの力が必要になる。
製薬会社の遣い走りみたいなお医者さんたちが、医療の名のもとに、悪循環を促進していることも多々ある。
やはり人は死ぬのが怖くて、慌てるのだろうか。
つい慌ててしまって、金を散らしたり、人のからだを意識の奴隷あつかいしたりするのだろうか。長い目で見れば悪循環を起こす方へ逃れていって、その場しのぎ一時しのぎでホッとしたいのだろうか。楽に良循環させる方法が、手元足元にたくさんあるというのに……。
美容のありかたを勘違いしている人も、このごに及んで、まだたくさんいる。
美しいこころが内から輝いている人は、本当に美しい。
美しく見せたいだけ人が、外から肌に塗り込んでいるものはなんだろうか。毒素たっぷりの化粧品、あるいは高価な化粧品だけではない。毎日、石鹸やシャンプーを皮膚へ塗り込み、皮膚や神経をぼろぼろにしてしまっている人たちがいるのだ。
僕はもともと、虚弱児だった。物ごころついたときには、何も食べられずひもじくてたまらないまま、病院のベッドで点滴を打たれていた。ぜんそくで、すぐに気管支炎になる。すぐに熱を出す。自律神経失調症。消化機能障害。蓄膿症。胃潰瘍・十二指腸潰瘍。弱視乱視。吃音。
そうしてひどく皮膚が弱かった。すぐに湿疹が出たし、アトピーもやった。
ある時、はっと気づいて、石鹸をほとんど使わなくなり、歯磨ペーストも使わず、シャンプーも使わなくなった。昔の人たちのように、通常、石鹸は、一日に一度も使わない。頭 皮も顔も手足も性器も、からだのあらゆる箇所を、たわしで洗っている。
そうするようになって以来、皮膚の免疫力はかなり強くなった。皮膚の回復力の速さには自信がある。活動上の不摂生を続けていても、今のところ肌はすべすべつやつやだ。
弛緩。
過敏。
炎症。
排泄。
そしてふたたび、過敏。
いのちは四季のように経巡るのだ。
新しいバランスを復興する4つのプロセス。この4つのプロセスを経て、ヴァージョンアップが起こる。このプロセスを経て、今までよりもっと大きなバランスを取れる人になる。
こころに生じることでいうと、たとえば、ぐったりやる気がなくなったあと(弛緩)、そわそわしたりいらいらしたり(過敏)、むかついたり腹が立ったり憎んだり(炎症)、泣きじゃくったりお腹をくだしたり(排泄)という進みゆきになる。
これは呼吸と感情の、喜怒哀楽サイクルのうち、「怒哀楽」に相当する。
生命がこのプロセスを経ていると、喜怒哀楽の「喜」にあたる、かつて経験したことのない大歓喜、超悦楽が巡ってくる。実はそれだけが喜ばしいというわけでもなく、プロセスまるごと喜ばしい。
炎症と、排泄と、弛緩。怒・哀・楽。
いずれもよく感じて、よくプロセスを味わってみると、自然の必然ならではの、心地よさがある。こころの持ちようによっては、このプロセスを、おおいに楽しむことができるのだ。たいていの奥芸術家は、このプロセスをおおいに楽しんで生きている。
この、いのちのプロセスをまるごと愉しんで生きている人たちが、社会に受け容れられたら、これほどの喜びはほかにないだろう。シャマンというのは、このプロセスを熟知して、このプロセスを扱う人たちだった。
世間からみればたいへんそうな人生を、大きく愉しんでいく伝統が、日本には昔からあった。
「お互いみんなで感じ合い、どんなこころもすべてを受け容れ味わって、おたがいになごみ愉しむ」
こうした日本人の情調は、この宇宙に存在する現象のうち、もっとも美しいことかもしれない。
宗教とかで押しつけられて、しなきゃいけないと思って、頑張ってそうしているのではなく、ありのままに、そういうことを味わい愉しめる民がたくさんいるのだ。そういう民が増えたのも、たくさんのご先祖さまたちのおかげだ。
頸椎二番やみぞおちを緊張させて、軍隊式奴隷式の動作をするほどに、このかけがえのない情緒は失われていく。
この情緒の伝統はまだ、日本の到るところに残っている。ポピュラーなところでは、山田洋二さんの映画に出てくる、フーテンの寅さん(渥美清さん)なんかはそういうキャラで、今なお世界中でたくさんの人から寅さんは愛されている。
そういうことを、なんと芸術にしようとした人たちが、日本にいるのです。川端康成、黒澤明、山本周五郎、山田洋二さん、宮古島の棚原玄正さん、諏訪の小口大八さん、といった方たちが、日本にいるのです。しかもそういう人たちが、大衆的に、人気があるのです。
日本文学みたいな、情緒ゆたかな、人間味あふれる、無限極微で自由放逸な繊細深遠は、ちょっとそこらの西欧文学には類がないのです。あるがまま、おもむきふかく、はてしなくきめこまかく、気ままなるうえに気のおもむくままにて、こまやかなる奥ゆかしさ、などと申しあげたらよろしいのでしょうか。
こんな文化がほかにあるだろうか?
僕は日本の伝統文化の大ファンで、日本人に生まれて諏訪ことばを母語とすることができて、本当によかったと、あらゆる神さまに感謝したい心地です。
一言でいえば、世のなかの仕来りを大事にしつつも、生命のプロセス全部を、まいどまるごと楽しんでしまう。
常に変化している生命現象を愉しむのだ。
最近のちょっと汗ばむ蒸し暑さがまた、たまらなくいいのだ。
一見苦しげな創造活動が、当事者にとって総合的に心地よいのは、いのちのプロセスをまいどまるごと味わいながら、全力で生きられるからかもしれない。幾度となく「過敏・炎症・排泄・弛緩」というプロセスを繰り返すうちに、螺旋的な進化というのか、だんだんに、さっぱりしていて奥ゆかしく、人情たっぷりで屈託がない人に育っていけるのかもしれない。けっして一人では、やらないでください。
命はいつも、新しい環境に適応して、新しい大きなバランスを取ろうとしている。
たとえば今まさに、日本の人たちが新しいバランスを取っている。仙台で暮らす若い人たちもバランスを取っている。
ほぼ毎日やってくる余震のなかで、震災後のバランスを取ると、足元がいつまたゆらいでも大丈夫だという、覚悟みたいな底力が生まれてしまう。精一杯生きていこうという底力が生まれる。おそろしい状況のなかであっても、思いきり、人間らしく、人間味たっぷりに生きていくことができると、人と人のあいだに信じあう気持が湧いてくる。
損得とか、勝ち負けとか、上下差とか、愛憎とか、そういうレベルを超えて、おもわず人とこころが通いあってしまうのだ。
ただでさえ、たいへんな状況なのに、人とこころが通いあうと、今まで自分が見ないようにして無視したり抑圧したりしてきたものを直視せざるをえなくなり、たいへんでたいへんで、もう泣くしかないときもある。
そうしていのちは、ここに現に生きているいのちは、このプロセスを、愉しんでくれているのだ。生きているかぎり、いのちは喜んでいる。
プロセスの楽しみ方を身につけたほうがいい。
からだの脅えを捨てたら、多少はおびえていても先に進んでいける。ふたたびプロセスの流れに乗って、ムードとしては上昇していく感じの、いのちの良循環、らせん上昇活動を愉しんでいける。
僕だって、本当に悲しい時は、骨盤がゆるんでしまって、腰が抜けたみたいになって、よろよろ歩きになってしまい、やがて倒れる。けれども、そこで炎症を起こして熱をだし、大いにお腹をくだし、大いに泣いて、それからまた死体みたいな状態で、命がけで突っ立って、世のなかを歩きはじめる。
切ないこと辛いことはたくさんあるのだ。
されど腰ふたたびすわりてのちは、ともはらからをなくす哀しみはもとより、明日のたつき、宵越しの悲恋など、こころのわずらいを朝(あした)までもちこすは益なきことなり。
滞り、澱み、固まってしまうと、生命は喜びを失っていき、苦しみのサイクルにはまる。ほとんどの人災は、そのようにして起こっている。
そうした実感に押されるようにして僕は、日本の伝統の心身術を、整理工夫をこころがけながら、ちょっと切ないおもいもしながら、世界中の人にお勧めして廻っている。
プロセスに注目していくと、いろんなことがシンプルに分かりやすくなる。どうしたら改善できるか、目安もつけやすくなる。自然生命に、凝り固まったものは、ひとつもない。すべてが大きなプロセスのなかを流れてゆく。
