ふりかえると
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ふりかえると
いつでも、もっと広く、広く広く感じて、生きていたいです。
ずーっと嫌で嫌で仕方なかった「自分自分」を、次は祓いたくて祓いたくて仕方なくて。感じられてないんじゃないかっていつもいつも疑わしくて、それがまた邪魔したりもして。
でも怖がるよりも感じようと、まず感じていようと思います。
すっきりと、シンプルに。
そう!素直に!
ツアーはどんどん進んでいきます。
今週は青森!
あれ、リンゴの季節ていつだっけ。あのたくさんリンゴの木は、今、美しく茂ってるんでしょうか?
楽しみです!
行ってきます。
旅の始まり、最初の一歩、
仙台公演、ありがとうございました!
坂下真由理
どこかで誰かがさけんでいる、ないている、大声で笑っている、しあわせ、いとしい、かなしい、くやしい、さみしい
たくさんの疲れた、たくさんの愛してる、たくさんのひとがひとが道に街にあふれ、こわがっている、うなっている、嘶きが聞こえる。でも、いなないているのはいつも自分で、隣の席の人がさけんでいても、ないていても、いつだって私はみかんの皮をむくことしかできない。電車の中から見たたくさんのマンション、ビル。あの中に一個一個家と人があることを思うとぞっとすることもある。
生きているってだけで、自覚なく、たくさんの人やものたちを傷つけている。わたしが想像できることは狭くてちいさい。ぜんぜん追いついていない。
いつもは平気で生きているけれど、小さな声を極力無視して自分の事だけ考えて、自分の事だけ考えて生きているけれど、たまに心がしん、とするときがあって、素直に感じられるときがあって、どうしようもなくたまらなくなって、ごめんなさい、と思う。いつも、ごめんなさい、と思う。ありがとう、とも思える。
飯田さんは三つの言葉で足りると言っていた。
ごめんなさい、ありがとう、I love you.(一個だけ英語なのはどうしてなのだろうね)
少し恥ずかしいけれど、斜に構えずに、心から、思えるときがある。
私はとっても小さいけれど、やさしい人では無いけれど、でもごめんなさい、と素直に思えるときがある。奥底、私の静かな場所にある。好きです、大切にしたい、という気持ちをたまに自分の中に発見する。奇麗事のようだけど、いつもはがさがさと覆われて見えないけれど(いつでもそういうもので溢れている人もいるね)、みんな持っているのではないかしら。
美しいと思う、共演者のことを美しいと思う。たくさんの人の美しいものが見える、見たい。それは和気藹々とした馴れ合いとかには見えなくて、ひとりぼっち、静かにひとりで膝を抱えて丸まっている人に見える。夜にひとりぼっちで泣いている。不器用で、孤独で、さみしい、そんな人の姿に嘘ではない、透き通ったきれいなものが見える。
嘘ではなく、奇麗事ではなく、そんな舞台ってできるのだろうか、できたとして見た人はどう思うのだろうか。私にはまだ分からないし、確かなことも言えない。
でも、今わたしに出来る舞台はこのかたちだ、と思う。ひとつひとつ大切に重ねていく営みが、今の私には必要なのだと思う。
柄にも無いことを言ったりやったりしているかもしれない。
いつも、わたしの小さい手からはたくさんの人や物や気持ちがぼろぼろとこぼれていく。すくい上げることができない、ケアすることができない。
だから、舞台なのかな、と思う。
だから、舞台で、たくさんのありがとうとごめんなさいとI love you.を言おうと思う。
今週末から仙台の外へ行って来ます。
これからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。
伊藤照手
先日、仙台公演が終わりました。
ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
クリエーションではいつもお客さんを意識していたつもりですが、やはり実際にお客さんがいるというのは違うなあと思いました。
二日目、会場を片付けたあと、皆様からのアンケートを拝見しました。
普段のクリエーションでは気づけなかったことやご指摘、一言一言がありがたかったです。
この仙台公演、私は今の実力全部を出しきれたと思っています。
それでも、リメイクの必要があると思った箇所をいくつか見つけることができました。
今週の八戸公演に向けて、より良い作品になるよう工夫したいと思います。
クリエーションの序盤、私たちが目指す作品は、母親のような優しさを持った作品だったように思います。
果たして今の作品がそれを達成しているのか、今一度考えたいと思った仙台公演でした。
村岡
仙台公演があった。暑かった。
帰る後輩が「元気に生きようと思った」と言っていたことがよかったと思った。
お客さんに「出ないんだね」と言われてすみませんと思った。
本番中はビデオを撮っていた。難しかった。カメラは調子が悪かったとあとで聞いた
カメラを通して見ていると舞台として舞台は見られない
映像監督の三浦さんからこの人を撮るという指定があるので、一人の役者さんを見ているとあっと思うようなところで目が伏せられたり、髪の毛が揺れたり、首が垂れたりする。高校生のころまではそういう切なものを、全部残したくて、何枚もメモを書いていた。それはうまくいかなかった。稽古の記録も本当は記録して台無しにしている言葉がたくさんあって、もしかしたら書いて残さないほうがいいこともある。と思いながらでもこれが記録の身上だろうとひたすら記録をとる。
記録係の西邑
本田椋です。
様々な方々と縁に助けられて、仙台公演が無事終演しました。ありがとうございます。
本番中、舞台裏で舞台・客席に手のひらを向けていました。
黒幕一枚隔てた向こう側、舞台空間から広がってくる何かを確かに感じていました。
手のひらが熱い。何だろうこのエネルギーは?
大きな命の塊に触れているような感覚、この世界の少しだけ深いところから溢れてくる何か。
その瞬間、生きてることが嬉しく思えました。世界が愛しかった。
つい、舞台裏で踊ってしまいました。
もっともっと、この世界の深いところで生きてみたい。
そう思ってしまったからには、明日もこの先も舞台を旅して行くのでしょう。
そんな大切な舞台公演になりました。
そして、お客様のアンケートを見て、僕と同じ体験をした人がいたことを確信しました。
舞台の可能性をまた一つ、信じました。
あと少し深いところを目指して、普通に旅行を楽しみながら、ツアー行ってきます。
それでは、また!
私事ではありますが、今回仙台公演の受付をさせていただいたことは、自分の人生に一つの区切りを付けて生き始めた後の、最初の『出逢い』に繋がりました。
元々好きな人達がその現場にいたから関わることができて、そして新しく好きな人達がたくさん出来ました。
そこにはどんなことになっても『大丈夫』と思える若い力がたくさん集まっていて、そこにいるだけで力がわいてきました。
飯田さんの魔法使っているんじゃないのか!?と思った手当てにより、強打し痛めていた鳩尾の痛みも和らぎ、みんなでハグしあった時の澤野くんの力で痛みも抜け、自分がいつも『そういうことなんじゃないのかな』と思っているものが、そこには普通にありました。
この公演に関われたことは、私にとって、とてもしあわせなことでした。
ありがとうございました。
そして、ご来場いただきましたお客様、私が言う立場ではないのかもしれませんが、本当にありがとうございました。
これからのツアーの成功と安全を祈っております。
いってらっしゃい。
仙台公演受付 馬上由紀