まず、人間にとって、美しいこと、良いことに注目してみる。
花を見て美しいと思う。好きな人に触れて感動し、この人が生まれてきてくれて本当に良かったと思う、そうしたプロセスに注目してみる。
そうすると、わかってくることがある。
良いこと・美しいことにはすべて、次のような促進作用というか、効目があるらしい。
1 じっと過敏になったままを、炎症(動揺)へとうながす。
2 炎症を起こしたままを、排泄(放散)へとうながす。
3 排泄しっぱなしを、弛緩(楽にゆるむほう)へとうながす。
4 弛緩しっぱなしを、いきいき敏感なほうへとうながす。
自分の体感としては、「いきいき・のびのび・しみじみ・きらら」を繰り返していく感じ。
「きらら」から「いきいき」へ。
「いきいき」から「のびのび」へ。
「のびのび」から「しみじみ」へ。
「しみじみ」から「きらら」へ。
こういうオノマトペーで身ひとつの感覚を表現していても、相手は意識にとどめてくれないし、その場でワイワイとなるだけで、世のなかはやや、動きしぶる。「のびのび、きらら」などと言っていても、きれいごとになってしまう気もする。用いる言葉が、感覚的なポエムに片寄るにつれて、こころの盲点も増えてしまう。だいいち、「のびのび、きらら」なんて、海外へ行くと、我ながら意味不明だ。
そこで「弛緩・過敏・炎症・排泄」と、西欧語訳できる観念語でクリアーに伝え、わかりやすい例を探って、そこに附録するようになった。
西欧言語を母国語あるいは第2外国語とする、科学者・医学者などに、「弛緩・過敏・炎症・排泄」と説明すると、みんなすんなりわかってくれる。
ゆったりゆるんだ心地になる。それからやたらと敏感になってきて、表面がそわそわする。コアなところが熱くなるにつれて体じゅうが熱くなってきたりする。出そうと考えたわけではないのに、どんどん出てきてしまう。からっぽになって、のびのびきららとゆるむ。
お。お。これは。なんということだ。様ざまな病のプロセスや、創造活動のプロセス、力持ちのエゴに巻き込まれた庶民の反応プロセス、などを総合的に語っていたつもりだったのに、声に出して語ってしまうと、体感的になにやら艶めく。
やはりいのちは、こうしたものなのだろうか。
生命は、プロセスを経て、新しい現実に即し、新しい現実を生きられるようになっていくようだ。プロセスを止めてしまうと、生命は、新しい現実に即して、常に新しく生きていくのが難しくなる。
どうやらこれは、気のせいではない。よく振り返って、よく観察して調べてみると、本当に、いのちにかかわること、人に関わること、人類数十億人みなおなじく、プロセスに関わることはみんな、どうやらこうなっている。
プロセスをほどよく促進するほうがいい場合もあり、プロセスをほどよく遅らせるほうがいい場合もあるので、あまり焦っても仕方ない。
いったいどういうシステムが、このプロセスをいのちに与えてくれているのだろう。いのちは不思議だ。空気さん、ありがとう。お水さん、ありがとう。
たいへんなことは、たくさんある。つらいことは、たくさんある。
永いあいだ過敏だった人、永いあいだ炎症を起こしていた人が、次のプロセスへ進むとき、かなり複雑な感情が生まれることも多い。戸惑い、驚き、恐怖、敵意など、僕自身はもちろん、誰しもこれまで、いろいろと身に覚えがあると思う。
生命力が盛んにはたらいているときは、いろんな想いが、こころを吹き抜けていく。
プロセスの途上、怖いときは本当に怖かったし、許せないなんて思ったときは本当に許せなかった。後になってみれば、すべて若気の勘違いだったのだけれど。
自分のこころを勝手に投影してごめんなさい。おなかを空かせて、こころを空かせて、それをお父さん、お母さんのせいにして、怒ったり泣いたりして、ごめんなさい。お父さん、お母さん、ありがとう。
「やわらかく、流れのなかで生きていこう」
「欠けていてさみしいばかりのところがないように……」
「固まって詰まってしまうところのないように……」
昔からアジアの各地で、人生をきわめた老賢者たちが、そういうふうに説いている。人間情報センターみたいなおじいさんたちが、そういうふうに説いている。
「柔らかく、変わっていきなさい、そのほうがあなたも、みんなも、生き心地がいいよ」
そういうふうに生きるのがまた、たいへんなのだ。便利になったぶん、まもらなきゃいけないものが、原始時代に較べてややこしく増えすぎた。まもるエネルギーで精一杯で、 もう新しく変わっていく力がないという人もいる。
そういう環境のなかにあっても、柔らかく変わっていくのだ。そうなると全身全霊で生き尽くすしかなくなるのだ。
いや……やはり、このほうが、楽かもしれない。いちどかぎりの人を生き、やがていつかは死んでいくのだから。
生命の仕組、ことに免疫のメカニズムを、もっとしっかり学びたいと思う。
創作の現場だけでは「おもいてまなばざる」形になってしまってあやうい。おもいが強くなるほどに、まなぶ必要を感じる。
学ぶというのは、ウノミにすることではない。受け容れて、自分のこころとからだでたしかめるのだ。本当に大切なことを、心得、身につけていくのだ。
僕は学ぶのをやめることができない。いつも二十冊以上の本をトランクに詰めて旅をしている。
睡眠時間3時間の生活をしながら、いつどうやって本を読むのか。厠(かわや)で、内臓や排泄器を感じながら、読むのだ。そうすると要らないものを排泄していくエネルギーも高まる。
どんなにしっかり学んだことも、それがまだ単なる知識であるうちは、役に立たない。現実の現場では、そういう知識はいったん捨て去る。
1000くらい得た知識のうち、みっつくらいが、「生きた知識」として残っていく。そういう知識は一生役立つ。
そのなけなしの知識さえ、一人の相手のまえでは、何の役にも立たないことが多々ある。
原則をつかんでいても、人に応じて、場に応じて、毎回、どうしたらいいのか、やりかたは変わっていく。どうすればいいのか。
ノンストップで、新たに見出していくしかないのだ。
生き心地よくなるには、中道をいくのがいい。
「向こうのこういうところが間違っているから、やはり向こうが悪いのだ」などと意識だけで処理して、怒りや悲しみを心身に溜め込むと、プロセスを止められて、生命が苦しむ。
考えや、感情や、生き方を、こだわって固めてしまうと、心身が苦しむ。
決めてかかって、ムリしてしまうと、心身が苦しむ。
かたよらずかためず、バランスを取りながら、中道を生きるのがいい。
一生かけて、心得、身につけていく。
生命の自然のしかた従っていくと、自分で勝手につくりあげてきた固定観念なんて、たちまち粉砕されて、あとかたもなくなる。いったんはたいへんだけれど、やむをえない。 明らかにそのあと、生き心地はよくなる。
そうしてこういう社会環境のなか、身ずからすすんで全力で生き尽くすしかなくなり、さらに生き心地がよくなっていく。
生き心地よく中道を生きていくと、世のなかの傍目には、かなりダイナミックで起伏が激しい生き方になるかもしれない。迷惑はかけないようにしたい。こころをあたたかく清めて、こころをふかめていたい。
そういえばある整体師さんが、
「現代の都市で、情報の滝に打たれながら生きていくのは、日々、自動的に修行してしまうみたいなものだ」
そう語っておられた。
各地で、真摯な若い人たちと接していると、このことはすんなり腑に落ちる。
舞台作品では、人間情報が、高密に濃縮される。他者や社会とかかわる意識。生命とかかわる潜在意識。切実な体感。舞台では、すべてが溶けあって濃縮されたかたちになる。
「ものづくり」でもごまかしは効かないけれど、「ことづくり」では全部バレバレになる。舞台に立つ人たちは、全部バレバレで人前にさらされることになる。
生身の「ことづくり」をするかぎり、いやでもそうなる。
どうして、大勢の人たちと、「ことづくり」の活動をしているのか。
この社会に広がっている、大きな根深い欠落をみたし、大きな根深いこわばりをゆるめたいからではないか。
舞台に立つときは、我が身ひとつの、ちいさな欲望から解放されていたほうがいい。ちいさな苦しみからは脱却していたほうがいい。足りないゆえの苦しみは満たし、こわばって固めてしまったゆえの苦しみはゆるめる。そうやって小さな苦しみを卒業してから舞台に立つほうがいい。
すこしでも良い出来事を生みだしていくにあたって、メンバーそれぞれが修行みたいな体験をしてしまうのは、やむをえないのかもしれない。生命のプロセスを促進しながら、まるごと生きることになるのだから。
時どき、コンビニなどのレジで、
「この人がもしも、農事とか、祭事とかをしたら、日本はどんなにかよくなるだろうになあ。どうか将来、チェーン店なんかは持たないでくれよ」
とお願いしたくなるような、素晴らしいエネルギーの持主を見かける。裏ではかならず、勉学とか、音楽とか、恋とかに、夢中になっているはずだ。
何をしていても、喜怒哀楽は四季のように経巡ってくるのだから、どうせならみんな、自分の欲求と、傾向と、能力を、フルに活かせる仕事をしていくのがいい。そういう仕事を身につくていく人が増えるほどに、世界もまだまだ、なんとかなっていくはずだ。
こういう仕事は天職と呼ばれる。
人が恐怖や抑圧をしりぞけ、全力を発揮して生きると、自動的に、世のなかにとって縁起のいい人になっていく。どんなジャンルでもいいのだ。囲みのなかや、ひとつの面、ひとつのジャンルのなかに閉じこもってしまうと、恐怖や抑圧をしりぞけるという大切なプロセスを失ってしまって、全力は発揮できなくなる。
天職を生きよう。名前をつけにくい仕事でもいい。どんな仕事でもいい。収入が減って、エアコンのある部屋でアイスクリームを食べられなくなってもいい。自分とは何か、この世界とは何かをたしかめながら、天職を生きよう。
生命であるかぎり「弛緩」「過敏」「炎症」「排泄」を繰り返していく。
いつでも、このプロセスを経て、新しいバランスをとっていくことになる。新しい現実に即して、新しくバランスを取っていないと、生命は委縮し、壊れていく。
盛大に過敏になって騒ぎ立て、盛大に炎症を起こして騒ぎ立て、盛大に排泄しておびえる人たちもいる。
騒ぎ立てている人たちも、プロセスを経てゆるんでしまえば静かになるものだし、別にどうということはなかったりする。こちらが静かな呼吸を保って、巻き込まれることなく眺めてみれば、相手は体の欲求というか、呼吸の欲求を果たしているにすぎなかったりする。
そういう人たちに対応するには、そういうプロセスをいやというほど経験してきた人たちが向いている。
感情を駆使して子供が大人たちを振りまわすことがあるけれど、これは息遣いがせわしない大人たちにも大いに責任がある。プロセスのまえで動揺してどうする?
経験を重ねていくにつれ、他者をコントロールするために人前でフェイクの涙を流しているような者を楽に見破れるようになり、そうした「来てきて愛してこっちみて」といった欲求への程よい振るまい方も、その場に応じてとっさに出てくる体になっていくだろう。
「ああ、いいプロセスを生きているんだなあ」
盛大な人たちを見ていて、そう感じる。
たとえ我が身に起きた大変動であっても、そうやって感嘆しながら、客観的にプロセスを眺めていることが、最近、よくある。「四十不惑」というのは、このことかと思う。悩みはいろいろ生じるけれど、ベースとなるところでは、まどうことがない。
いちばんの驚き、それは、「こうだ」と思っていた世界像が、自己像が、揺らぎ崩れてしまって、まったく新しい世界が、まったく新しい自分が、あらわれてくることだ。とりわけこころは、広げようと思えば誰しも星空より広いので、自分のこころ、人のこころは、この世のなかで、とんでもない驚異の種となる。
できると聞いてはいたけれど、まさか自分には出来ないだろう、どうせ人ごとだし……などと思っていたことが、実際に出来るようになってしまったときなど、人は至福感を覚える。もちろんそこには、恐怖、衝撃、負担、孤独などもつき従ってくる。
さあ、今日もこれから、倍音声明活元指圧愉気真向法をしよう。
これはいちどにしていることをただ並べただけの名称で、やっていることは、いったんやってみると、すごくシンプルだ。
倍音声明活元指圧愉気真向法。
略して〈まむかい〉。
この略はいま思いついた。
〈まむかい〉は、みっつの伝統の心身術を、相変わらず日本で数百万の人がやっているという「真向法」と合体させて、十五分で全部いちどに愉しめるように工夫したものだ。このほかに、みっつ+よっつほど、細かなところに触れて意識の光をあてるだけで、体は病みから遠ざかっていく。
まず、総合的にシンプルに、生き心地よい、いのちを保つ。そうすると、対処療法めいた、ややこしいことをする必要がなくなる。
からだとこころが病むとき、そこはずっと意識の光をあてずに、ありがとうも、ごめんなさいもなく、無視してきたところだ。いつも体じゅうのために働いてくれていたのに、今まで感じてあげることもなく無視したまま、こき使ってきたところだ。
病んだところに手を当てて、「無視してごめんなさいね」と言う。「いつもありがとう」と御礼を言う。そうやってじっくり感じてあげる。ゆとりがあったら、何をししてほしいか、内密のリクエストを訊いてみる。
そのリクエストを実行すると、なんと病は消滅してしまうのだ。この現象は、現代医療術の最先端において、量子物理学的な観点からも研究されている。
これまでずっとこの体全体を保ってきてくれた処を、今まさに体じゅうが滅びることなきよう痛みを発してくれている処を、
「いやなやつめ、こいつ」
「体から出て行け(この教室から出ていけ、この国から出ていけ)」
などと思うのは悲しすぎる。大切ないのちの一部を、消そうとか、滅ぼそうとか、追い出そうとかしてはならないと思う。
光が当てられ、濁気が抜けて、闇がうすれていくのがいい。
〈まむかい〉は、体のいろんなところへ、意識の光を当てる遣り方だ。
「やりたいことを元気に全力で出来る、からだとこころを育てる」
そんな効目のある毎日の心身術だ。
しかもこれは、基本形があるだけなので、そこから各自がどんどん、自分たちにかなう かたちへ、術そのものを進化させていけるあたりもいい。
どんどん改良してほしい。僕もすこしずつ、改良している。
アフリカにある〈シャマン術国際協会〉のブルキナファソ支部では、早速、ある種の改良ヴァージョンを試しているという。そういう嬉々としたメールが届いた。いったいどんなふうに改良したのか、すごく気になる。三ヶ月後に、わかるかもしれない。
〈まむかい〉などというのはここでの仮の名で、西欧言語圏では、あいかわらず「ハーモニクス・マントラ・カツゲン・ユキシアツ・マッコウホーなどと長たらしく唱えて笑いをとっている。ヨガの先生、武術の先生、コンテンポラリー・ダンスの先生、医学者などにも、たいへん評判が良い。
まずは身につけて試してほしい。ひとりでも多くの人が、こうした心身術を身につけてかつて僕の祖母がやっていたように、習慣として毎日続けていってほしい。出来ることなら、もっと効目がある術を、あるいはヴァージョンアップさせた術を教えてほしい。
投稿情報: 2011/07/30 02:04 カテゴリー: シャマン術国際協会について, 飯田茂実 | 個別ページ | コメント (0)
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少しばかり伝統文化のはなし。日本が誇る、伝統の、発酵食品文化の話。そのなかでも最も労力を必要とする繊細深遠な文化、世界でも類がない〈並行複式発酵文化〉の話。
この文化がゆたかに息づいている土地は、まだバランスのとれた自然と、ゆたかな人間味が残っている。
僕の故里では、たくさんの諏訪杜氏さんたちが、湖の周りに住んでいる。
「味わい楽しめる、生きた伝統文化」
「水を大切にし、自然をそのまま活かし用いた、日本が誇る、手造りの職人文化」
「神とも深く関わっていて、杜氏は信仰あつく、本気で神に祈る」
こんな伝統文化が、日本には、現にあり、多くの人たちから愛されて、盛んに息づいている。ただしく醸したものは、味覚も、技術も、栄養学・醸造学などの化学的見地からしても、類を絶して、世界のトップだ。
すごいことではないか!
しかも、直に、美味しく、楽しめる!
先進諸国の料理人たちや美食家たちが今、この伝統に注目しているけれど、さあ、本当に美味しいものは、海外に持ち出すことができない。出廻っているものの大部分は伝統のこころからはぐれた量産品で、本当に美味しい伝統酒は、現地消費ですぐ終わる。海外では百万ドル出しても手に入らない。地元のおにいさん、おねえさん、おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんが愉しむばかり。
贅沢なのだ。
二十代後半から十年ほど、僕は酒類をほとんど呑まなかった。たまに酔いたいとき、ちょっと荒んだ創り方をした、各国のヤクザな酒を呑むくらいだった。
僕は呑んでもあまり酔わないたちで、日本酒は一升呑める。それでもいちど松山で記憶を失ってからは、「もう年かな」と思って、宴会でも打上げでも、呑めないふりをして、煎じ茶や果物汁ばかり呑むようになっていた。一人で呑むこともなかった。
公演ツアーのあいまに、カクテル創りの名手と親しくなったことがある。そのままカクテル創りに夢中になって、試せるかぎり、あらゆる前衛カクテルを試してみたことがある。
このとき、いちばん複雑玄妙で奥ゆかしいのが、ある一部の「日本酒」だと初めて腑に落ちた。丹精込めて醸された伝統酒は、カクテル飲料などとは、造っている立場も動機も、態度も熱意も、まったく違っていた。口によみがえらせるたび深い衝撃みたないものを味わう、良質な大和歌みたいな味だった。人造なのに自然だった。
母を亡くして、通夜の晩、出てきた日本酒の味に感動した。そんな時、こころから美味しいと感じて、慰められる味だった。
母の葬儀が終わったあと、諏訪の酒を集めて、片っ端から呑んでみた。僕の故郷は「諏訪杜氏」で名高い処だし、酒蔵店で働いていたときに新しい酒販伝統の誕生に立ち会ったこともある。全国的に有名な銘柄については、これまでも一応、地元人として軽い誇りみたいなものを持っているつもりだった。
いや、それだけではなかった。あったのだ、まだ、いろいろと、本物が。
ぬのや本金さんの「太一」という酒に衝撃を受けた。諏訪人の魂を受け継いだ、本物の杜氏さんが創っている、諏訪シャマン文化直系の味だった。言葉にするとややおおげさに響くけれど、素直にそう感じた。
ユーシフというイスラム名を持っている者として、誇れることかどうか微妙だけれど、僕はこの「日本文化の粋」に夢中になってしまった。熱中すると、僕は文字通り狂う。
これ、と思ったときは、様々な温度の燗を実験したりした。古美術界で真価の定まっていない名物、古い銚子や古い盃が、手元に集まってきた。これ、と思ったときは熟成に賭けるようになった。引っ越した新居の床下には、しつらえたように、酒造クーラーが設置されていた。なけなしの収入をはたいて、日本最高の無濾過生原酒を常備し、熟成させるようになった。
海外から来たお客さんには、かならず、おすすめの一品を呑んでもらう。彼らは例外なく驚嘆し、
「こんなにうまいものは呑んだことがない」
「どうやったらこれを手に入れられるのか?」
と訊いてくる。そうして例外なく、その値段が、あまりに安いのに驚く。
フランスのダンサーたちも、イタリアのアーティストも、スペインのシェフも、ドイツの哲学者も、海外の友人たちはみな、飯田ハウス厳選の日本酒に驚嘆した。強い酒しか呑まない韓国の友人たちも、「これは例外」と驚嘆した。
若い日本の仲間たちもまた、かならず驚嘆する。
通、というのか、マニアたちのあいだで、
「この味は通にしかわからない」
とされているものをいちはやく選び、
「ほかのどれより、これがいい」
と愛でるのもまた、若い人たちの味覚だった。飯田ハウスに集まった若い人たちほぼ全員が、口を揃えてそういうものを、
「これは、すごい。これは、おいしい」
とおどろきよろこぶ。毎日、活元ダンスや愉気をしているせいだろうか。感覚が野性に、かつ繊細になっているのだろうか。それとも、誰でも、元来、そうなのだろうか。
王禄。不老泉。一博。竹鶴。悦凱陣。東北泉。
京都の飯田ハウスで「インスピレーションの会」を催すたび、ランダムに瓶を並べておくと、そうした造りの念入りな美酒から、順になくなっていった。燗や熟成でさらに大化けする、しっかり醸した全部味。歓談しながら、本能的に、そっちの方へ手がのびるらしい。
手を抜いた量産酒は、どんなに名の売れた値段が高いものであっても、一杯目以降、呑まれることなく、たっぷりと残った。
「これをもっと呑みたい」
「これはもう呑みたくない」
集いごとの結果を見ると、人気の差は、びっくりするくらい大きかった。
本物の美酒を呑んでいると、和の感じが広がっていく。いきいき、しみじみ、のびのびと、お互いなにごとも腑におち、相手から何が出てきても、やさしく受け容れられる、いい感じが広がっていく。軽口を叩く者もなく、不様にわいわいする者もなく、悪酔いする者などひとりもいない。
食通とはかけはなれた、コンビニフード世代の若い人たちも、念入りに醸した伝統酒に驚き、おおいに喜んだ。アルコールを摂れない人も、ついひとなめして感動した。
本物を生みだせば、わかる人にだけわかるのでなく、誰にでもわかるのだ。本物は、誰にとっても、ストレートに喜ばしいのだ。誰もが直に感動できる。本物の人工技術とはそういうものかもしれない。
希望を与えてもらった。
佳い酒を呑んだ人、皆が経験していることだけれど、佳い酒はどこか、からだに佳い気配がありたくさん呑んでも、二日酔いすることがない。科学的に分析してみると、含まれるアミノ酸の種類なども、世界的に見て異様に多いという。
あるとき本能の直感に任せて、禁断の領域とされる「異種ブレンド」に挑んでしまった。ソムリエの舌をもつ畏友は
「え?え?……こりゃあ、うまい!」
とびっくりした。
うまくてもやはり造り手の方々にどこかうしろめたくなるから、ブレンドは禁断なのだろう。……造り手の方々には申し訳ないけれど……欠けている同士が補い合って、すごい奇跡が生まれてしまうこともあって……ひらめいてしまうことがあって……どうしてもやはり……。
日本で酒を創って大儲けしているような製造元のものは、みんなダメだった。どうブレンドしてみてもまずい。二日酔いのする、体にわるそうな、ひどい酒だ。手を抜いて創ったひどい味・ひどいエネルギーの酒を、「日本酒」と名売って大量に大安売りするのは、悲しすぎる。
「へえ、これが日本酒なのか。日本、ダメじゃん」
と呑んだ人が勘違いして、潜在意識の誇りをまたひとつ失い、伝統文化から離れていく。
目先の利益というのはこわい。そうやって日本酒もどきを量産して売りさばき、呑む人たちをだましている人たちが、それを呑む人たち誰よりもまず不幸な思いをしているのかもしれない。まずい量産の日本酒もどきを口にすると、造っている当事者たちの不幸までも伝わってきて、やりきれない思いにさせられる。
長い目で見て、明らかに自分たちの首を締めるような切ないことを、率先してしでかしてしまうのは、なぜだろう。添加物もりもりのまずい自家製品ばかり飲んでいるうちに、頭がおかしくなってきたせいだとすれば、これもまた悪循環のひとつだ。
チェーン店がらみの、大量消費ねらいの、手抜き製品を創っているところが、大儲けすればするほどに、人びとは誇りや底力を失い、生き心地はわるくなり、「本物」はさびれていく。
志とヴィジョンをしっかり抱き、全力尽くして、いい仕事をしている人たちが、さびれていくなんて!
この伝統が、このまま滅びてしまったら、取り返しがつかない!
地元ですごい酒を醸している〈ぬのや本金〉さんは、わずか百石の、日本でいちばん小さな蔵だと知った。手造りの佳い酒を醸すには、酒造チームの人数ひとりあたり百石が限界だという。数十万石を量産している酒造店のモノは、ひとことで言ってまずい。
ぬのや本金さんでは、二十代なかばの若い専務が、宮坂太一さんの伝統を継いで、杜氏を兼ねることになった。大量生産の日本酒に押されて、もう経営が立ちいかなくなり、赤字を抱えて、ほとんどつぶれかけていた。僕が〈本金〉に出会ったのは、
「もう来年を最後に、店をたたむしかないかな」というときだったらしい。
諏訪の職人さんたちは商売下手だ。いいもの創って食っていけたら充分だと思っている。地元では、本金さんが大好きで、本金さんしか呑まないという愛酒家がいるけれど、少数派である。コピーライターを雇って宣伝をするでもなし、せっかくのうまいものを、うまく売ることができなかったのだ。
「絶対に、つぶすわけにはいかない!」
と僕は泣きたいような気持になった。地元の畏友、「福寿屋」の小林哲人くんと、ささやかながら陽に蔭に、 ぬのや本金酒造さんを応援しようと結託した。
復興するときは、マモリに入っても長持ちしない。セメでいくしかない。本金さんの若専務=見習い杜氏さんは、切羽詰まった状態で、起死回生というのだろうか、新しい心身(こころみ)だらけの冒険を始め、一年ごとに、すごい酒を醸すようになってきた。
いろんな人が本金さんを応援し始めた。ひとりで楽しんでいた人が、他の人たちにも、さりげなく、薦めるようになった。某料亭の腕のいい女将さんは、〈本金〉を店の看板酒とした。諏訪にホテルを開業したある事業家(効き酒の名手)は、諏訪の酒を飲み較べた末、ホテルで出す酒を〈本金〉でいくことに決めた。
蔵はつぶれず、むしろ人気が出てきた。ぬのや本金さんは、次世代に向けて、伝統の創造活動を受け継ぐことができた。
創造活動には限界がない。
「ここまでで、いいや」
ということがなく、限界のないのが、自由な創造活動だ。
自由になると、本当に頼れることが、わずかしかない。僕もまた、この心身と、人びとの真善美快悦楽を感じる心身のほか、頼りにできることが、ほとんどない。
誰しも知っているように、自由に生きるのはおそろしい。まわりの人の不自由を刺激してしまったとき、さあどうするかということもまた、自由には含まれてくる。限界のない世界だ。覚悟のない人は、安易に自由にならないほうがいい。
自由になるほどに、人はまるごと全力あげて、全力を使い果たして生きるようになる。
今、伝統酒を醸している人たちは、身ずから自由に、この道を選択した人たちだ。すごい人たちが杜氏をやっている。つぶれかけている家伝を継いで、復興させようとしている人たちがいる。航空物理学関係の工学技術者になるはずだった人もいる。国際的に活動するモデルや俳優だった人もいる。ミューヨークの株式市場で大儲けしつつ、ヨットに乗って暮していたビジネスマンもいる。
醸造技術の現場では、そういう人たちが、伝統を受け継いで、セメの創造活動を続けている。経済的には効率がすごく悪いけれど、生きがいは大きいと思う。自分の生き方に誇りをもって、工夫を重ねながら、まっすぐ生きているのだと思う。
一方、なかば仕方なく、惰性でやっている蔵は、質が落ち、味が落ちていく。質より量を目指して稼いでいた蔵も、本物におされて落ち目になり、生き残りにくくなってきている。そういう蔵の専務さんたちは、やり方を見直さないかぎり、生き心地もいまひとつのままだと思う。
僕はあちこちの国で、いろんな人から、ワインの絶品をごちそうになってきた。日本でも、イスラエルでも、トルコでも、イタリアでも、スペインでも、フランスでも。ヨーロッパでは何度か、美食家のパトロンに見込まれて、ワイン教育を受けることができた。多分、ワインの想い出とエピソードだけで、本を一冊書ける。
ワインはいい。
そうして日本の伝統酒はもっといい。
日本の伝統酒とワインを較べてもしょうがないけれど、熟成させた日本の秘酒は、熟成させた最高のワインをしのぐと素直に感じる。なにかレベルが違う気がする。
新酒の絶品もまた、ぶどうの出来が良かった歳のヌーヴォーをはるかにしのぐ。才色完備で働き者のこころふかき娘と、スタイルがよくてセンスがよくてミニョンなばかりのマドモアゼル、そのくらい違う気がする。
時間をみつけては、この伝統文化について、学び始めた。
伝統の器ものや〈こけし〉に夢中になったときもそうだった。身ずから造るわけではないのに、どうしようもなく気になる。
日本各地どこでも、滞在先では、その地で醸された酒について、いちばん本気の情報を素早く集め、
「日本はいい! この土地はいい! こんな伝統文化が残っているなんて、素晴らしすぎる! 何なのだ、この味わいは!」
となるのだった。
僕は、まるごと全部をもっている「全部味」系の原酒が好きだった。
頻繁に東北に来るようになってからは、
「全部味、を背後にひめた、きれいな味」
「豪気、を背後にひめた、やさしい味」
を知った。
日本酒造りには、造り手の価値観、世界観みたいなものが、そのまんまにじみ出る。生き方とも直列しているヴィジョンみたいなものが、まっすぐに出る。杜氏さんたちは、ヴィジョンをしっかり抱いて、ぶれない酒づくりを指揮する。造り手のこころ栄えが、そのまま反映される世界だ。
大勢で舞台創りをしていくうえで、一人で詩を書いていくなかで、酒造りやこけし造りから教えられたことはたくさんある。本物の酒を、本気で、全力全霊で創っている、日本各地の素晴らしい蔵を、僕はひそかに応援し始めた。
いつも、こころのどこかで、切に、「復興」を願い求めている。
この地では、それぞれが、それぞれに、違う被災を体験した。
震災のことをおおづかみに語ることはできない。
語りたいことはたくさんあるのに、言葉にできない。
たとえば……というふうにして、酒の話をしたりするのが精一杯のところだ。
たくさんの酒蔵が被災した。
塩釜に滞在させて頂いたとき、宮城県の伝統酒について、〈門脇酒店〉の御主人さんから、いろいろ教えて頂いた。感動した。
地元の人が、地元の宝を知らないとき、僕は地元の人に、本気でその宝の素晴らしさを説き、ついつい全力ですすめてしまう。
「立派に、誇れるんだから、誇ろうよ!」
「こういう伝統のこころが、まだ残っているんだから!」
「もっともっと楽しんで、次の世代に残していこうよ!」
そんなふうに切に思って、切に語ってしまうのだ。
昨年は仙台滞在中、出演者たちを招いて、熟成した味噌(家主だった千田さん老夫婦の手造り)で煮た山菜料理や、塩釜港からあがった魚のアラ汁(行きつけの店でいつもサービスしてくれるアラを用いる)、ホヤ刺し(熟成した梅の古漬けを添える)など、ちょっとした手料理を食べてもらい、宮城県一と感じた食中酒をいくつか呑んでもらった。
東北の美酒に、感嘆の声があがった。そういう本物を初めて呑む若い人たちが、
「え? これは何? これが本当の日本酒なの?」
と驚いて目を輝かせるのは当然だと思う。やくざな酒を量販しているコンビニやチェーン店には決して置いてない、小さな蔵の、念入りに醸した生酒ばかりだった。
ブランクーシの彫刻を愛でたりする日本人の美術関係者が、東北の伝統こけしについてほとんど知らなかったりするのは、なんともちぐはぐなことだ。こけしの逸品は、どんな観点からみても、究極の造形芸術ではないか。鎌田文市さんの晩年のこけしなどは、あまりに美しくて、あまりに佳くて、何度見ても、何度手にとっても、からだがぷるぷるしてしまう。
こけしの口は小さい。口から息を吸っていると、好気性細菌によって免疫力がにぶり、からだによろずの病みがはびこる。
こけしに描かれた顔は、宮崎アニメに登場する子供たちと同じく、鼻孔の奥がひらいた、元気そのもののエクスタシー顔をしている。イケてる表情なのだ。木地山こけしなど、一見むっつり例外と見えるものも、表情を真似てみるとわかる。鼻孔の奥が開いて、鼻呼吸が楽になる。
日本人のありきたりに美しいこころの姿。僕は世界中どこにでも、大好きなこけしを連れ歩き、こけしと共に旅をしている。京都の部屋は、到るところ、古いこけしだらけだ。
日本古来の信仰には、教祖さんがいないし、聖典がなかった。唯一絶対がなかった。
日本にはもともと「自然」という概念がない。ともにゆたかに暮してきたので、客観化というか概念化が起こらなかったらしい。もちろん、神さまはたくさんいた。いろんな神さまが大切にされていた。絶対唯一の神さまという観念的信仰や、そこから生まれる絶対的戒律はなかった。神さまと仲良くつきあい、神さまに愉しんでもらう、神遊びのわざがあった。
日本のありふれた美しい心、日本人にとってはあたりまえな美感、日本伝来の身体感覚などを、外国語を用いて、外国人に理解してもらうのは、とても難しい。僕は昨年、本気でこれに挑んだ。西洋語を用いて暮してきた人の、からだに、こころに、意識に、ある感覚が残るよう、ある方向が残るよう、工夫を重ねた。頭でうわべだけで理解しあっても、物事はあまり変わらない。人と人が、頭で理解しあっても、それだけでは不毛だ。けれど、人間は、どう言葉で意識におとすかで、どう頭に入れるかで、その先の実感や体感もまた変わっていくから、どうしても言葉遣いは大切になってくる。
からだも、こころも、意識も、通いあう必要があった。目に見える「からだ」と、目に見えない「たましい」と、両方へ深く働きかけるような言葉を、いつもその場で生みだしていく必要があった。
心身術の伝統を伝えながら、いろんなかたちや習俗や伝統芸道を、さりげなく引き合いにだすことも多かった。日本人の伝統的な呼吸のありかた、日常の身ごなし、歩き方、挨拶の仕方、土着信仰、古神道、古武術、神話、民話、舞台芸術、和歌、俳諧、絵巻物、建築、精進料理、盆踊り、発酵食文化、醸造文化、温泉文化、地方の祭り、作庭、器もの、書画、生け花、茶道、和太鼓、倍音唱法、民間療術などなど。目のまえにモノがないので、もどかしい思いをすることもあった。彼らにとっては思いがけないようなアプローチだったかもしれない。
合気道や整体、日本の自然農法などを学んできたある初老のフランス人は、僕のワークショップに来てすっかり感動してしまい、長年憧れていた日本へ来ることに決めた。
「私が、決して西洋の言葉では言えないと思っていたことを、あなたは西洋語で、誰にでもわかるように話した。こんなことができると私はかつて想像さえしたことがない。これは美しい矛盾だ。」
同じようなことをあちこちの先進国で言われた。
工夫し続けている。先方の体感、メンタリティ、思考回路を、受け容れ、学び続けつつ、工夫を重ねている。伝え方は、わかりやすくて、面白くて、シンプルなほどいい。
実感する。体感する。共感する。そうした「感」というのは、頭で理解しても仕方ない。まず体感してもらい、実感してもらい、共感しあえたら、あとは話が通じやすくなる。体験してもらい、実感してもらい、共感しあえたうえで、それをどう捉えるか、ヒントを提示するようにして、ことばで方向を示す。
山形で公演を終えたあと、ワークショップのまえに、澤野、あいちゃん、ポコちゃんと山寺を訪れ、こけし職人の石山和夫さん、その人と会うことができた。嬉しくてプルプルふるえた。
石山和夫さん、山寺にこの人ありという、知る人ぞ知る名匠である。こけし造りひとすじで六十五年とのこと、失礼な話ではありますが、まだ現役だったとは存じておりませんでした。
この方の、特徴あるこけしを、京都の書斎机の、まえとうしろに置いてある。うち一体は、舞台公演『Dhammapadaダンマパダ』に、かなり目立つかたちで登場してもらった。京都では、和夫さんのお兄さんにして師匠の、石山三四郎さんのこけしも、一尺ものをまっすぐ目のまえに置いて眺め暮している。
万感、というような、感動の対面だった。僕の感動が伝わったのか、石山さんはなんと、
「ふたつくらい、創ってあげてもいいですよ」
と申し出てくださり、海外ツアーで持ち運びできる四寸サイズの新作、男女ペアの新作を、特別に造って、送ってくださることになった。
「もう八十過ぎてしまって、筋肉も落ちてしまったのですが、こけしを造る筋肉だけはあるのです。仕事ですから。これだけでやってきましたから」
と国言葉で、ちょっと照れたように、語っておられた。
秋田県美郷町では、ツアー公演の全日程を終えたあと、「春霞」を醸している栗林酒造店を訪ねた。この蔵の伝統酒には衝撃を受けた。
栗林酒造店は、地元の天然湧水を仕込みに用いている。六郷名物の、この湧水は、ひとことで言って、すごく美味しい。
「いちばんしっかりしたお酒はどれですか?」と専務さんに訊ねた。
「熟成できるお酒ですね。うちの蔵の酒はみんな、熟成させても美味しく呑めます。」
というお返事に、まず感動した。あのきらきらみずみずしい、きれいでふっくらやさしい感じが、年を経てさらに味わい深くなるのか!
吉永小百合さん、倍賞千恵子さんといった、素晴らしいおばあちゃんになった女子たちの表情が目に浮かぶ。フォーレの音楽、デューク・エリントンの音楽、ハイドシェックのピアノ演奏……。
専務さんから、「春霞 特別純米酒 生一本」を勧めていただいた。
驚きの味だった。
大阪から来たe-danceの同志、やっちゃん(竹本泰広)も、
「うわあ、すごいですねえ。何でしょうねえ、これは」
と悦び感嘆していた。
僕の体感記憶は連動している。とりわけ、聴覚と、味覚と、触覚は連動している。味ひとつで、膨大な記憶がよみがえりやすいたちで、10種類の純米酒をブラインド(目隠し)テストして、ぜんぶ銘柄を言いあてられるのは、奇異なことではなく、当たり前だと感じている。作った人たちのモティベーションとか創り心地みたいなものを感じるたちらしい。何かを味わうときも、それが作られ育ってきた過程での気配みたいなものを味わっている事が多く、いったん佳い気配にふれると、いつでもそれを記憶に蘇らせることができる。
一緒に食事している仲間たちは見覚えがあると思うけれど、食べながら、僕がよく虚空を見つめて目だけ動かしているのは、味覚によって蘇った記憶に圧倒されているのだ。
「春霞」の栗林酒造店の隣には、純米生原酒を取りそろえた酒屋さんがある。
この店の、見るからにマニアックそうな店主さんが、かなりマニアックでややこしい僕のリクエストに応え、愛情あふれる心遣いで、「春霞 郷の清水」を選んで一押ししてくれた。
「わたすもこれ、毎日、呑んでます。すごぐうめえです」
こんなに美味しい品揃えをしている店の、こんなに魅力的な人柄の主さんが言うのだから、これは間違いあるまいと思ったら、やはり間違いなかった。日本の何千とある銘柄のうち、うすにごりの生酒ではベスト3に入るであろう、とんでもない〈かんみ〉だった。つまり、ほかに類がないくらい抜群で、ほぼ文化史上ナンバーワン、世界一ということだ。この日本に、こういうものが現にあるというのに、量産された輸入物のヌーヴォー・ワインなど呑んでいる場合だろうか。
こういう出会いには、至福感をおぼえる。「悟り」に近いような感覚だと思う。至福感だけでなく、いろんな感慨も同時に来る。
「ついに、きた! ついに、でた!」
という感覚的な驚きは「宇宙規模」と呼んでもいいような感動なのだ。思わず歌をうたっていた。
かんみ、というのは、ほぼ神の領域を指していう国言葉。行為でいうと、空中でイナゴのつかみ取りをするような技。味覚でいうと、発酵させた海産物とか、古漬けの梅とか、熟成させた原酒、熟成させた味噌や醤油などで、これを味わえる。最近書きあげた1000枚くらいの小説『シャマン術こと始め』では、ついついこの、かんみ、という言葉が頻発した。
小林賢太郎さんが日本の伝統文化についての「とんでも紹介映像作品」を創っている。とくに「割り箸」の紹介などは、あまりにも、あり得ないことをしでかしていて、大笑いできる。このくらい笑える事を出来たら、伝えたいことがもっと伝わるのかなと思う。
イスタンブールに〈レイキ〉を広めたレイキのグランド・マスターが、この映像作品を絶賛していた。
「新しい世界の伝統となった、日本生まれのレイキ(手当)のことだって、自分たちは、こういうふうに、おかしな勘違いしているんだろうなあ」
というようなニュアンスの目配せをこちらへ送ってくれたので、居並ぶレイキの弟子たちのまえで、彼がこの話をした真意は、なんとなく汲めた気がした。
唐突だけれど、打上げなどの宴会について、提案がある。
宴会先で、ビール・ジョッキで乾杯したあと、おのおの、変な色の液体の入った、あのやくざなドリンクのジョッキを持つのをやめないか? ヤクザなアルコール物を、ヤクザな茶や、ヤクザな香料飲料で薄めた、氷入りのあんな飲み物を、呑んでいる場合ではない。
氷で内臓とこころが冷えるし、体のエネルギーが冷えてしまう。
大量生産ビールのほうが、ずっとマシだ。からだにとっても、心地にとっても。
そもそも……、そんなもの、呑んでいて、本当にうまいか?
いや、うまい、まずい以前に、飲みものとしてダメだと思う。そんなものを呑んでいたら人間味が薄くなると思う。人情だって薄くなる。わいわいしたエネルギーばかりがかさばってしまう。
それに較べて隣には……
「ちょっと分け入れば神レベル」の飲料がある。
飲食店には、通常、〈かんみ〉は置かれていない。「店」なのに、残念でならない。
大きな酒屋さんや、大きな居酒屋さんは、そろそろ従来のやり方を卒業してほしい。ヤクザなアルコール飲料を、客にガブ呑みさせて荒稼ぎするのをやめてほしい。
まさに、このタイミングで、日本人の美しいこころ栄えに目を向けてほしい。せっかく酒を扱っているのだから、日本の伝統のうまざけを、自分の舌で選んで供してほしい。
「店」で生計を得ている人が、お客様を神様と思えなくなったら、いちばん大切なこころが廃れるのではないかと思う。自信と誇りをもって、お客さん(神さま)たちをもてなしてほしいと思う。
舞台に立つ人たちもまた、お客さんは神様だと信じている。
日本の伝統文化で、応援していきたいこと、学んでいきたいことは多々ある。
身についたこともいろいろある。
いろんなことが結びついている。
酒をめぐる話をしてみたけれど、そのこころは汲んで頂けると思う。
よい酒はこころが深まる。からだにもいい。ヤクザな酒はこころが荒む。からだにもよくない。
ワークショップという形で、僕は伝統ある心身術の普及活動をしている。誰もが、かけがえのない心身術を、毎日やさしく楽しめるよう、伝え方にも工夫改良を続けている。
日本の伝統の心身術は、それぞれの人生とか、根本的な生き心地に関わってくる。
これこそ、いちばん大切なことだと感じる。これを求めている人たちがたくさんいる。急を要することだ。あまりに切実なことだ。
人間として、社会人として、アーティストとして、個人として、僕が近頃もっとも大切にしているのが、一回ごとの心身術ワークショップだ。毎回、その場で、いちばんふさわしいやり方を探る。アートとして見れば、その場かぎりの、一回かぎりの、パフォーマンス作品だ。
結果、みなの心身の流れがよくなる。誰もが喜んでくれる。
けれどもなかなか機会をもてない。もどかしい思いを抱えながら、毎日少しずつ、実践のなかで、術は進化していく。一人の人を相手に、「効くからね、流行らせてね」と伝えているときも多い。一人一人、直に伝えるしかないところもある。
最近どうしても、もどかしい気持を持てあましてしまう。時間をかけて創作をして、舞台公演なんかするのはやめて、これだけでいったほうがいいんじゃないか、そのほうが誰にとっても喜ばしくて効目があるんじゃないか、と思うことが多々ある。
世のなかを元気にしたいのだ。それぞれが全力を発揮したいように発揮できて、お互い元気に活かし合える、そんな世のなかへと、再自然化していきたいのだ。
心身術の紹介本を書いて出版しようかとも思う。無料パンフレットという形で出版するとしたら、協力応援をしてくれる人はいるだろうか。
やさしくできて、奥ゆかしく、効目のある術がいろいろあるのだ。
からだが、こころが、本来の自然な力を取り戻すのに効目のある、毎日の体技があるのだ。
元気になる。やる気が出てくる。気づまりが消える。肩こり頭痛が消える。不安やイライラが消える。罪悪感が消える。ネガティブな複雑感情が消え、晴れやかで伸びやかな気持になってくる。自信が出てくる。人と心が通うようになる。したいことを出来るような心身になってくる。生き心地が、総合的に、よくなるのだ。
ただひとつだけでもいいから、一人でも多くの人に覚えてほしくて、機会のあるかぎり伝えるようにしている。
どうしたらいいのか、工夫はしているけれど、まだまだこれからだという気がしている。
世のなかのこととなると、自分ひとりで出来ることは限られている。今、仙台の若い人たちが熱心に、伝統の心身術を復興する、僕の活動を支えてくれている。今、このタイミングで、心身術を復興し、広めていくにあたって、どんなにかすかな力でもよいから、力添えがほしい。同志たちがほしい。ブリュッセル、アントワープ、ナポリ、ブルキナファソ、セネガル、モロッコ、ホンジュラス、ネパール、マドリッド、いろんな処に同志がいる。学校のカリキュラムに取り入れられて、毎日やっている人たちもいる。
古来日本に伝わってきたことを分ち合っているのだから、母国日本にもっと同志が欲しい。
話題を元に戻す。
澤野くんの故郷、美郷町六郷の人たちは、「春霞」の栗林酒造店さんのことを、世界に誇っていいと思う。自然を相手どって、ここまでやっている人たちが、いるのだ、現に、この日本に。
酒造チームの人たちは、ふるくから受け継がれてきた、かけがえのない、日本の美しい心を、身をもって体現し、次の世代に伝える仕事をしている。なでしこジャパンの選手たちばかりでなく、こうした伝統術の仕事をしている杜氏さんたち、酒造チームの人たちから、ひそかに、心から、励まされる人たちも、実際に数多いと思う。
美郷町で過ごした最後の日、栗林酒造店さんの境地を、舞台で実現させたいと思った。
ここで暮らす人たちにとって、最高に感動のある舞台を創りたいと思った。
そういう舞台を創れるまで、あと7年はかかるかなと思った。
いや、7年では遅すぎるから、来年くらいには、どうにかならないか。
そんなふうに思案していたら、新しい舞台の構想が生まれた。まるごとふっと現れるようにして、10曲の音楽とともに。
あらためて原点に戻り、大切なことを取り戻した心地がした。
この舞台を実現したい、と強く思った。
新しく、いろんなことを実現していくにあたって、まず必要なのはヴィジョンと覚悟だ。まるごと全力を尽くしていけるような、身ずから見出したヴィジョン、身ずから為した覚悟、それだけはどうしても必要だ。まずそれだけがしっかりしていれば、気力体力、同士たち、仲間たち、資金、機会、場などは、だんだんに広がっていく。
僕は、日本の伝統の心身術を、日本の人たち、世界の人たちに伝え始めた。道なかばで、身は野たれ死んでも、かまわないと思っている。
大量消費経済・大量消費文化が、人間味をなぎ倒していく世のなか。かけがえのない伝統を受け継いで、進化革新を続けている人たちが、日本のなかに、たくさんいる。覚悟とヴィジョンを持っている人たちが、たくさんの人の、心のひかりになっている。
はっきりしたヴィジョンと覚悟は、身をもって伝統文化を生きている人たちにとっては、あたりまえのことかもしれない。
飯田茂実
僕はドキュメンタリー・フィクションというジャンルにかまけている。
現実社会と、それぞれの夢が、地続きに混じり合うような創造ごと。大勢で全身全霊まるごと、こういう舞台を創ると、ドキュメンタリー・ダンス・シアターと呼ばれるようなものになる。
記録ダンス劇。
まず、合意的日常世界がある。それぞれの出演者が共有している現実がある。
そうしてこころの現実がある。これがアニメ、漫画、小説など、フィクション(虚構)というかたちをとることもある。こころの現実から、物語や、歌が生まれる。ふだんはっきりと目には見えにくいけれど切実なこと。
本当のフィクションはみな、人のこころの奥現実から生まれてくる。
現実の社会と、各々の抱くフィクションは、いつも地続きになっている。
ドキュメンタリー・フィクションの舞台創りでは、それぞれの出演者が大切になる。
それぞれの出演者の特性・持ち味が大切になる。
それぞれの人の、感受特性、運動特性、腰椎の様態などを把握できないまま、舞台創作を指揮するのは無茶だと思う。それぞれのからだとこころがわからないと、こういう創作は始めることさえできない。
出演する人全員が主人公となり、それぞれの役割を担う。出発点には振付もなく、台本もない。創作法の 構想があるだけで、今回のようにタイトルさえなかったこともある。
まず、一緒に体を動かしたり、手当しあったり、話し合ったり、いろいろなことを試してみる。
しばらく経つと、どこまでいけるか、限られた創作期間中に、出演者たちと、どこまで到達できるか、全体像=ヴィジョンが見えてくる。そのヴィジョンをたしかめながら、出演者の人間味をそこなうようなものを捨て、出演者の人間味がにじみでるような方向へと、リメイクを続けていく。
演じる必要があるときは、演じる。何ごとかをどうしても語る必要があれば、台本も創る。踊る必要があれば、振付もする。あくまで、それぞれの人間性がはっきりにじみでてくるように、お客さんとこころが通いあうように、かたちをはっきりさせていく。
それぞれの役割が、だんだんはっきりしてきて、ひとつの社会モデルみたいなものが生まれてくる。
監督係は、出演者から美しいことが滲みでてくると、それをかたちに定着させようと工夫を続け、それがさらにわかりやすい・はっきりした形になるよう工夫を続ける。ほぼ、それだけのことに全力をついやす。出演者たちを感じ続け、かたちを探り続ける。直感に頼ることが多い。粘り強くじっくりとリメイクの工夫を続けるほどに、舞台は良質なものになっていく。
出演者たちによる体を張っての稽古時間と、一人でリメイク案を練る構想時間と、創作期間中は、どれだけ時間があっても足りない。限界がないことをしているので、ほとんど行けるかぎり「ここがマックス、これ以上はムリ」という、各自のさいはてをさまよい続けることになる。全員の創造力がピークに達する。徹夜が続くこともあり、疲労もピークに達する。ほとんど超能力かと思うほどの潜在力が、土壇場で溢れ出てくることもある。
創作中、出演者たちはこころの嵐を体験する。監督係としても、なるべく嵐が小さくて済むように工夫するけれど、多少の嵐は、舞台創りなので、やむをえない。
現在、記録映像の三浦くんが『春風のなか、ちいさな街』仙台の映像を国外向けに編集している。想いのこもったDVDを創っている。8月に僕は、出来あがったDVDをトランクへ入れて、ふたたび一人で世界ツアーを始める。
三浦くんは、公演前後の出演者の様子も撮っている。
このドキュメンタリー映像を、さらにフィクション化して、架空のシーンを撮り、ドキュメンタリー・フィクション映画作品を創りたいという気持が湧きおこってくる。
敬愛する照明家の吉本有輝子さんから、
「飯田くんの舞台は、メタ・メタ・フィクションです」
と言われたことがある。超・超・夢幻劇ということだろうか。
僕は、ややあやういことかもしれないけれど、現実と夢の世界が地続きだ。もともと、空想にふけることもないし、かなり現実的でクールなたちだと思うのだけれど、自分たちが魂の奥に共有しているヴィジョンに注目して、そこにかまけているうちに、自動的に現実と夢が地続きになっていってしまうらしい。芸術活動は、人びとが分かち持っている幻を活用して、注目しにくいけれど大切な現実を、生きたかたちに濃縮し、いろんなことを好循環へと転換していく装置みたいなことだ。
もし『春風のなか、ちいさな街』のドキュメント映画にフィクションを足すのであれば、明らかにフィクションンとわかるささやかなシーンをみっつほど入れたいと思う。
そのうちのひとつを、ブログ記録(ドキュメンタリー)のうちの空想物語(フィクション)として、ここに書いておく。
これもまたドキュメンタリー・フィクションのうちだろうか。
公演ツアーを終えた直後のある晩。
学生アパートの一室。
窓際に、洗った衣装が干してある。
出演者のうち二人(任意)が話をしている。
ふたりは、お互いの恋人について話しているらしい。
ふたりとも、長いあいだ、恋人と過ごす時間を取れなかった様子。
ふたりの話題が、終わったばかりの公演に及ぶ。
「まだ言葉ではうまく言えないよね」
「うん」
「たくさん泣いたし」
「なんか、からっぽになった感じ」
「でも終わってないんだよね」
「ずっと続いているんだよね」
「これからレポートもあるし。来月にはテストも……」
被災地とか、放射能、という言葉は出ない。
ぽつり、ぽつりと、そんな会話があってから、ふたりは、黙り込んでしまう。
しばらく沈黙が続く。
どちらともなくと、ふたりは身を寄せあう。
ふたりは抱き合い、横たわる。
ぴったりと抱きあうけれど、それ以上何もしない。
抱き合って、じっと眼を閉じている。
そもそも性活動をしたくて、そうなっているのではない様子だ。
こういうふうにしてしか、たしかめられないようなことを、共有しているのだろうか。
「あんなこと、よくやったよね」
「ほんと、いろいろあったね。……これからだよね」
会話はそれだけ。
ふいに、地震が、くる。
一方が一方に、こころなしか、しがみつく。
ふたりとも、黙っている。
やがて、地震が、おさまる。
ふたりは仰向けになる。ふたりとも、黙っている。
黙って手をつなぎ、うえのほうを見ている。
こんな二人が実際に、出演者のなかにいたかも、というような気もする。
そういえば、創作中は、毎日のように地震に襲われていた。
飯田茂実